三章 渦巻く暗躍 二十話
20、決意の果てに
自分の立場は、わかっているつもりだった。
正妃の公子であったから、幼い頃から「守られる」立場にあった。
けれど同時に、「守られる」からにはそれ相応の「責務」があるのだということも、母である桔梗に口すっぱく言われていた。
守られることに慣れていてはいけない、と。
その意味がわからなかった頃は、弱いのはいけないのだと思い、その頃はまだ兵部の武官のひとりだった、双 縷紅に武術を習った。
けれど、徐々に王政というものを理解し始めた頃、桔梗の言ったその意味を少しずつ理解できるようになってきた。
風蘭は、正妃の公子だから守られているのではない。
星華国を「守る」ことを責務とした「獅一族」だから、守られているのだと。
だから、命を守られるのであれば、国を守らなければならないのだと。
頭では、わかっていた。
わかっては、いたが・・・・・・・・・。
「・・・石榴・・・・・・」
風蘭を庇って死んだ石榴。
『黒花』である石榴は、本来仕えるべき王にしか命をはらない。なのに、なぜ、彼女は彼のために命を落とさねばならなかったのか・・・・・・。
裏切り者がいたことに気付かなかったことにも、みすみすと暗殺されそうになった弱い自分にも、風蘭は嫌気がさしていた。
どうして、誰も風蘭を責めてくれない。
石榴は、風蘭のせいで死んだのに。
「風蘭、ちょっといい?」
扉の外から聞こえてきた声に、風蘭はびくりと反応する。あれは、椿の声。石榴を誰よりも慕っていた彼女の声。
自分を責めに来たのだろうか。
「・・・・・・あぁ」
吐息のように、力のない返事を返す。責められ、なじられても仕方のないことだと思っている。思っているが、それをやはり怖くも思っていた。
風蘭の返事と同時に、室にぞろぞろと人が入り込んでくる。
予想もしていなかった展開に、思わず風蘭は声を失って、室に入ってくる人々を眺めていた。
知らない人間はいない。
が、椿だけだと思い込んでいたので、ぞろぞろと人が入ってきたので驚いたのだ。
椿に続いて、皐月や逸初、加えて柘植や黒灰まで入室してきたからいよいよわからない。最後に入室してきた連翹に、風蘭は問いかけるような視線を投げかけた。
だが、頼みの連翹は微笑んだだけでなにも答えてはくれなかった。
「・・・・・・これは、なんだ?」
全員の前で頭を下げろというのだろうか。石榴を死なせたことを、謝れと。
それも当然の要求だろう。椿がそれで気が済むのなら、それもいいかもしれない。
「いくつか、風蘭に言いたいことがあって」
椿の鋭い物言いに、風蘭は息を呑む。
つい昨日までは椿も心が抜け落ちたかのような表情をしていたのに、今の椿は石榴を失う前の彼女のように自信と生気にあふれている。いや、むしろ、なにか覚悟のようなものまで感じる。
「・・・・・・なんだ?」
「まずは、石榴姐さんのこと」
単刀直入に切り返してきた椿に、思わず風蘭は身体をこわばらせた。
「あたし、石榴姐さんが死んだのは、自分の力不足のせいだと思ってる」
「なっ!!それは違う!!椿は関係ない!あれは、俺がもっと・・・・・・!!」
「そう、みんな同じことを思ってる。『石榴姐さんが死んだのは、自分のせいだ』って」
「・・・・・・でも、現実だ。俺が襲撃に気付けていれば、石榴が俺を庇って死ぬことなんかなかった」
「結果だけを見て、なにを思うかはこの際問題じゃないわ」
ぴしゃりと風蘭の言葉をさえぎって、椿は言い放つ。
「自分のせいで姐さんが死んだとうじうじと思い続けるのなら、それも止めないわ。でも、ずっとそれだけ考えて何もしないでいるのなら、今すぐここから出て行って。そんな風蘭を助けるために、姐さんは死んだんじゃない」
椿がずばずばと風蘭に言い放つ間、他の誰も口出しはしない。風蘭も、ただじっと椿だけを見ている。
彼女はなにが言いたいのだろうか。自分を、責めるためにここへ来たのではないだろうか。
「・・・・・・いいわ。はっきり言ってあげる。・・・風蘭、石榴姐さんはあなたを庇って死んだ。あなたさえあの船にいなければ、姐さんが死ぬことはなかった。あなたが船室でおとなしくしてくれれば、姐さんも戦わないで済んだかもしれないわ」
椿の言葉は、鋭い刃のようにして風蘭の胸を突いた。ぐるぐると、自分自身を責め続けた言葉を、椿の口から聞くのは想像以上に辛かった。
風蘭のせいで死んだのだと、言われるのは息が止まるほど苦しかった。
「・・・・・・あぁ、そうだ・・・・・・。・・・俺のせいで・・・石榴は・・・・・・」
「で?それだけうじうじ後悔だけして、それで終わるの?」
震える声で懺悔をしようとした風蘭を、あっさりと椿がさえぎる。溢れそうになった息苦しい思いが、椿の横槍で別方向に流れ出ていくのを感じる。
「・・・・・・いや、そんなつもりは・・・」
「ないってわけね。じゃぁ、どうするの?姐さんが命がけで助けたその命、どう使うつもり?」
考えてなかった。
考える余裕すらなかった。
ずっとずっと、寒昌に到着してからは、石榴の死を嘆き、責め続けるだけでそれからどうしようと考えたこともなかった。
「俺は・・・・・・」
考えてもいなかった。
だが、考えるまでもない。
「俺は、同じ後悔はしたくない。俺が公子で王族だから狙われたというのなら、その原因を突き止めたい。先王のせいで民の恨みが王族にあるのなら、それを払拭していきたい」
思うことは、いつだってひとつ。
それは幼い頃から同じ。
そして冬星州に来てから、さらにその想いは強くなった。
「この国を変えたい。救いたい。民も、国も、救いたいんだ」
声に出し、改めてそう言うと、風蘭の中でなにかがすとん、と抜け落ちた。どろどろと心の中を渦巻いていたなにかが、すぅっと溶けていくのを感じた。
椿を見れば、満足そうに笑ってうなずいていた。
「風蘭の思いは、わかった。じゃぁ、どうする?」
「どうする・・・・・・って・・・・・・」
「あたしは、『黒花』を継いだわ」
言葉に詰まる風蘭に、さらりと椿がすごいことを言う。
「・・・は?!・・・・・・え、えぇぇ?!」
「まぁ、正式には継いでないけど。でも、その覚悟は決めた。姐さんの遺志を継いで『闇星』を束ねる『黒花』になるわ」
椿の突然の発言を俄かには信じがたく、風蘭は『闇星』の幹部である皐月と逸初に視線を泳がす。
皐月がそれをとらえて微笑んで答えた。
「それは本当です、風蘭公子。椿ちゃんは『黒花』となることを決意しましたよ」
「それが『闇星』の武人たちを納得させることができるかどうかは、別問題でね」
逸初の冷たい指摘に、皐月が小さく彼女を咎める。
けれど、それは風蘭にとってはどうでもいいこと。
椿が『黒花』を継いだのだという事実だけがそこに残る。
「・・・・・・で?風蘭さまはどうするおつもりで?」
入室してから一度も口を開かなかった黒灰が、抑揚もなくそう問いかけてきた。
「どうする・・・・・・とは・・・?」
「そのまんまの意味です。風蘭さまは狙われた。それが、誰に狙われたのかくらい、想像はつきませんか?もしくは、何のために狙われたのか」
「誰・・・かはわからないが、王族を恨む者だろうな」
「で?そいつらをそのまんまにしとくんですか?」
州軍、冬星軍を預かる貴族、瓶雪一族の当主でもある黒灰は、試すように風蘭を見る。
「・・・そいつらだけを捕まえても、次々と同じような連中は現れる」
王族に恨みを持つものたちは、今の国政を憎んでいるのだ。
そして、その現状を変えようとしない王と、それを諌めない王族、貴族に人々は怒っているのだ。
それも、ひとり、ふたりとかではない。ひとつの集団をつぶしても、また違うところで火種はくすぶる。
それよりも。
「狙ったやつらを捕まえるより先に、その恨みの根底をなんとかしなきゃいけない」
黒灰を見上げて言い切った風蘭に、黒灰は破顔する。
「本当に、風蘭さまは文官でいらっしゃる」
目の前の争いよりも、もっともっと未来の争いを防ぐことに目を向けている。
「それで?その根底をなんとかするために、公子様はどうするおつもりで?」
「それは・・・・・・」
ふと、風蘭の視線が、冬星州州主、霜射 柘植に移る。風蘭の視線を受けても、相変わらず柘植の表情はぴくりとも動かなかった。
「・・・俺はもともと、民部長官が殺された原因を調べに、ここに来たんだ」
ぽつり、とまるで風蘭は柘植だけに言うようにつぶやく。
――――――そう。
もともとは、蘇芳の策略の通りとはいえ、冬星州には突然この世を去った民部長官の死因を調べるために来たのだ。
その民部長官は、州主である柘植と同じ、霜射一族。
民部の不正を暴かれたくらいで自殺したとは思えない。
とすれば、殺された可能性があるが、それが誰なのか、特定もできない。
冬星州に来れば、なにか手がかりがあるのではないかと思ったが、手がかりどころかまた人の命を失ってしまった。
もたもたして、これ以上の犠牲者を出したくない。
・・・けれど。
「・・・風蘭公子さま、わたしが当主の地位を継いだとき、決意したことがあります」
迷いに揺れる風蘭を見越したかのように、柘植が低く小さな声で彼に話しかけた。
「自らの目標のためには、なにを犠牲にしようと、あきらめないと。望みを掴むためなら、なんでも利用すると、決めたのです」
「・・・だから、あたしも利用されたってわけね」
ふぅ、とどこからかため息が聞こえた。
「州主さま、ひとつ申し上げておきますけどね」
椿が腰に手をあてて、州主である柘植をじろりと睨み付けた。
「州主さまがなにを望んでいるのか知りませんけどね、もう少し州のことを考えてくださらないといつまでも冬星州の貧困は止まりませんよ?挙句、亡くなった娘姫まで妃として召し上げようとするなんて・・・・・・」
「椿ちゃん!!」
椿を止めたのは、意外にも皐月だった。呆れたような怒ったような顔をしながら、椿の腕をひいて柘植から引き離す。
「州主さまは何も考えていないわけじゃないわ。ううん、むしろ考えてくださっている。椿ちゃんはもっと州主のことと冬星州のことをよく見なさい」
「そうね、『黒花』になる気でいるのなら、当然のことだわ」
『闇星』幹部ふたりに諌められ、椿は予想外のことにきょとん、とする。それに同調したのは、風蘭だった。
「椿、霜射殿は、歴代の州主のなかでも一番この州のことを考えている。・・・・・・民部のことを調べているとき、それはわかった。だから、会ってみたかった」
「・・・光栄です」
抑揚もなく、柘植は答える。風蘭はそんな彼に苦笑した。
「・・・・・・きっとあなたなら、迷わないのでしょうね。俺と同じ立場になっても」
「迷いません。失うものがあっても、手に入れたいものがあるのなら」
失っても傷ついても、手に入れたいものがあるのなら。
「・・・・・・もしも」
椿が、聞こえるかどうかの小さな声で、告げる。
「もしも、風蘭がまだ、この国を救うという気でいるのに、芍薬公子を王として補佐するだけでいるのなら、それはただの綺麗事だと思うわ」
「・・・そうね、夏星州からの報告では、芍薬公子もまた、執政官の言いなりのようだし。これでは、芙蓉王となにも変わらないでしょうね」
皐月も、椿に同調する。
朝廷は、もはやこれ以上ないほど腐敗している。どこから手をつければいいのかわからないほど、あちこちが膿んでいる。
「・・・風蘭、本当は、わかってるんでしょ?」
椿が、それまでと違って優しく彼の背中を押す。
変わらぬ朝廷の体制。
逆らえない王。
腐敗する王政。
崩れ落ちていく、この国。
止めるには、根底から覆さないといけない。
初めから、やり直さないといけない。
もはや、膿んでいるところを取り除けばなんとかなるような状態ではない。
そう、すべては最初からはじめないといけない。
すべてを、無に。
多くのものを失うことになっても。
この国と、そこで耐えて暮らす民のために。
この国の、未来のために。
「・・・芍薬公子は、先日、正式に28代国王となられましたよ」
黒灰が何気なく、風蘭に告げる。
はっと、彼は顔を上げた。
芍薬兄上が、王となった。
けれど、きっと王政はなにも変えられない。今までもこれからも蘇芳がまた、独裁を振るうことになる。
たとえ、蘇芳を取り除いても、また第二、第三の蘇芳が、あのなかに、朝廷のなかにいる。
内気なあの兄では、きっと執政官には逆らえない。
もはや、この国には猶予はないのに。
「・・・俺は・・・・・・変えたい・・・」
「あなたが選ぶなら、あたしも決めるわ」
そっと椿が言う。
「・・・国を・・・民を、救いたいんだ・・・」
「言葉ではいくらでも言えます。あとはどうするか、ですよ」
厳しく、けれど柔らかく黒灰が言う。
「・・・だけど・・・・・・『それ』をすれば、また多くの命が失われる・・・」
「どちらに比重を置くかです。このまま放っておけば、罪のない民たちが、多くの命が同じように失われる。もっともっと多くの命が、です」
柘植が、感情のない淡々とした口調で告げる。
「『黒花』は、あなたに希望を託したのですよ」
「これは、あなたにしかできない」
皐月と、逸初がはっきりと風蘭を見据えて言う。
選べば、きっと戻れない。
公子であった自分には、もうきっと戻れなくなる。
芍薬兄上、木犀兄上や、蓮姫たち姉妹にももう、会えなくなる。
そう、きっと、母である桔梗にも。
桔梗は、なんと言うだろうか。
こうして、今もまだ、迷う自分に。
水陽にいた頃の時間。
怠慢なほど穏やかだったあの時間はもう、ない。
きっと、ここに来たときからすでに、失われていたのかもしれない。
風蘭の視線は、扉の傍にひっそりと佇む連翹を見つけた。
ずっとずっと、一緒にいた付き人。
後宮にいても、朝廷にいても、そして、この冬星州にいても、彼のそばにいた唯一の存在。
「・・・あなたの願いは、なんですか、坊ちゃん?」
からかうように、連翹は言う。
まるで、後宮にいた頃のように。
「・・・・・・もう、言わせないからな、連翹」
低く唸るように口を開いた風蘭を、面々が注目する。
「もう、『坊ちゃん』なんて呼ばせないからな」
「風蘭」が失うものと「星華国」が失うものの大きさ。
それを、今更天秤にかけるまでもない。
「言っただろう、俺は国を変えたいんだ」
言葉にすれば、きっと変わってしまう。
すべてが。
後戻りができなくなる。
それでも。
もう、道はこれしかない。
「俺は、国を変えるために、王になる。星華国の国王になる」
だから、と深呼吸をひとつして、彼は言葉を続けた。
「現王芍薬を、玉座から引き摺り下ろす」
そのために、どれだけのものが、失われることになっても。
椿がほっとしたように笑み、そして、連翹が風蘭の前まで歩み寄って、そこに膝をつき、礼をとる。
それは、臣下が王にする、従順の礼。
「いついかなるときも、あなたに従いましょう、わが主、風蘭さま」
連翹の言葉にならうようにして、椿も跪拝し、皐月、逸初、そして黒灰と柘植までもが膝をつく。
「冬星州の未来を、あなたに」
冬星州州主、霜射 柘植が静かに風蘭にそう言った。
星華国第28代国王、芍薬がその座についてわずか数日後。
彼の弟公子は、彼を玉座から、そして朝廷そのものを壊すために、
遠くの地、冬星州で、反逆の意を示した。
やっと、三章が終わりです。やっとこさ、話の核心に来ましたね。
次章からは、風蘭は王族としてではなく、反逆者として動いていくことになります。




