二章 交わる絆 九話
9、池魚の殃
紫苑が後宮にやってきて、早くも3ヶ月が経とうとしていた。季節はすでに移り変わり、寒い寒い冬が到来していた。
肝心の妃審査は未だ行われず、思い出したかのように、ごくたまに中部長官である双 鉄線が3人の姫たちの元を訪れるだけだった。
「妃審査って何をするものなのかしら?」
槐と雲間と共にお茶を飲んでいるとき、ふと、紫苑はそんなことを口にした。ふたりも同じような疑問を持っているらしく、すぐにその話題にのってきた。
「妃審査でなにをするかは、特に公表されておりませんものね。前回もどのような審査が行われていたのか、まったく公開されませんし・・・・・・」
「これから妃になろうって姫に、そんな手荒いことはしないとは思うけど。まぁ、ちょっとした肝試しくらいはあるかもしれないわね」
紫苑に出されたお茶を、おいしそうにすすりながら、雲間姫は、本当は椿なのだが、答えた。
「肝試し?」
「だってそうでしょう?王の妃になろうっていうのだから、それなりに肝が座っていないと。全国民の非難の的なんだから」
イタズラっぽく、椿は笑った。
最近の椿は、『姫らしく』あることをやめてしまった。幸い、口うるさい柘植もいない上に、うまく取り繕ってもいずれは化けの皮がはがれてしまうのだから、無駄な努力はやめようと思ったのだ。
「雲間姫。口が過ぎますよ。王が非難されるなんて・・・・・・!!」
「ないと言い切れますか、槐姫?先王陛下を非難する者はいなかったと?芍薬公子を全国民が支持していると?」
「雲間姫!!」
叫ぶような槐の声が響いた。さすがに紫苑も椿のその発言にはぎょっとしている。
「なにを驚きますか?本当のことでしょう?」
「・・・・・・たとえそれが事実だとしても、口に出していい問題と、そうではない問題があると思いますわ、雲間姫」
静かに、搾り出すように、槐はそう言った。
椿は、思わずため息をついた。
口うるさい柘植がそばにいない代わりに、それ以上に口うるさい槐がいつもそばにいる。
『恋敵』なのだから、椿がどんな失言をしようと放っておけばいいのに、彼女の性格なのか、いちいちそれを正した。
「でも、雲間姫の肝試し、という案には納得できますね。理由はどうあれ、やはり一国を支える王の妃となるのですもの。それなりの度胸は必要となりますよね」
椿をかばうように、紫苑がそう言ったが、槐は怪訝そうな顔をしている。椿は、この素直でやさしい紫苑が嫌いではなかった。
同い年だと聞いたが、なんだか紫苑と話していると妹のようで、純粋にかわいかった。
けれど一方で、この姫には妃となるには足りないものがあることも感じていた。教養もある、品もある、妃となるためのすべての要素を満たしているかのように見える。
卓上を見れば、故郷から持ってきたという書物が、まさに山のようになって積んである。その書物も読みつくされたようでぼろぼろだ。おそらく、どの書物も暗唱できるのだろう。
そこまでの知識さえもあるのに。
残念なことに、彼女の言う、「一国を支える王の妃」となるのに必要なものが、紫苑姫にはなかった。
「双大后さまなら、妃審査のこと、ご存知でしょうね」
ぽつり、と槐がそうもらした。残りのふたりはうっかり、といった表情で納得した。
「そうね、双大后さまならご存知でしょうね。なんといっても、妃審査を通過し、先王陛下のお心をつかんで、貴妃となられたのだし」
先王、芙蓉の即位と、双貴妃の婚儀は折りしも、同時期に行われた。もともと双 桔梗と、もうひとりの妃候補だった蟹雷家の姫君は、芙蓉の妃としてではなく、当時の正妃の公子の妃として妃審査を通過していた。
そして、妃審査を通過したふたりの姫君は、最後の選択を中部や神祇所、そして公子自身に選択してもらうために、水陽に来ていた。
ところが。
『その日』に、芙蓉を残して王族はすべて途絶えてしまった。遺された芙蓉は、已む無く即位することとなり、どういう経緯があったかは定かではないが、いつのまにか桔梗が正妃として芙蓉の傍にいた。
なぜ芙蓉が桔梗を選んだのか、知る者はいない。
けれど、桔梗はたしかに妃審査を通過している。
「でも、同じ妃審査を通過した姫といえば、蟹雷家の姫君もそうだったと聞きましたけど?」
椿はふと思い出し、蟹雷 槐に問いただした。そう問いかけられるのは見越していたかのように、槐は肩をすくめた。
「叔母様はなにもおっしゃってはくださいませんでした。ただ、『公子さまの御心を真に理解したものが、妃となれる』とだけ、おっしゃってましたけど・・・・・・」
「双大后さまにお会いしたいですね・・・」
紫苑がお茶を上品にすすりながら、ふたりに言った。おもしろいことに、紫苑はそういったことに対して、ぬけがけしようとは思わないのだ。
そこがまた素直でかわいいといえばかわいいのだが。
「そういえば、先日、風蘭公子さまにお会いしました」
突然切り出した紫苑の話題に、槐が目をこれでもか、というほど見開いた。
「えぇ?!風蘭公子さまって・・・・・・双大后さまの公子ではありませんの?!どうして?!」
「えっと・・・・・・ちょっとお庭でお花をいただいていたら・・・・・・」
室から出るな、と言われたのに、のこのこと庭院に出ていたらばったりと出会ったのである。優等生の紫苑としては、少し後ろめたそうに白状した。
「それで?どんな方でした?」
椿はまったく興味がなく紫苑の話を聞いていたが、横の槐はそうでもないらしく、むしろ食い入るように紫苑にたずねた。
「まっすぐな方でした。公務に興味がおありのようでした」
そう言って、紫苑は懐に閉まった押し花をそっと撫でた。
白ツバキの押し花。
それは、風蘭が紫苑に渡した花だった。
何の意味もない、ただの花。
強く、気高く、まっすぐな瞳。
迷うことなく、自らの理想を追いかけている姿を、紫苑は風蘭から感じ取れた。
「へぇ、第3公子は公務に興味があるのね」
椿が感心したようにつぶやいた。
王政に携わることなかった父王の姿を見て育ったのだ、てっきり公子全員公務には興味がないのだと思っていたのだ。
それも無理からぬことだとも。
椿は、とうに王族に関してはすべてあきらめていた。王族がこの国を変えてくれるとも思っていなかった。
王族も、11貴族も、そして州主も、頼りにはならない。
全員が全員、自らの一族のため、自らの誇りと矜持のためにしか動かない。
その下で、何の力も持たない民たちが為されるままにしかならないことを知っていても。
だから、椿は頼りにしていなかった。
頼りになるのは、自分だけ。自分と、自分が信じたものだけ。
彼女は王族も、11貴族も、信じてなどいなかった。
「風蘭公子さまは庭院によくいらっしゃるのかしら?わたくしも庭院に出てみようかしら」
「だめです」
槐が立ち上がりながらそう言うと同時に、背後から声が聞こえた。
「薄墨さん・・・・・・」
少し怯えたように、紫苑が彼女の名を呼んだ。
薄墨は、紫苑と、そして槐、椿の3人の妃候補のお世話係だった。もっとも、その任務を果たしてくれることは少なかったが。
「まったく。何度申し上げればご理解いただけるのですか。姫様たちは、あまり室から出てうろうろされぬよう、あれほど申し上げているではありませんか。庭院などもってのほかです」
「では、問いますが」
完全に薄墨を見下した態度で、槐が口を挟んだ。
「わたくしたちの妃審査はいつ始まるのですか。いつまで、わたくしたちはここに『監禁』されていなければならないのです?」
いらいらした口調で問いかける槐に、薄墨は冷ややかに答えた。
「それはわたしたちにはわかりかねます。後宮にいらっしゃることが苦痛であるようならば、どうぞ、お引取りくださいませ。あえてお止めはいたしません」
うまい具合に言い返され、槐はぐっと言葉に詰まった。そのやりとりを見ていた椿が、何の気なしに、さらりと聞いてみた。
「一応、妃候補でもある姫に、そんなこと言っていいの?あなた、そんなに位の高い女官でもないんでしょう?」
「位は高くはありません。ですが」
きっぱりはっきりと、後宮女官である薄墨は告げた。
「わたしはいずれ、芍薬公子さまの妾妃となります」
一瞬、その場が凍りつく。
薄墨の言った言葉を理解するのに、3人の姫たちはしばらく時間がかかった。
やがて、真の姫ではない椿が、最初に言葉を発した。
「えっと・・・・・・それは、あなたは、いずれは女官ではなく、妾妃として後宮で暮らすってこと?」
「そうなります。姫様がたが海燈に集まれる前より、わたしは芍薬公子さまにお世話になっておりました」
自信満々に、堂々と薄墨は言う。
それを頭のどこかでぼんやりと聞きながら、紫苑は妙に納得していた。
あの、薄墨が彼女たちを見る、目。
なぜ、自分がこんな仕事をしなければならないのだ、という不満のこもった瞳。
紫苑は、まだ妃になるかもわからない自分たちの面倒を見ることが嫌で、そんな態度をとるのだと思っていた。
だが、今、薄墨の話を聞いて、納得した。
あれは、嫉妬だ。
芍薬公子の愛を受けながら、けれど正妃になることはない。
妾妃になる彼女が、正妃になる姫たちの世話をする。
この人員配置をしたのが誰かはわからない。中部の人間か、後宮の女官なのか。薄墨が妾妃となることを知っていてのことなのか、そうではないのか。
とにもかくにも、趣味の悪いことだ。
「ですが、仕事は仕事です。芍薬様が王となり、正妃をおとりになるまでは、わたしは妾妃として召し上げていただくことはできません。それまでは女官の仕事をするまでです。そして、わたしの今の仕事は」
薄墨は、じろり、と紫苑たちをにらみつける。
「あなたがたをこの室から出さないこと、です」
ここまで来て、やっと槐が、彼女らしさを取り戻した。
「いくらあなたが妾妃となる者であっても、わたくしたちにそんな態度をとっていい理由にはなりませんわ。少なくとも、今のわたくしたちは、あなたよりも位が高いのですから」
こちらも位や権力を自らの誇りとしている姫である。一瞬でも分家の娘に虚をつかれたことが、悔しいらしい。
「わたしは、いつでも姫さまがたに従順に接しているつもりですが?あなたがたを迫害した覚えも、邪険にした覚えもございません」
薄墨も負けずにつん、として言い返す。
権力や位が、そんなにこの世界では大事なのだろうか。
紫苑は、幼い頃から脳裏を掠めるその自問を再び持ち上げる。
だが、口には出せない。
なぜなら、彼女もまた「地位」と「権力」のある「姫」だったから。
いくらそれらに興味がないと言ったところで、それに守られてここまで育ってきたことに変わりはないから。
それくらいのことは、紫苑でもわかっている。
けれど、薄墨は違う。
11貴族とはいえ、分家の姫と、本家の姫の扱いは雲泥の差だ。その苦渋を舐めてきた薄墨が勝ち取った、次代王の寵愛は、決して手放してはいけない『権力』なのだろう。
先王芙蓉王にも、妾妃が12人いると聞く。
芍薬公子の妾妃となる者たちも、いずれは薄墨だけではなくなるのだろう。
王の寵愛を奪い合う争いが、後宮を取り巻くのだろうか。
そして、紫苑もまた、正妃となることができたら、その争いの渦に巻き込まれるのだろうか。
「王の寵愛を奪い合う合戦か・・・・・・上等ね」
まるで紫苑の思考を読み取ったように、椿がつぶやいた。幸い、槐には聞こえていなかったようだが、紫苑はぎょっとして椿に振り向いた。
雲間姫・・・・・・のフリをした椿は、不敵に笑った。
「男の愛を試しながら奪い合うのは、不得手ではないわ」
「・・・・・・え?」
聞きかえす紫苑の言葉には、椿は答えない。
なるほど。柘植が妓女たちから雲間姫の身代わりを探そうとしたわけだ。
妓女は男の愛を掴んで、『次』を得る。上にのぼる。
どうすれば男が喜ぶか、何を望むか、叩き込まれて育っている。
妾妃たちのなかで、正妃としての地位を守りながら、王の寵愛すら奪おうとしたら、妓女並みの『技量』がいる。
だから、椿が選ばれたのだ。
柘植は、霜射当主は、自らの一族の地位をもっと確かなものにしたかったから。
娘を正妃として召し上げれば、朝廷での権力もまたさらに強固となるから。
だから、王から選ばれるために、妓女を姫の身代わりにしたのだ。
「えげつないねぇ、州主さまも」
誰にも聞こえないほど小さな声で、椿はつぶやく。
けれどその一方で、なんともおもしろくなってきたとも思う。
なるほど、ここも雅炭楼と大差ないわけだ。
違うのは、客人はただひとり。そして敵は多数。
石榴の言った、『戦』とはこのことだったのか。
「負ける気はしないね、この戦」
薄墨と槐が言い合い、それをおろおろしながら見ている紫苑を見つめながら、椿は再び不敵な笑みを浮かべた。
だが、霜射 雲間の身代わりとして後宮にいた椿だったが、思いもかけない『あること』で、突然そのクモマ草の衣を脱ぐときがやってくる。




