三章 渦巻く暗躍 九話
9、創国の途中で
「後宮を・・・ですか?」
「そう。作ろうかと思っている。反対か?」
星華国建国から2年が経ったある日、初代国王となった牡丹は、王佐である弟を呼び付け、そう提案した。
「反対はしませんが・・・理由をうかがっても?」
王佐となった弟は、もはや牡丹と肉親であることを捨てた。
王と王佐という、責任と立場の違いを明らかにするために、常に彼は敬意を持った態度で牡丹に接した。
実際、彼は牡丹を心から尊敬している。
乱世をたったひとりで終わらせ、わずか2年足らずでひとつの国を築き上げ、平安の世に向かわせている。
牡丹の持つ言い知れぬ神秘性と威厳に、弟ながら頭が下がる。牡丹に従う11貴族と呼ばれる元国主たちも言わずもがなだ。
そして、その絶対的な存在である初代国王が突然提案してきたのが、「後宮をつくること」だった。
「理由?それは決まっているだろう、おまえのためだよ、葵」
初代国王、牡丹の弟であり、王佐でもある葵は、突然自分が話題になって驚いた。
「わたしのため?なぜ、わたしのために後宮を?」
全く腑に落ちない葵の表情に、牡丹は玉座に座りながらおもしろそうに笑った。
それを見上げながら、葵は思う。
牡丹は、本当に『王らしく』なった。国民が望むような、王に。
一方で、牡丹が王らしくなればなるほど、牡丹が牡丹らしくなくなっていくようで、葵は少し、悲しかった。
「後宮をつくるのは、世継のためだ」
牡丹の言葉で、葵ははっと我に返り、顔を上げた。
「星華国を治めるのは獅一族、と貴族達との会合で全員一致したのに、絶やすわけにはいかないからね。後宮をつくり、妃を多く迎え、世継をつくらねばならないだろう?」
今、王である牡丹と血を分けているのは葵だけ。
この国を治める王族たる獅家の人間は、このふたりだけなのだ。
「たしかに・・・世継は必要ですね。ですが、なぜ、それがわたしのために?」
「葵、おまえのための後宮だからだ。世継を期待している」
にっこりと笑った牡丹の言葉を理解するのに、葵は3拍以上かかった。
「え、えぇ?!わ、わたしですか?!わたしが世継を?!」
「そうだ。最初の後宮だから、各貴族に平等に、それぞれ姫をひとりずつ後宮にいれてもらうとしようか?そうすれば、11人も妃ができる」
満足そうに頷く牡丹を、葵はじろりとにらみつけた。
「世継ならば、牡丹王がおつくりになられるのが、正当なやり方では?わたしは確かに獅一族ですが、あなたの王佐です」
すると、それまでずっとにこにこと笑顔を絶やさなかった王の表情が固まった。みるみると、表情が曇っていく。
「王・・・・・・?」
「葵・・・・・・わたしは、わたしの血を遺したくないんだ」
顔を歪める王を、葵は黙って見上げていた。
今、玉座に座るのは、『王』ではなく、『牡丹』に見えた。
「わたしの両手は血で汚れている。何人も、何人も、殺した。乱世を終わらせるためとはいえ、わたしはわたしの身体を汚したんだ」
気付けば、牡丹の両目から涙が流れていた。
後悔してはいけない、後ろを振り向いてはいけない。自分に言い聞かせ続けた。
後悔したら、あの戦いで失った命の『意味』がなくなる。
彼らは、安穏とした世を望んでいたのだ。後世を生きる者たちへ、望みを託したのだ。
振り向いて、嘆いて、後悔してはいけない。
けれど。
失った命の重さは、牡丹にとってあまりにも重かった。
星華国というひとつの国を建国したことが、果たしてよかったのか、迷うことがある。
国民が牡丹に向ける希望と期待の視線を、受け止めきれるか不安になることがある。
資格がないのではないかと。
血で汚れた自分は、みなに羨望の目を向けられる資格はないのではないかと、思うことがある。
「葵、わたしの両手は血で汚れ、わたしの気はとうに狂っているのかもしれない」
「そんなこと・・・・・・!!」
「毎晩、夢を見る。わたしが殺した者達が、わたしに恨み言を言うんだ。わたしを呪うんだ」
うわごとのようにつぶやく牡丹の言葉に、葵はじっと耳を傾ける。
おそらくこれは、長い間口に出されることのなかった、牡丹王の本音。
こうして身内ふたりでいるときに、やっと吐き出される弱音。
「わたしは、こんな汚れた血脈を子孫に遺すことはできない。この手に・・・・・・未来ある赤子を抱く資格はない」
それだけ言い切ると、牡丹は玉座から崩れ落ち、小さくなって自分を抱き込んだ。
小さく震える牡丹を、気付けば葵は優しく抱擁していた。
たしかに、今思えば、牡丹は決して葵を戦場に立たせなかった。
まだ幼かったから、というのもある。
だが、いつだって先陣を切って血に塗れた牡丹に対し、葵はいつも陣の指示する立場にあっても戦場に赴くことはなかった。
牡丹は、葵の分まで血を被ったのだ。
たとえ未来を担う赤子を抱く両手を失おうとも、葵にそれを託せるように。
「牡丹王・・・・・・」
どうして言えるだろう。
あなたの両手は汚れてなどいません、英雄の手です、などと。
それはただの欺瞞だ。自己陶酔でしかない。
その手で多くの者を殺めた。
それこそが揺るぎない真実。
どんな風に牡丹を慰めたところで、その真実と過去は覆らない。
過去は変わらない。ならば、託された未来を繋ぐしかないのだ。
「・・・・・・わかりました、牡丹王。後宮で、わたしは世継をつくりましょう」
葵の言葉に、王は何も言わずに小さく頷いた。
そう約束したところで、後宮の建設は、政務としては一番後回しになった。
他にやるべきことは山のようにあるのだ。牡丹や葵、そして11貴族たちも世継問題は後回しに考えていた。
ある一族を除いて。
「葵さま、よろしいですか」
執務室でうんうん唸っていた葵に、聞き慣れた声が扉の向こうから聞こえた。
「あぁ、どうぞ、北山羊さま」
扉の向こうから現われたのは、髪から髭まで雪のように真っ白な北山羊一族の当主だった。年齢不詳だが、実に元気なご老人なのである。
「いかがされました?」
「ふむ・・・・・・」
葵の問い掛けにも、北山羊当主は歯切れの悪い返事を返すだけだ。そして、密室でふたりきりだというのに、老人はひそひそと声を落として葵に尋ねた。
「後宮を、お造りになられるそうですね」
「え、えぇ、そうですが・・・・・・」
後宮を造ることは、すでに貴族たちからの了承も得ている。なにも声を落としてひそひそと話すことでもないはずだ。
「ではなぜ、まだなにも手を付けられておられないのです?」
「それは、他にやるべきことが色々と・・・・・・」
「後継問題をないがしろにしてはなりませんぞ!!」
突然、湯が沸いたようにかっと北山羊老人の声が上がった。
だが、老人はすぐに我に返り、再び声を落として話し続ける。
「王族である獅一族の存続は、この国の存続と同等の重要性がございます。万が一にも機を失して世継がいないとなれば・・・・・・」
「しかし、牡丹王はまだお若い。あせらなくてもよろしいのでは?」
後宮を創設することは貴族たちに告げたが、それは牡丹のためではなく葵のためであることは、まだ誰も知らない。
建前としては、牡丹の世継をつくるための後宮創設ということになっている。
「この老いぼれにそのようなごまかしはいりませぬ」
しかし、先見などの能力に秀でた北山羊一族当主は、ぴしゃりと葵の発言を跳ね返した。
「牡丹王が世継をおつくりになる気はないこと、わしはすでに承知しております。だからこそ早く後宮をお造りいただきたいのです」
老人の言いたいことがわからずに、葵は首を傾げる。
「次代王は葵さま、あなたですな?」
はっきりと断言され、彼は返す言葉なく息を呑んだ。
「後宮は、あなたの世継をつくるためにある」
牡丹と葵、ふたりで内密に決めたことが、北山羊老人には全てばれている。北山羊一族の持つ能力のせいだろうか。
「後宮を造るということはですな、朝廷をもうひとつ造ることと変わりありません。それを牡丹王のご即位中にやらずにどうしますか!!」
「そ、それはわかっているが、朝廷も未だ落ち着かない今、後宮を新たに創設するのは・・・・・・。それに、牡丹王が退位されるまでにまだまだ時間は十分にあります。そこまでいそがなくとも・・・・・・」
そこまで葵が言うと、目の前の老人は急に年をとったかのように、悲しそうに表情を曇らせた。
先見の能力を持つ北山羊一族の当主。
たとえ能力がなくとも、彼らは星見である程度の未来を占うことはできるという。
その、未来を知ることのできる老人が、牡丹の退位まで時間があるという葵の言葉に、表情を曇らせた。
それは、なにを意味するのか。
「北山羊さま・・・・・・まさか牡丹王は・・・・・・」
王となるまでも、王となってからも、苦悩から解放されることのない牡丹。
苦痛をひとり耐える姿を見ていて、葵はいつか牡丹が壊れてしまいそうで恐かった。
「・・・予知した未来を無闇にお話しすることはできませぬ・・・・・・。けれど、これだけは忠告しておきます」
青ざめる葵に、北山羊一族の当主は言った。
「なるべくお早くに後宮創設に着手なされよ。なるべく、お早めに」
それだけ言い残すと、白髪の老人は室から去った。
残された葵は、老人の言葉をぐるぐると反芻させながら頭を抱えた。そして、立ち上がって室を出るときには、葵の決意は固まっていた。
その後間もなくして後宮の建設が始まり、牡丹は後宮にも官位を設けた。
朝廷と後宮の秩序と均衡を、牡丹王は見事に成立させてみせた。
そして、みなが新しい平和な国、星華国の前途ある未来を期待し、胸を膨らませたその瞬間、それは起こった。
星華国建国から6年あまり経った頃、何の前触れもなく、初代国王、獅 牡丹が退位したのだ。