三章 渦巻く暗躍 十九話
19、受継の途中で
石榴は、その美しい姿のまま、炎の中に消えてしまった。
彼女が骨だけになるその儀式を、椿と柘植、連翹と風蘭だけが見守った。棺に火がかけられ、夜半時に立ち上る火柱を、椿は乾いた瞳で見ていた。
風蘭に目をやると、彼も椿と同じように乾いた瞳でそれを見ていた。果たして見ているのか見ていないのか、わからない瞳で。
柘植は変わらず無表情のままそれを見つめ、連翹も黙ってそれを見ていた。
稀代の美女と謳われた、雅炭楼の妓女、石榴。
同時に、国軍『闇星』を統率する裏の将軍、『黒花』。
ふたつの顔を持った有能なる武人が今、天に還っていった。
「・・・・・・『黒花』・・・・・・!!!」
それから数日して、『闇星』の面々と瓶雪 黒灰が氷硝から到着した。逸初と皐月もまた、『闇星』を預かる幹部として氷硝から駆けつけていた。皐月は、石榴の骨が納められている壷を見て、そのままその場に崩れ落ちた。
「そんな・・・・・・!!『闇星』は『黒花』なしにどうすればいいというの・・・・・・!!」
目の前の現実が信じられない、というのでもなく、皐月は、石榴はすでに死に絶え、骨が壷の中にあると聞いただけでその場に泣き崩れた。
石榴の遺体を目の前にしてもなお、現実を受け入れられずにいた椿とは違って。
「それで?椿はどうしているのかしら?『黒花』の死を受け入れられずに喪心でもしているかしら?」
淡々と聞いてきたのは、『黒花』の右腕といわれた逸初。
皐月といい、逸初といい、反応は異なるが、石榴が死んだという事実は素直に受け入れている。
石榴の死は悲しく辛い。だが、それは彼女たちの中でいつかどこかで起こる出来事として、覚悟されていたのだろうか。
連翹はそんなことを考えながら、軽く肩をすくめて答えた。
「椿さんは隣の室にいらっしゃいますよ。・・・・・・石榴さんの死を受け入れてはいらっしゃるようですが、まだ感情すべてを表に出しているわけではなさそうですね」
「それは受け入れているとはいえないのよ、連翹。喪心されたままじゃ使いものにならない」
それだけ言い残し、逸初は室を出て行こうとする。
「あ、待って逸初」
泣き崩れていたはずの皐月も、あわてて彼女の後を追った。連翹も逸初がなにをするのか気になったので、皐月のあとを追った。
椿がいる室に、逸初は断りもなしに入り込み、放心したように座り込む椿の襟首を掴んで持ち上げた。
「椿、どういうこと?」
「・・・・・・逸初、さん?」
「ちょ、逸初。こんなときにそんな乱暴なこと・・・・・・」
「皐月は黙ってなさい!!こんなときだからこそ、ちゃんと聞いておかないといけないのよ!!・・・・・・椿、あんた、わかっているんでしょうね?」
逸初は、すぅっと息を吸い込み、静かに、けれどはっきりと厳しく椿に言い渡した。
「『黒花』を見殺しにしたのは椿、あんたの罪。あんたは『黒花』を殺したんだわ」
「逸初!!」
皐月が血相を変えて、逸初と椿の間に入った。椿は、言われたその言葉の意味がわかったのか、目を見開いたまま、何も言わない。
「どうして椿ちゃんを責めるの?!椿ちゃんもまた、襲撃された被害者よ?!」
「椿がただの小娘なら責めない。だが、椿は『黒花』に認められた正式な後継者。それが、『黒花』を守ることもできずにいたなど、『闇星』の恥さらしにも甚だしい」
切り捨てるように言い放つ逸初のその言葉。それは、『闇星』を束ねる『黒花』の右腕といわれたその実力に伴う判断力に違いなかった。
連翹はその成り行きをただ黙って見守る。
「椿。申し開きがあるというのなら、聞こうか」
逸初が、皐月にかばわれたままの椿に冷たく問いかける。
「それとも、そのまま皐月に擁護されるか?ならば、『闇星』からその名を剥奪する。そんな小娘を『闇星』に、まして『黒花』の後継者になどできない」
『黒花』であった石榴がいない今、『闇星』の決定権は一時的に逸初にある。ここで、皐月がどう反論しようと、逸初がそう決めたら、止められない。
「椿ちゃん・・・・・・」
皐月は、先ほどまで放心し、闇だけを見つめていた瞳を抱いていた椿を、振り返り見た。
「・・・・・・椿ちゃん・・・」
振り返って見た椿は、先ほどの椿とは別人のようだった。虚ろな瞳には炎のような激しい光を宿し、その表情は強張っているものの、しっかりと逸初を見据えていた。
「わかっています、逸初さん。石榴姐さんの・・・・・・『黒花』が殺されたことに関して、言い訳をするつもりはありません。あれは・・・・・・あれは・・・・・・」
椿の言葉が、途切れ途切れに詰まっていく。その表情は歪み、けれどなにかを耐えるように、しっかりと逸初を見据えている。
「あれは、あたしが油断していたからです。裏切り者の気配に気付けなかった。闇夜に風蘭公子を守れなかった。自らの保身しかできなかった、あたしの力量不足」
そして少し目を伏せて椿は言う。
「あたしの力不足が・・・・・・石榴姐さんを・・・・・・死なせてしまった・・・・・・!!」
そこまで言い切った椿を、皐月はぎゅっとその腕に抱きしめる。その様子を目を眇めて見やりながら、逸初は鋭く小さく言い放った。
「それだけわかっていればいいわ。『黒花』は椿を後継者と決めていたようだけど、私はあなたを認めない」
「それでも、『黒花』亡き今、椿ちゃんにその気さえあれば、この子が次代の『黒花』だわ」
皐月が椿を抱きしめながら反論する。逸初は冷ややかな視線を皐月に投げた。
「わかっているわ。『黒花』を継ぐなら、私は『闇星』の一員として従いましょう。けれど、認める気はないというだけよ」
そして背を向けて、室から出てしまう。そのまま彼女の足は、霜射邸の中庭に向かっていた。
連翹は彼女を追うか迷ったが、椿のことも気になり、皐月の腕の中にくるまった彼女を遠くから眺めた。
「・・・・・・椿ちゃん?・・・もう、責めるのは、やめなさい?」
びくっと皐月の中の椿が震える。
「後悔して、自分を責め続けても、『黒花』は・・・・・・石榴姐さんは還らない」
「皐月・・・・・・さん・・・・・・」
皐月を呼ぶ椿の声は、くぐもっていて小さい。皐月はまるで赤子をあやすように椿の頭や背中をそっとさすり続けた。
「辛かったわね。あなたが母のように姉のように慕っていたんですものね。なのに、自身の力が及ばなかったから、彼女に助力することができなかったと後悔しているのよね」
皐月の優しい言葉に、椿の身体が縮こまる。
「後悔はしなさい。自分の力量不足は悔いなさい。もっと強ければ、風蘭公子を狙う殺気に気付けたかもしれないのだから」
先ほどの優しい声色とは異なり、まるで逸初のように厳しく皐月はそれだけ言う。
おそらく、これが『闇星』としての厳しさ。
皐月が椿に言った言葉は、そのまま連翹にも繋がった。
風蘭の護衛でありながら、風蘭の傍をはなれ、彼が狙われていたそのときそれに気づくことができなかった。石榴がいなければ、今頃どうなっていたかと考えるだけで恐ろしい。
だから、連翹も悔いていた。そして、誓ったこともあった。
「後悔して、自分を責めるのもいい。でも、それを続けるのはやめなさい。そこから何かを見出せないのなら、それは無意味な行為だわ」
きっぱりとした皐月の言葉に、椿が顔を上げる。そこには涙が浮かんでいた。
「・・・・・・皐月さん・・・・・・あたし、姐さんのようになれるかな・・・」
「さぁ?それは椿ちゃん次第だわ」
優しく頭をなでる皐月の胸に、椿は顔を隠すように押し付けた。
「・・・・・・強くなりたい・・・!!姐さんを失ったこの悲しみを、二度と味合わないくらいに・・・!!」
そして、彼女は皐月に強く強くしがみつき、声を殺して泣いた。
それを抱く皐月もまた、静かに涙を流していた。
「お上手ですね、逸初さん」
中庭でぼんやりと空を眺めていた逸初は、突然かけられた声に肩を震わせた。
油断していたとはいえ、気配を気付かせなかったとは、この男・・・・・・!!
「・・・連翹」
「椿さんは、誰かに責めてもらいたがっていた。ずっと後悔していた。石榴さんを死なせてしまったことを。だから、逸初さんが椿さんを責めたことによって、椿さんは自分が感じていた負い目を吐露することができた」
すべての感情を吐き出すことができたのだ。
「買い被りね。私は本当に認めていないもの、椿が後継者だなんて」
そう言って、逸初は連翹から顔を背ける。その瞳に、光るものがあったのを連翹は見逃さなかった。
誰もがみな、石榴の死を嘆いている。
けれど一方で、彼女の裏の姿を知っていれば、遅かれ早かれこのような事態になったであろうことも覚悟していたのだろう。
だから、悲しむことはあっても、立ち止まることはない。
それが、国軍『闇星』。
仕えるべき王のためだけに存在する、孤高の軍。
「わたしも、見習わさせていただきますね」
連翹は、それだけ言い残し、逸初のもとから去った。
この屋敷には、もうひとり、悲しみと後悔に暮れている人物がいる。彼もまた、誰かに責められることを待っている。
けれど、それをするのは自分ではないことも、連翹はわかっている。
彼が立ち直るかどうかで、連翹の今後の身の振り方も変わる。
そこに、連翹自身が立ち入ることはできない。
今、ここで見定めなければならないのだ。
連翹の未来をかけた、選択を。
連翹が再び椿の室を訪れると、そこには落ち着きを取り戻した椿と、穏やかな顔でそれを見つめる皐月がいた。
皐月は、連翹の姿を見るとさっと立ち上がって真剣な面持ちで彼に問いかけた。
「椿ちゃんに、聞きました。・・・・・・あの夜のことを」
「皐月さんには話すべきだと思ったから」
椿が被せるようにして言い加える。皐月もまた、逸初同様『闇星』の幹部のひとり。
知る必要性はあるのだろう。
「あの話を誰にお話されるかは椿さんにお任せしますよ」
連翹は努めて柔らかく答えた。彼はあくまで推測を彼女に語っただけ。それをどうとらえるかは彼女次第だ。
「・・・・・・北山羊一族が一枚噛んでいるんじゃないかって言う意見、同感だわ」
皐月の言葉に、連翹も特に驚きもせずに黙って聞く。
「彼ら一族は、王族を恨んでも仕方がない。・・・・・・『闇星』の存在を知っているのなら、『闇星』もまた、狙われるかもしれないわね」
さすが、『闇星』幹部といったところか。
皐月はどうやら北山羊一族の過去を知っているようだ。
連翹は小さくうなずいて、幹部である皐月に尋ねた。
「それで、『闇星』はどうされるおつもりですか?」
「北山羊一族のことについては、これから調査するわ。それから、『黒花』の遺骨は、歴代の『黒花』のお墓にいれてあげたい。だから、夏星州に持っていってもらうわ」
「・・・・・・どなたに・・・ですか?」
「あたしよ」
すっかり元の調子を取り戻した椿が、いつもの不敵な笑みを浮かべて連翹を見上げる。
「あたしが、夏星州まで姐さんを連れて行く。・・・・・・それともうひとつ」
まるで連翹に宣言するかのように、彼女はひとつ深呼吸してから、はっきりと告げた。
「あたしが、次代『黒花』となる。皐月さんは認めてくれたし、逸初さんがどう反対しても、姐さんの遺志を継いで、あたしが『黒花』となる」
揺ぎ無い瞳で、彼女は皐月と連翹を交互に見た後さらに言った。
「仕えるべき王を選ぶのは『闇星』を束ねる『黒花』の務め。・・・・・・あたしは、選択するべきときが来たと思うわ」
選択すべきときが、きた。
椿の言葉に、連翹は思わず瞠目する。同じことを彼女も感じている。
「あたしは、これ以上後悔したくない。自分の非力で、後悔するようなことはしたくない。だから、『黒花』になるわ。石榴姐さんを超える『黒花』になる」
嘆くことも後悔することも、自分を責め続けることも簡単。
けれど、その先の道をどうするかは、覚悟がなければいけない。その場で立ち尽くすか、前に進むか。茨の道だとわかっていても。
「あなたを支えましょう、次代『黒花』。・・・まぁ、逸初はしばらく抵抗するだろうけど・・・」
苦笑まじりに、皐月はそう言うが、椿もそれは覚悟のこと。それでも、逸初は椿を責めてくれた。いつか、彼女にも認めてもらわなければ、『黒花』にはなれない。
「『黒花』の遺骨を納めたら、正式に『黒花』を継ぐ継承式を行いましょう。それまでは、あたしと逸初にも椿ちゃんと同じ権利があると思っていてね」
皐月の忠告に、椿は素直にうなずく。
まだ右も左もわからないひよっこである椿に、『闇星』を束ねるだけの力はまだない。幹部である皐月や逸初のほうが、判断は適切だ。
自分は、そこから学べばいいのだ。
「連翹、風蘭はどこにいるの?」
椿の射るような視線が、連翹を捕らえる。
不覚にも、身体が一瞬震えるのを彼は感じた。
それは、椿の視線のせいか。
それとも、これから起こるであろうことを予想してのことか。
「・・・・・・室に、いらっしゃるかと思います」
「わかったわ。今夜、風蘭の室に州主と親分も呼んでおいて。・・・・・・あたしがあたしの道を選んだように、風蘭にも選んでもらうわ」
そして、彼女は非難するような視線を連翹に向けた。
「もちろん、異論はないわよね?あなたは、そうしてほしくて、ずっとあたしを見張っていたのでしょう?」
すべての感情を取り戻し、立ち直った椿の頭の回転はすでに連翹の行動を見通していたようだ。
そう、連翹はそのために今日はずっと椿の様子を見ていた。『闇星』の幹部ふたりによって、椿は自分を取り戻せるか。彼女はなにを選ぶのか。
そして、彼女が彼にどうしてくれるのか。
それから、彼がなにを選ぶのか。
椿が『黒花』を継ぐことにより、連翹は少しずつ何かが動き始めるのを感じていた。
すいません、やたらと長くなってしまった三章ですが、次話で終わりです(汗)
まぁ、まだ四章へと続きますけどね・・・。
お付き合いください~★