二章 交わる絆 五話
5、見ての極楽、住んでの地獄
芙蓉の死という、突然の訃報をうけ、紫苑たち妃候補3人は、海燈に放置されてしまった。
妃審査も全然始まっていなかったのだが、国王の崩御という一大事に審査官である中部長官や神祇所の人々もみな水陽に帰ってしまった。
なにがなんだかわからない混乱の中、紫苑、槐、椿は取り残されてしまった。
「芙蓉陛下の御崩御なんて・・・・・・本当かしら・・・?」
その知らせを受けたばかりの頃、まったく現実味がなく、紫苑がそんなことをつぶやいた。
「まぁ、信憑性は高いかもしれないわね。急に周りの人たちがばたばたし始めたわけだし」
のんびりと室を見渡しながら、椿は言った。室の外では慌しく動き回る人々の足音が聞こえる。
「ということは、しばらくはお妃審査どころではありませんね・・・」
槐もため息混じりにそう言った。
「国王が御崩御されたということは、1年は喪に服すことになるわけですわね。そうしますと、芍薬公子さまの戴冠も、婚儀も、それ以降となりますわね」
「私たちはどうすればいいのでしょう・・・」
「帰っていいのかしらね」
槐と紫苑がこれからのことに憂いて嘆息しているのを横目に、椿はどうでもいいことのようにつぶやいた。
実際、こうなってしまうとどうでもいい。
この機会に、実は雲間姫もすでに死んでいることを公表してしまえばいいではないか。国王の死に比べたら、たいした知らせでもあるまい。
そうすれば、椿ももう、ここから離れて冬星州へ、雅炭楼に帰ることができるというもの。勝ってはいないが、負けてもいない戦いだ。
「なにをおっしゃるの、雲間姫。いくら審査官がいないとはいえ、まだ妃審査の途中。勝手に帰ることなど許されませんわ」
槐が眉を寄せてそう言うのを、紫苑が横で大きく縦に頷きながら聞いている。ふたりとも、雲間姫に扮した椿の発言が信じられない、と言った表情だ。
どうせなら、この機会にこのふたりにも真実を告げておこう。
「槐姫、紫苑姫。大事なお話があるんですの」
椿の真剣な表情に、ふたりもじっと聞き入る。
「実はわたくし・・・・・・」
「雲間!!!」
椿が真実を告げるよりも早く、素晴らしい頃合で柘植が室に飛び込んできた。
冬星州州主、霜射家当主のお出ましに、槐も紫苑もあわてて立ち上がり、礼をとった。
だが、柘植はそんなもの視界にも入れていなかった。残念そうに、鬱陶しそうに、柘植を見上げる椿をぎろっと睨み付ける。
「なにを、している」
「なにもしておりませんわ、『お父様』」
雲間姫になりきった椿が挑戦的に言い返す。そんな彼女の腕をぐいっと引っ張ると、柘植はそのまま室を出て行った。
残された紫苑と槐は、突然の出来事にただただ目を点にしていた。
「なにを言うつもりだった?!」
ふたりきりになった途端、柘植は椿にそう問いただした。
「真実を、告げるつもりでしたけれど?どうせ国王の死よりも軽んじられ、そう追求もされずに終わりますよ」
クモマ草の刺繍のはいった衣をさっさと脱ぎ捨てて、椿は言った。
「真実を告げるだと?!誰がそんなことを許可したと思っている?!」
決して怒鳴りはしないが、氷のように冷たい口調で椿を責め立てる。
「正体を勝手にばらすことなど認めない。おまえは最後まで『雲間姫』を演じきるのだ。そのまま妃となれば、永遠に『雲間姫』として生涯を終えろ」
椿そのものの存在をチリほどにも気にかけないその物言いに、彼女もつい言い返してしまう。
「それは、州主としての命令ですか?それとも、本家当主としての願いですか?」
柘植の剣幕に臆することなく、非難するような視線を椿は彼に送る。だが、彼はあっさりとそれを受け流した。
「どちらであったとしても、おまえに教える義理はない。おまえは、おまえの務めを果たせ。石榴の顔をつぶすつもりか?」
にやり、と策略的に笑う柘植を、今度は椿がにらみつけた。石榴の名を出されれば、椿が弱いことを知っているうえで、そう言っているのだ。
「いいでしょう、わかりました。『雲間姫』として、最後まで演じきりましょう。ですが、王妃となったその暁には、必ずやあなたを星官の座から引き摺り下ろしてみせますから、ご覚悟を」
脱ぎ捨てたクモマ草の衣を再び羽織って、室を出ようとした椿の背中に、柘植は言い加えた。
「おまえたち妃候補は、水陽にて審査を行うこととなった。異例のことだが、致し方ない。後宮での審査となると、我々星官であろうと立ち入ることはできない。いいか、決しておかしな真似はするな」
椿は柘植のその忠告に返事をすることもなく、室を出た。
人を人とも扱わない、冬星州州主、霜射 柘植。椿に雲間姫を演じさせ、妃として召し上げ、得ようとするものは何なのか。
地位か、名誉か。
くだらない貴族の誇りの奪い合いに、椿は辟易していた。
そんなことよりも他にやることはあるだろう。
「妃となったら、絶対に王の首根っこ捕まえてでも王政を執らせてやる」
そして、柘植を星官からはずしてやる。当主としても、州主としても最低なあの男を。
一月弱、彼女たちは海燈で足止めをくらったが、いよいよ水陽に到着する日が近づいてきていた。この頃になると、さすがに紫苑たちも芙蓉の死を、現実味を持って受け止めることもできるようになっており、町中が喪のために暗く重い雰囲気になっていることをじりじりと感じ取っていた。
3人の妃候補が後宮に到着すると、すぐに何人かの女官が彼女たちを出迎えに来た。
「後宮筆頭女官をさせていただいております、淡雪と申します」
『とびきり美人』という言葉がぴったりとあてはまるその女性は、自己紹介をすると後ろに控えていた女官たちに紫苑たちの荷物を運ばせ始めた。
紫苑は、その女官たちの中に野薔薇がいないかどうか、ひとりひとり確かめてみたが、残念ながら野薔薇らしき人物はいなかった。
「芙蓉陛下の突然の御崩御のため、後宮内も混乱しております。姫様たちにおかれましては、審査試験が終了するまで、どうぞ室からあまりおいでになりませぬよう、お願い申し上げます」
筆頭女官と名乗った淡雪は、3人の姫にぴしゃりとそう釘を刺した。
後宮内は混乱しているのだから、あまりうろちょろして邪魔をするな、と。
椿は、石榴とは違う種の美人の顔立ちをしている淡雪をおもしろそうに見た。彼女は、はきはきと物言いをする人が好きだ。貴族のように一体何重に包まれているのだかわからない、お世辞や言葉に惑わされるよりも、はきはききっぱりと主張してくれる人のほうが好きだった。
どうせ後宮で一生を過ごすことになるなら、妃ではなく、この淡雪の元で働いてみたいものだ、と椿は純粋にそう思った。
3人の姫は、そのあと、それぞれに割り当てられた室に閉じ込められた。それぞれに側女代わりの女官があてがわれた。
用件があれば、この女官たちが動くので、室でじっとしていろ、ということらしかった。
「後宮にて『衣女』をしております、薄墨と申します。御用がございましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
室に落ち着いた紫苑の元に、女官が入室しそう告げた。薄墨と名乗る女官の表情には、まだ妃になれるかどうかもわからぬ姫に仕えなければならないという屈辱的な表情がありありと浮かんでいた。
「女月 紫苑と申します・・・・・・。お願いいたします・・・」
紫苑も本家の姫だ。実家にいるときには、何人もの家人に様々なことを申し付けたり、頼んだりとしたものだ。
けれど、敵意にも近い視線を投げかけてくる薄墨に、紫苑はびくびくしながら応じてしまう。
「紫苑姫さま、ひとつ、よろしいですか」
年齢としては野薔薇と同じ程だろうか。ため息をつきたくなるのを必死にこらえているような、そんな話しかけ方に、再び紫苑はおびえてしまう。
「な、なんでしょうか?」
「姫さまはお妃候補のひとりでいらっしゃいます。もっと堂々となさいませ」
会って間もない女官にずばりと指摘され、紫苑はしゅんとなってしまった。
「仕事もございますので、不在いたしますが、御入用の際は、どの女官にでもお申し付けください」
うなだれる紫苑に呆れたように言い放つと、薄墨はさっさと退室していった。取り残された紫苑はなんだか惨めな気分になってきていた。
「でも、薄墨さんのおっしゃることも道理なのよね・・・」
誰ともなくそうつぶやいて、ため息をつく。
こんなことで落ち込んでいてはいけない。
紫苑は、気持ちが沈み始めた自分を叱咤した。
私は妃になるためにここへ来たのだ。こんなことでくじけてはいけない、と。
「芍薬さまをお支えするのが、妃の務めだもの」
それが、務めであり、誇り。
「でも、ずっとじっとここで待っているのも・・・・・・」
とはいえ、むやみに室を出れば、女官の反感を買ってしまう。なにか、忙しい女官たちの役に立てるようなことがあれば・・・・・・。
「紫苑姫、よろしいかしら?」
ぼんやりと窓の外を眺めながら考え事をしていた紫苑は、突然聞こえた扉の向こうからの声にぎょっとした。
「あ、はい。どうぞ」
室に入ってきたのは、槐姫だった。
「槐姫。室を出ると女官に叱られますよ?」
何の悪びれもなく室に入ってきた槐に、思わず紫苑は薄墨を思い浮かべながら言った。ところが、槐はそんなことを気にもかけていない様子で、紫苑の寝台に腰掛けた。
「女官に怯えていたら、ここで妃なんてできませんわ。すべての者にいい顔をする必要はございませんもの。女官はこの後宮での使用人。ご機嫌をうかがう必要はありませんわ」
はっきりとそう言い切った槐を、しみじみと紫苑は眺めた。
なるほど。この有無も言わせぬ口調、女官を使用人としか思わない態度、彼女は王妃というより女王そのものだ。
けれど。
「私は女官が使用人だとは思えません。だから、あまりみなさんを困らせるようなことは控えた方がよろしいですよ」
「あきれました。本当にお人よしでいらっしゃるのね」
槐は諦めたような苦笑をもらしたあと、姿勢を正し、紫苑をまっすぐ睨むように見つめた。
「わたくしは、改めて、宣戦布告に参りましたの」
「宣戦布告・・・・・・?」
「紫苑姫、王妃となるのはわたくしです。決して負けはしません。たとえ、どのような非道な試験があろうとも、わたくしはあなたを蹴落としてでも王妃となります」
槐の眼差しが変わった。
向けられた、敵意。
海燈での槐と雲間とのやりとりを思い出す。あの時の槐も、雲間に対し、敵意を露にした。
秋星州で、のびのびと育てられた紫苑には、このような敵意を向けられた経験が今までになかった。
幼い頃から、ただただ、王妃となることを夢見て勉強していた。
後宮へ行けば、夢に近づくのだと思った。
しかし、現実は違った。
王妃候補の姫君たちとの王妃の座の奪い合い。
後宮女官たちの露骨な態度。
思い描いていた後宮の生活、王妃への道のりと大きく異なり、紫苑の心は折れそうだった。泣いてしまいたかった。
そんな紫苑の心の中はお構いなしに、槐は言うだけ言うと満足したのか、そのまま室を出て行った。その足で雲間の元へも行くのだろうか。
雲間は海燈で紫苑に言った。
不甲斐ない公子に嫁ぐことを迷うのなら、あるべき道へ、紫苑が導けばいい、と。
紫苑もその考え方に賛同した。紫苑はいつだって、王のための王妃になりたかった。王は国のための王だから。
だが、違ったのだろうか。
根本的に、紫苑の考えは違うのだろうか。
幼い頃から思い描いていたものが、がらがらと音をたてて崩れていくのを感じる。
憧れの後宮に来て、さらにそれは崩れていく。
今まで自分が信じてきたもの、想い続けてきたもの、すべてを否定するように。
「父様・・・・・・」
秋星州にいる父を想う。
紫苑を王妃にするために、弟たちの教育よりも熱心に紫苑の教育に力をいれていた。父は、誰よりも紫苑が王妃になることを信じていた。
父と。
楓と。
野薔薇と。
紫苑が王妃になることを望んでいる者たちがいる。まだ、迷って泣いて、立ち止まってはいけない。
「じっとしているからいけないんだわ」
すっと紫苑は立ち上がり、考えた。
女官たちの迷惑にもならず、けれど、紫苑が後宮にいてもいいのだと思えるようななにかができないかと。
窓から見える回廊や庭に目を向ける。
冬も近づいてきた後宮の庭には、落ち葉がひらひらと舞っている。けれど、その中でもいくつかの季節の花々が誇らしげに花を咲かせている。
「室から遠くまで出かけなければ、いいわよね」
安全で暖かな場所で、守られ、大事にされて育った秋星州の姫君。
王妃という目指すべき立場に、後宮という憧れの場に、迷いを抱き始めたその姫君は、室から回廊を見渡し、あることを思いついた。
その行為が、ある偶然を生む。