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二章 交わる絆 七話









7、縁は異なもの








風蘭の八つ当たりの相手はいつだって連翹だった。


幼い頃から、気付けばずっと一緒にいた。そばにいてくれた。




彼は、連翹を兄のように慕っていたが、連翹は決して馴れ合ったりはしなかった。『守護者』『従者』として風蘭と相対した。




風蘭には約束された未来はないというのに、まるで未来の王に従うかのように、連翹は従順に風蘭のそばにいた。


それが、いつからだろうか。


彼が、風蘭のことを「坊ちゃん」とからかうように呼ぶようになったのは。






だが、今の風蘭には、それをゆっくりと考えるだけの余裕はなかった。






「蘇芳のやつ!!!いちいちいちいち嫌味なやつめ!!!くっそ~~!!!」


わけのわからない苛立ちの叫びをあげながら、風蘭は回廊を徘徊する。その足取りには、あきらかに八つ当たり的な力強さが増している。






ほんの数刻前。


風蘭は、朝議の場で、高官の一斉異動を申し出た。彼の意向としては、怪しいと踏んでいる民部の人事異動を行いたいという思いがあったのだが、新王即位の折に一斉異動もいいのでは、と思ったのだ。


腐った根は、早急に排除せねば、国が倒れてしまう。




いつまでも、蘇芳の独裁政権でいいわけがない。




が、蘇芳は風蘭のその提案を冷笑と共に一蹴した。


「風蘭公子、文官ごっこはもうおやめください。それから、人事異動に関しましては、式部が全権を握っておりますので、風蘭公子の独断で執り行うことはできかねます。もし、万が一に高官の異動を執り行うとして」


心底馬鹿にしているのが丸わかりの冷笑で、蘇芳は風蘭に問いかける。


「各々の職務の実権を握る高官すべてを廃し、残された未熟な者たちだけで、果たして政務を果たすことができましょうか」






風蘭には、返す言葉が無かった。


蘇芳の態度も言い方も腹の立つ思いだったが、それでもあの憎らしい執政長官の言うことは、正しかった。


それを認識するだけの冷静さは、かろうじて彼にも残っていた。




今日は決して感情的な態度はとらない。


今日は芍薬兄上が新王となることを決議する朝議だ。




だから、おとなしくしている。


そう思っていた。




・・・けど。






「わたしは、ふざけた気持ちでここにいるわけではない。あなたが何と言おうと、わたしは絶対に不正を暴いてみせる」


傍らで立っていた芍薬が、目に手を当ててうんざり、といった表情を浮かべ、蘇芳と風蘭の争いを初めて見た木犀は目を丸くしていた。




風蘭は蘇芳に言いたいことだけ言うと、それ以上なにか言われる前にさっさと室を出て行った。


おそらく振り向けば、勝ち誇った笑みを浮かべた執政長官を見ることになるので、決して後ろを振り向かないように早足で。








そして今、彼は沸き起こる怒りをぶつける場所もなく、踏み出す足にすべての怒りをこめながら回廊を徘徊しているのだった。


決して迷っているわけではない。


連翹を探しているのだ。






政治堂を出れば連翹が控えているのかと思ったら、さすがに官吏が集うあの場では待ちづらかったか、彼の姿は無かった。


そこで、風蘭は連翹を探すべく歩き回っているのだ。




もしかしたら木蓮と共に民部の調査をしてくれているかもしれない。


そう思って民部の棟のあたりも見てみたがいない。


期待を裏切られ、がっかりした気分で、彼はその場に立ち尽くした。






文官として働く、とはいっても、官職のない風蘭に具体的な仕事はない。


官服を着て朝廷をうろうろするのは、風蘭を公子と知ることのない下っ端官吏たちの目を欺くためでもあった。彼らのうわさ話ほど頼りになるものはない。




けれど、今朝は新王を定める朝議を執り行うために、各官職の高官たちが席をはずしているため、文官の姿も見当たらなかった。


これならば風蘭の身の危険もないと判断し、連翹は後宮に戻ったかもしれないと思い直し、彼も後宮に戻ることにした。




今日は民部の調査を行うような気分にはなれない。








「・・・思い出すだけで、ほんっとに腹立つな・・・・・・!!」


それでも思い出さずにはいられない。


あの表情。あの態度。あの言い方。


なにもかもが腹立たしい。






「ん、なんだ?」


いらいらしながら後宮の回廊を歩く風蘭の目に、珍しい光景が入り込んできた。


後宮の庭で、なにやら女官が花を摘んでいるのだ。片腕はすでにいっぱいの花束を抱えており、その上でその女官は手をいっぱいにのばして、枝の先に咲き誇る花を取ろうと苦心しているようなのだ。


「・・・・・・なんだ、これがほしいのか?」


ぱきん、と音を鳴らして、彼はその枝を手折ってその女官に渡した。


「きゃ・・・・・・!!」


突然背後に現れた風蘭に驚いたのか、その女官は腕に抱えていた花束を一輪も残さずに落としてしまった。


「あぁ、すまない、驚かせたか?」


足元に舞い降りてきたコスモスの花を拾い上げながら、風蘭は女官の顔を見た。




一瞬で、奪われた。




儚く幼い顔立ち。芯の強そうな瞳。雲のような柔らかそうな髪。




風蘭の姉姫や妹姫に比べれば、それは大した女でもなかった。どこの貴族にでもいそうな女官だった。




けれど、風蘭は一瞬で奪われた。惹きつけられた。






「いいえ、こちらこそ失礼いたしました」


風蘭の心情など知る由もなく、その女官はぺこりと頭を下げると、落ちた花たちを拾い始めた。


「花を・・・・・・どうしているんだ?」


すぐに立ち去る気にはなれず、風蘭はとりあえずそんなことを聞いてみた。


「室に飾るのです。幸い、このお庭には秋の終わりだというのに花が色々と咲いて・・・・・・」


説明し始めた女官の言葉が止まり、目が大きく見開かれた。


「もしや、風蘭公子さま・・・?」


「あぁ、そうだが?」


女官が風蘭を見て、すぐに公子だと認識できなかったことに、別段彼は驚きもしなかった。女官といえど、3公子や姫君たちの話や名前は聞いたことがあるだろうが、実際彼らに会うこと、見かけることができるのは、高位の女官だけだ。


公子は特に、後宮の中でも少し隔離された室にいるため、その姿を見かけることも少ないだろう。






風蘭が風蘭だと認識されたのは、もしかしたら今彼が着ているフウランの衣のおかげかもしれなかった。めったに会うことのない女官のなかでは、公子3人だってきちんと顔を知られているのか疑わしいものだ。






「た、大変失礼いたしました・・・・・・」


あわてて立ち去ろうとした女官の手を、気付けば風蘭は握り締めていた。


「そんなに多くの花を抱えて、どうしようというのだ?室に飾るとか言っていたな?」


「あ・・・はい。とは申しましても、このあたりの室にしか飾れないのですが・・・・・・」


なるほど、後宮の奥までは行くことを許されていない、下級の女官といったところか。


後宮の室に花を飾るなんて風習はなかったと思う。


おそらく、この女官の機転だろう。






けれど、風蘭にとって、花は・・・・・・。




「・・・・・・なぜ、花を?」


沈んだ瞳で問いかける風蘭に、困惑した様子で女官は答える。


「室に花があるだけで、気持ちが華やぎませんか?目を楽しませ、香りで気持ちを落ち着かせる。初めて室に入ったとき、一輪も花がなくてさびしく感じたのです」


それからその女官は、少し寂しそうに笑った。


「けれど、後宮内を遠くまで行けない私は、ここまでしかできません。室の周りを掃除して、花を飾り、身近な室にも花を生ける。なにか私にもできることはないかと考えたのですが、無力な今の私にはこれくらいしかありませんでした」


地に落ちた最後の一輪を拾い上げ、再び片腕いっぱいの花束を抱えて、その女官は器用に風蘭に礼をした。


「それでも、今私にできることを精一杯やろうと思いました。庭の景観を損なわない程度にお花をいただいていたのですが、無断で失礼いたしました、風蘭公子さま」


「・・・・・・それは、構わないが・・・・・・」


風蘭は、女官が抱える花束の中に、先ほど彼が手折った枝を見つけた。


サクラの枝を。




「・・・冬に咲くサクラなんてあったんだな」


その枝を彼女の腕から引き抜き、珍しそうに眺めた。後宮に生まれ育ったというのに、その庭に冬のサクラがあったなんて知らなかった。


「啓翁桜というのです、公子さま。春に咲くサクラとは違い、幹は太くなく、形の良い枝が何本もまとまって1つの株を形成し、花びらからはさわやかな香りを漂わせるのです」


たしかに、その女官の言うとおり、なんとも冬に似つかわしくないほどさわやかな香りがその花から香ってくる。


「このお庭は素敵ですね。コスモス、クリスタルロゼア、ブラキカム・マウブディライト、ヘリアンサスなど、色鮮やかな花が咲いています。このお花を少しだけいただいて、室に飾るだけで、室もとても華やかになるのですよ」


そこで、あまりにも馴れ馴れしく話しすぎたと気付いたのか、女官はあわてて口元を押さえ、再び申し訳なさそうに礼をとろうとした。


「も、申し訳ありません、公子さま。馴れ馴れしい態度を・・・・・」


けれど、風蘭がそれを止めた。




「いい」


「で、では・・・・・・その啓翁桜を風蘭公子さまの室にお持ちになられますか?枝を短く切って飾られても、そのままの長さで飾られても、趣が違うのですよ」


「・・・・・・それで・・・・・・」


突然風蘭の視線がひどく冷たく鋭くなったので、その女官は怯えて肩を縮めた。


「それで、おまえの名は『サクラ』とでもいうのか」


女官が風蘭の急変ぶりに怯えているのはわかっていた。


だが、風蘭はもううんざりだった。






『花』を渡して渡され、まるで義務のように押し付けられる。


花が華やか?趣がある?


そんなもの、風蘭は感じたことがなかった。


どの花を見ても、まるで自分に選択を迫ってきているようで、鬱陶しかった。




早く自らの『花』を誰かに託せと。


父王のように『花』の渡せない孤独な王族とならないために。






「俺にこのサクラを渡し、おまえは俺の妾妃にでもなるつもりか?」


先ほどまで、たしかにその女官に心惹かれていたというのに、花が絡んだ途端、風蘭の心の中は乱れ始めた。


最近特に、風蘭の周りには、妾妃になろうと色仕掛けをあれこれとしてくる女官が増えている。風蘭と芍薬、このふたりが王位を継ぐに近い位置にいるせいだろう。






「い、いいえ、風蘭公子さま。私の名は、紫苑と申します。サクラではありません」


その女官の言葉で、風蘭ははっと我に返った。


「コスモスでも、クリスタルロゼアでもありません。どうぞ安心してこのサクラをお持ち帰りくださいませ」


紫苑、と名乗った女官の笑みに、風蘭は再び固まった。風蘭の苦悩を見透かしたように、それを包むかのような微笑み。


「貴族にとって、『花』を他人に渡すことはたしかに『信頼』の意となります。それが王族の方となると、『花』はそれ以上の意味をもつことになるのでしょうね」


紫苑は、にっこり笑って、風蘭をまっすぐ見つめて優しく言った。


「風蘭公子さまはお優しいのですね」


「・・・やさしい・・・・・・?」


女官の言ったことが理解できず、風蘭は鸚鵡のように聞き返す。『花』に異常なほど過敏になっている自分が「優しい」など、悪い冗談だ。


「公子さまは、『花』で誰かを縛るのがお嫌いなのではありませんか?」


おっとりと、けれど確実に風蘭の核心に触れた彼女の言葉に、風蘭は目を見開いた。それだけで、彼女にはわかったようだった。


「私にも、故郷に『花』を渡したかった者がおりました。けれど、渡せませんでした。『花』は『信頼』の証。けれど、それを渡すことにより、『信頼』を押し付けることが怖かったのです」






『花』は『信頼』の証。


同時に、決して裏切りを許されない『絆』であり『鎖』。


風蘭には『花』がそう思えてならなかった。






この女官が、自分の気持ちを理解してくれている。同じ気持ちを抱いている。


「そう・・・だ・・・。俺は、『花』の持つ意味も力もわからないのに、むやみに渡せないし受け取れない・・・・・・」


手に握る啓翁桜の枝を見つめながら、言い訳するかのように風蘭はつぶやく。


「まだ、渡せないんだ。俺は、俺に自信がつくまで、俺の果たすべき使命を見つけるまで、『花』は渡せない」


「使命、ですか?」


風のようにさわやかに優しく、紫苑が問いかける。不思議と、風蘭は紫苑の問いかけに答えていた。


「あぁ。いつか、俺がこの国のために、すべき使命を見つけたら、そしてそれに同調してくれる者が傍にいたら、その者に花を託そうと思う」






今まで胸の中でくすぶっていた思いが、初めて口に出て、それは彼の決心へと変わった。




そう、『使命』を探していた。


星華国のために、王を支えるために、自分ができる、自分だけの『使命』。


それを果たすとき、そばに連翹がいてくれたら。


そしたら、渡せるだろうか。『花』を。






「風蘭公子さまは、星華国に・・・・・・王政に興味がおありなのですね?」


晴れ晴れとしてきた風蘭とは対照的に、今度は紫苑と名乗った女官が声を硬くして彼に問いかけた。まるで、試すように、確かめるように。


「あぁ、ある。俺は父上のように、蘇芳の・・・・・・蠍隼執政官の独裁を決して許さない。王になる兄上を支え、国を支えたい。俺は王政を執る場のそばにありたいんだ」


強く、気高く、まっすぐにそう告げた風蘭に、紫苑は再度問いかける。


「王政に興味がおありで・・・・・・なのに、王にはおなりにならないのですね・・・?」


「ならない。俺は王の器じゃない」


苦笑しながら、蓮姫に言ったことと同じことを彼は言った。


風蘭の答えを聞くと、満足したのか、紫苑は花を抱えながらじっと考え込み始めた。その様子を見ていて、風蘭は彼女に愛しさを感じ始めていた。






それが、どんなものか、彼にはよくわからない。


けれど、蓮姫に対する愛しさとも、母である桔梗に対する愛しさとも違う気がした。


ただ、もっと話していたい、もっとそばにいてほしい、そんな思いがこみ上げてきた。






「・・・・・・紫苑、といったな」


名前を呼ばれ、紫苑はぱっと顔を上げた。


「はい」


「・・・・・・この花には、他意がないのだな」


手に持つ啓翁桜を見ながら風蘭は問いかけ、紫苑は再び微笑んだ。


「ございません。あるとすれば、風蘭公子さまの輝ける未来をお祈りする思いだけでございます」


「・・・・・・そうか、ならばもらっていこう」






寒さに負けずに花を咲かせる、季節外れのサクラ。逆境にも負けずに花を咲かすこのサクラのように、自分もまた、この逆境におぼれることなく自らを貫けるように。


今後、このサクラを見るたびに、風蘭はこの女官のことを、言葉を、微笑を思い出すのだろう。






「・・・・・・ならば、俺もおまえに花を」


すぐそばに咲いていた白いツバキの花を摘んで、紫苑に差し出した。


「俺もまた、他意はない。そうだな、俺の話を聞いてくれた礼、といったところか」


「そんな、恐れ多いことでございます。・・・・・・けれど、風蘭公子さまのご好意、その花はいただきます」


白く細い小さな手が、風蘭から白ツバキを受け取る。垢切れひとつないその手を見て、風蘭はふと、首をかしげた。


「紫苑、おまえはどこの女官なんだ?水女や火女にしては手が綺麗だし、衣女以上の女官がこんなところで掃除や花を生けるなど雑用をするものか?」


「え?いいえ、風蘭公子さま、私は・・・・・・」


「紫苑姫!!!」


紫苑がなにかを答えようとしたそのとき、後宮の回廊の彼方から別の女官の叫びが聞こえた。


「またこんなところで!!室をおいでにならないでくださいと何度申し上げればおわかりいただけるのですか?!妃候補の方が、こんな雑用ばかりなさらないでくだ・・・・・・」




紫苑に向かって説教を叫びながら歩いてきた女官は、そのそばに風蘭が立っているのを見つけると、言葉を切り、その場に固まった。風蘭もやってきたその女官のことはよく知っていた。


「ふ、風蘭公子さま・・・・・・」


「・・・・・・薄墨、今、なんと言った?」


混乱している薄墨と同じ、いや、それ以上に、風蘭は混乱していた。


「はい?」


「薄墨、この者は、女官ではないのか?」


風蘭は、きぃきぃと怒りながらやってきた女官に向かい、白ツバキを手に持ったやさしく微笑む紫苑を指差してたずねた。


「いいえ、風蘭さま。この方は、妃候補のおひとり。女月家の姫君、紫苑様です」


全く敬意を感じさせない紹介を薄墨はした。彼女は、風蘭の眼がみるみる大きく見開かれるのを不思議そうに見ていた。


「どうかされましたか?」


「なんでも・・・・・・ない・・・・・・」


ふらふらと風蘭はその場を離れた。








片手に啓翁桜を握りながら。


はらはらと回廊に残す花びらにすら、視線を向けずに。




風蘭は、真っ白な頭のまま、自らの室へ戻った。






胸に宿った失望の意味もよくわからずに。












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