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二章 交わる絆 十話











10、喬木は風に折らる








「よし、できた」


月も夜空の真上にあがるような深夜に、風蘭は室で筆をとっていた。彼は、自らが書き上げた書をもう一度読み直し、満足げにうなずいた。


「これならいいだろう」


墨が乾いたのを確認してから、彼はそれをくるくると楽しそうに巻き上げた。






風蘭が民部の内情を調査し始めてから、驚くことに半年近くたっていた。始めは好奇心と冒険心で民部の執務室にもぐりこんだのがきっかけだったのだが、そのあまりにひどい惨状に、彼は真剣に向き合うようになってきた。




そして、蓋を開けてみてみると、次々と出てくる怪しい項目や、改善すべき項目に、風蘭はため息がとまらなかった。




なぜ、父がこうなるまで放っておけたのか、彼には理解ができなかった。


支配欲がなかったのか。


責任感がなかったのか。


王という自覚がなかったのか。


執政官を頼りにしていたのか。もしくは、恐れていたのか。






どれが正解なのか、風蘭にはわからない。


聞くべき相手は、もはや手の届かないところにいるのだから。






同時に、彼にはわかっていた。兄の芍薬が王となっても、現状はおそらく変わらない。


蘇芳が執政官である限り、星華国はなにも変わらない。


けれど、芍薬は蘇芳を執政官の職務からはずすことはできないだろう。内気な兄のことだ、ひとりでは王政を執ることはできないし、蘇芳はそれを見越しているのだ。






だからといって、風蘭は自分が王になろうとは思わない。


それとこれは別問題だと思っている。


自分には王になるだけの器がない。そう思っている。






「坊ちゃん、まだ起きていらしたのですか」


連翹が驚いたような声をあげながら、室に入ってきた。そう言いながら、連翹の手にはお茶が用意されている。風蘭がまだ起きていると知っていての行動だ。


「もう終わった。あとは明日、うまく相手をつかまえるだけだ」


「明日も朝廷に行かれますか?」


「あぁ、そうだけど・・・・・・どうかしたか?」


少し困ったような表情を浮かべる連翹に、風蘭は問いかけた。彼のこんな表情を見るのも久しぶりだ。




連翹はいつでもどこでも風蘭のそばにいて、どんなときでも涼しい顏で彼の言動や行動を見守ってきた。


おそらく、父である芙蓉より、母である桔梗よりも、この男は風蘭のことを理解しているのかもしれない。そして自分も、両親よりも連翹を頼りにしているのかもしれなかった。


決して口には出さないが。




「いえ・・・・・・。明日は坊ちゃんおひとりで朝廷においでになっていただいてもよろしいですか?」


「なんだ、なにか用でもできたか?縷紅大将にでも呼ばれたか?」


「いえ、双大将は関係ありません」


にっこりとした笑みで、連翹はすべてを隠す。ふと、風蘭は先日のことを思い出した。


「そういえば、最近よくおまえは俺のもとを離れるな?この前も内朝にも後宮にもいなかったから探して・・・・・・」


思わず、そのときのことを思い出して、口ごもる。






連翹が見当たらず、ひとりで後宮を歩いていたあの日。


たまたま寄った庭院で見かけた、姫君。


『花』の存在に悩む自分に、優しく諭してくれた。


冬に咲くサクラを、他意はないと包み込むような笑みで、手渡してくれた。


初めて、意のないものとはいえ、花を手渡した相手。






「あの日は失礼いたしました。所用で外朝におりまして・・・・・・」


連翹の言葉で、はっと風蘭は我に返った。


「外朝に・・・・・・?」


「たいしたことではありませんので、お気になさらずに」


空になった風蘭の茶器に、連翹は再び茶を注ぐ。


「それを御飲みになられたら、早くお休みください。明日に響きます」


「どこぞやのじーさんじゃあるまいし。おまえは過保護なんだよ」


一気に茶を飲み干して、風蘭は卓上の筆記用具を片付けた。その間に連翹は寝台を整えている。


「連翹。おまえももうさがれ。明日に響いて困るのはおまえのほうだろう?」


そういえば、何の用なのか聞き忘れた。今更聞くのも変だ。


「ありがとうございます。では、おやすみなさいませ、坊ちゃん」


連翹は素直に風蘭の言葉に従い、室を出た。もちろん、ちゃんとすぐに寝れるよう、火鉢の用意も整えてあるし、温めた寝具も用意してある。




後宮の王族たちの世話というものは、普通は女官たちの仕事となるのだが、風蘭には女官いらずだった。連翹が先回りしてなんでもこなしてしまう。






物心ついたときから、すでに連翹は風蘭のそばにいた。


彼がどこの者なのか、知らない。11貴族の者でも、縁のある者でもない。


ただ、桔梗が大変目にかけ、縷紅も彼をかわいがっていた。


ひたすら従順に、連翹は風蘭に、そして桔梗に付き添ってきた。少なくとも、この16年間はずっとだ。






蜂豆 連翹。春星州の者。


連翹は、なぜ、後宮にいるのだろうか。いや、『いることができる』のだろうか。








そして、次の日の風蘭はまた全力疾走していた。


朝廷で働く文官たちは、すでに見慣れた光景だった。風蘭が公子だということを知る者も知らぬ者も、彼が常にあわただしく回廊を走っている姿を見慣れていた。


いつもと違うのは、その後ろをいつも追いかけていた衛人がいないことくらいだろうか。




風蘭は、昨夜書き上げた巻物を手に、民部に向かっていた。






民部の調査は、風蘭が思うよりももっと深く入り込むことができた。


それはなんといっても、木蓮のおかげに違いなかった。彼の兄ふたりが民部に所属していたおかげで、民部関係者と話をすることができた。






風蘭は、木蓮との出会いがなによりもうれしかった。


民部の調査がしやすくなったことだけでなく、官吏にはまだ、自分と同じ理想を持つ者がいたのだと思える相手に出会えたからだ。


さらに、木蓮は風蘭よりももっと色々な知識を持っていた。


どれだけの書物を読んでその知識を得たのかはわからないが、勉強嫌いの風蘭も木蓮の話はおとなしく聞くことができた。




木蓮の持つ理想は、もっと具体的で、もっと高かった。


彼は、政務に民を関わらすことを望んでいた。国は貴族のみで成り立っているのではない。王だけが支えているのではない。


民の生活に触れることのない、王族の風蘭としては、目から鱗の出る発言だった。


同時に、とても納得のいくものでもあった。






いつか、遠い未来でもいい。


木蓮とともに、星華国の政務を執りたいとそう思った。彼となら、この歪み始めた国を立て直すことができるかもしれない。






そのためには、やはり目に付くものをひとつずつ片付けるしかない。


この民部の問題に、木蓮を表立って関わらすわけにはいかない。彼は、采女所に所属する文官なのだ。民部の問題に関わらせてはいけない。


まして、万が一にも蘇芳に知れたら、なにをされるかわからない。






最後の一手は、自分が討つ。






「失礼、霜射長官はいらっしゃるだろうか。獅 風蘭が来たと伝えてくれないか」


民部の執務室の扉を叩き、風蘭はそこらへんでぼさっと立っていた官吏に聞いてみた。


「あ、はい、ただいま」


その官吏はあわてて長官の室に入り、風蘭に言われたままのことを伝えているのが聞こえた。


やがて、先ほどの文官が戻ってきて、視線を彼に合わすことなく、頭を垂れて告げた。


「霜射長官は、ただいま不在でありまして・・・・・・」


「嘘を言うな。じゃぁ、誰とおまえは話していたというのだ」


恐縮するその男を押しのけて、彼は民部長官室に強引に入り込んだ。




そこには、長官だけが座っていた。室の中には誰もいない。


「・・・・・・これはこれは、風蘭公子さま」


相変わらずぼってりとした体型で、脂汗をかきながら、彼はあわてて席から立ち上がって挨拶をしようとした。


「ご不在とうかがいましたが」


すました顔で言いながら、風蘭は扉を閉める。誰にも聞かれるわけにはいかない。


「そ、それは・・・・・・」


「まぁ、そんなことはどうでもいいんです」


おろおろする霜射長官の言葉を遮り、つかつかと風蘭は彼の机まで歩み寄った。そして、昨夜仕上げた巻物を広げた。


「これは・・・・・・?」


「よくご覧ください」


霜射民部長官の視線が、あわただしく筆字のあとを追う。みるみると、彼の顔から血の気が引いていくのが見えた。


「いったい・・・・・・」


「これですべてではないのでしょう?ですが、わたしが少し調べさせていただいた段階で、ここまで結果を出すことができました。・・・・・・もし、執政官に要請し、この民部を洗いざらい調べてもらえば、もっと出てくるのでしょうね」


「そ、それは・・・・・・。ですが・・・・・・」


「わたしは、あなたの不正を暴きたいわけじゃないんですよ、長官。民部の機能を『正しく』活用させてくださればいいだけです。今後、こういうことを一切なさらないとお約束いただければ、朝議に出すような真似はいたしません」


とん、とん、と風蘭は自らが書き上げた書を指で叩きながら、そう言った。民部長官は、金魚のように口をぱくぱくさせているだけだ。




ふと、こんなにも取り乱す霜射長官を見ていて、風蘭は思い立った。


「もしや、これらの不正は、あなたが考え付いたものではなく、誰かに入れ知恵されたものなのですか・・・・・・?」


何気なくたずねた風蘭のその言葉に、長官の目が限界まで開かれる。なんとも正直な男だ。


「・・・・・・なるほど。黒幕は他にいるわけですね」


これが蘇芳だったら、即刻朝廷を追い出すことができるのに。


不謹慎にも風蘭はそう思うが、蠍隼 蘇芳であるはずがないことも同時にわかっている。




あの男は、こんな危ない橋を渡らない。


すぐに足が付くような真似はしない。


おそらく、他にもいるのだ。この国のためではなく、自らのためだけに懐を潤す裏切り者が。






「わかりました。本日は、ここまでといたしましょう」


「・・・・・・え・・・?」


「今日は、あくまで私の意を申し上げにきただけです。今後どうなさるかは民部長官、あなたの決断次第です。明日、ご意向をうかがいに再び参上します。・・・・・・それでは」


巻物だけ残し、風蘭はさっさと室を出た。誰とも視線を合わすことなく、民部の棟を足早にあとにする。


ゆったりしている場合ではなかった。民部長官の後ろに、もっと腹黒い黒幕がいるのだ。


そいつを暴かなければ、民部も、朝廷も、星華国も、変わらない。




頭の中がそれでいっぱいになっていた風蘭は、気付かなかった。


民部の執務室の扉に張り付くように、じっと彼を見ていた、怪しい人影に。








とりあえず、風蘭は木蓮にこのことを話したかった。


連翹に木蓮を呼び出してもらおうと思ったのだが、肝心の連翹がいない。朝からずっと見かけないが、また『所用』なんだろうか。


「いったい、あいつはあいつで何やってるんだ・・・・・・?」


うろうろと後宮の回廊を彷徨っていて、ふと、彼はある思いに駆られた。


状況が、似ているせいかもしれなかった。


「い、いや、だめだ、不謹慎な・・・・・・」


思わず歩みを止め、欄干で腕を支えながら、両手に顔を埋める。




だめなことはわかっている。


会っても仕方のないことも。






でも、もう一度だけ、話をしたいと思ってしまう。


最後の一度でいいから。






気付けば、風蘭は『そこ』に来ていた。視線の先には、まだ咲き誇るサクラの花がはらはらと風に舞っている。


「・・・・・・風蘭公子さま?」


心臓が飛び上がるとはまさにこのことだ。


風蘭は、心臓のみならず、身体ごと大きく飛び跳ねてしまった。思わぬ声に、恐る恐る後ろ振り返る。


「やっぱり、風蘭公子さまですね。お久しぶりです」


「・・・・・・紫苑・・・姫・・・」


声がかすれている。




なんだか、情けなかった。




当の紫苑姫は、きょとんとした表情を浮かべたかと思うと、くすっと愛らしく笑った。


「紫苑、とお呼びください。先日は失礼いたしました、風蘭公子さま」


しつけられた貴族の姫らしく、彼女は風蘭に完璧な跪拝の礼をとる。彼はため息をひとつつくことで自らを取り戻し、照れ隠しに髪をばさばさとかきあげながら、首を振った。


「・・・・・・だったら俺も風蘭と呼んでくれていい。そんな礼なんてやめてくれ」


「ですが・・・・・・」


「俺は、紫苑とはそんな堅苦しい関係でありたくない」


一歩間違えば愛の告白のような発言だが、風蘭にその自覚はないし、その言葉を受けた紫苑も気付いていない。


「わかりました」


にっこりと素直に笑って答えるだけだ。


「・・・・・・紫苑の室はこの庭院から近いのか?」


「はい。その角を曲がった室なのですが・・・・・・あまり、薄墨さんにも庭院に出ることは望ましくないとは言われているのですが・・・・・・」


紫苑は、少し恥ずかしそうに俯いて言い加える。


「けれど、この庭院で、また風蘭に会えれば、と思って」


「それって・・・・・・」


「あ、いえ、そういうことではなく」


問い返す風蘭が何かを言う前に、すぐに紫苑が早口に説明し始める。


「あの、風蘭は、政務に関心があると言っていたので・・・・・・だから、がんばってほしい、と思って・・・。王族が、政務を執ってくれることを、私は望んでいるから・・・・・・」






紫苑の言葉に、風蘭は素直に喜べず、瞑目する。


ここにもまた、父が王政を放棄し続けたための余波がある。


紫苑の言葉をじっくりと噛み締める。




王族が、政務を執ってくれることを望んでいる。




その望みは、紫苑だけの望みではないだろう。獅一族は、王族だからといって、何もしなくていいわけではない。


そして、王は、その責務を投げ出してはいけない。






「大丈夫だ、紫苑。俺は、必ずこの国を変えてみせる。もっと民にとってよい国に」


力強く宣言した風蘭の姿を、紫苑は眩しそうに眺めた。しかし、すぐに声を落として小さく問いかける。


「・・・・・・風蘭にとって、『民にとってよい国』とはどういう国ですか?『よい国』とは、どういう『国』のことですか?」


鋭く聡い問いかけ。ただ、口先だけの宣言ではないのだろうかという、紫苑の疑念。


決して口先だけの決意ではないのに、その鋭い問いかけに、風蘭は一瞬、言葉を失う。






『よい国』とは、どういう『国』なのだろうか・・・・・・?






「それは・・・・・・」


「風蘭公子!!」


答えようとした風蘭の背に、叫びのような彼を呼ぶ声が飛び込んできた。


「・・・木蓮?」


まだ連翹に呼びにやってもいないというのに、木蓮が真っ青な顔で風蘭に走り寄ってくる。


「ちょうどよかった、木蓮、俺も話が・・・・・・」


「それどころじゃないんだ、大変なん・・・・・・です」


ふたりきりのときの癖で、木蓮は口調を崩して風蘭に話しかけようとするが、そこに紫苑がいることに気付き、不自然な敬語になる。


風蘭もそれに気付き、呑気に紫苑に木蓮を紹介しようとした。


「あ、紫苑。こいつは羊桜 木蓮。采女所に所属しているから、会うことも多いだろう。木蓮、彼女は紫苑姫。妃候補だ」


「お初にお目にかかります、紫苑姫。本日は火急の用がございまして、ご挨拶はのちほど」


木蓮にしては珍しく、あわただしく素っ気ない挨拶を紫苑にしてから、風蘭の袖を引っ張って、ひそひそと話し始めた。


「風蘭、大変なことになったんだ」


「だから一体、なんなんだ?」


思わず木蓮と同じようにひそひそと声を落としながら、風蘭は問いかけた。






ごくり、と木蓮が喉を鳴らす。


「僕も今、中部から聞いた話だったんだ。今は内朝はこの件で大騒ぎだよ」


「だから、おまえは何の話をしているんだ?」


話が見えずに、段々風蘭はいらいらしながら、混乱している木蓮に再度問いかけた。


「明日、おそらく朝議が行われると思う」




そう、前置きしてから、木蓮は告げた。








「霜射民部長官が、長官の執務室で、死んでいたんだ」















二章はこれでおしまいです。次回から三章に突入です。

三章からは色々な意味で大きく動きます。…しかも各章の話が長くなります…(汗)


どうかお付き合いいただけるとうれしいです~☆彡



そういえば、キャラの全員の名前が花の名前、というのは気付かれているかと思いますが、王族+11貴族の姓が星座になっていることは気づいていただいてますか?(笑)

だから、「星と花の国」で「星華国」だったりします(笑)



では、次話をお待ちください~!!

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