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二章 交わる絆 四話









4、千里の道も一歩から








時は少し、遡る。


女月 野薔薇が後宮へはいったのは、芙蓉の死よりひと月ほど前だった。


無条件で女官勤めができるわけでもなく、お妃候補の審査試験同様、後宮女官となるにも、厳しい審査を通らねばならなかった。




秋星州からの遠路はるばるの旅に加え、後宮女官の審査も通り、野薔薇はやっと後宮へ女官として出仕できる身分となった。






それも、下っ端の下っ端、「水女」からである。


水女とは、その名の通り、水まわりの仕事を行う者の名である。水汲みや風呂焚き、洗濯、掃除はもちろん、排泄処理も行わなければならない。


水女として務め上げれば、「火女」「衣女」「徒女」、そして「側女」として妃や姫の側近として仕えることができるようになり、最高位は後宮の女官を束ねる筆頭女官となることができる。


ちなみに、その女官としての位の上げ下げを行うのは、筆頭女官や妃、姫はもちろん、中部属する采女所にもその権限があった。






野薔薇は、後宮へ来て初めて、自分の目指す「側女」までの道のりが遠いことを知った。紫苑の傍で仕えたければ、「側女」になるしかない。


そのためには、水女からコツコツと積み上げていかなければならなかった。




「側女の女官が若いのは、もっと幼い頃から女官として出仕していたからなのね・・・・・・」




自分の無知と浅はかさに、なにより最初に嘆いた野薔薇なのだった。








「本日より、後宮女官としておつとめいたします、野薔薇と申します。よろしくお願いいたします」


出仕初日、野薔薇は女官服となり、先輩・同期に挨拶した。


後宮において、姓を名乗ること、尋ねることは禁句。


後宮にはいったということは、11貴族縁の者であることは周知の事実。そしてまた、本家の姫でないことも。


ゆえに、それ以上の詮索、一族による権力掌握は無用とされ、後宮の中で彼女たちが姓を明かすことはなかった。




けれど、姓を明かさずとも、野薔薇はたちまち女官たちの噂の的となった。






年増の新人女官。






幼ければ10歳前後で初出仕すら果たす女官の世界で、たしかに19歳初出仕の野薔薇は「年増」だった。


想像通り、ちょうどお妃候補審議の時期に重なっているので、妾妃となることが狙いなのではないかと疑う女官も多かった。




野薔薇もいちいち相手にするのが面倒で否定をしなかったので、ますますその噂は信憑性を持って広まっていった。






「野薔薇さまは、公子さまのお妃になりたいのですか?」


ある日、野薔薇の同期にあたる、12歳の少女は、直球で彼女にそう尋ねた。


「野薔薇で結構よ。同期なんだし。・・・・・・いいえ。私は妾妃になりたいなど思ってない。私は、王妃にお仕えしたいの」


「王妃?・・・桔梗さまですか?」


じゃばじゃばと水拭するための雑巾を濡らしながら、少女は尋ねる。


「いいえ、今の王妃さまではなく、未来の王妃さまにお仕えしたいの」


遠い目をしながらそう語る野薔薇に、少女は首をかしげる。


「未来の王妃様?まだお決まりでいらっしゃらないですよね?」


「そうね。でも、私には、なんとなく、わかるのよ」


野薔薇は信じている。紫苑が、王妃となることを。


だから、野薔薇も這い上がらなくてはいけない。紫苑の傍へ行くために。






「あらいやだ、寝言は寝ているときにおっしゃるものよ」


くすくすと馬鹿にした笑いが背後から聞こえてきた。


「緑光さま・・・」


野薔薇と少女は同時に声をあげた。


笑いの主、緑光は、女官の下位である水女、火女を取り締まっている女官だった。馬鹿にした笑いをしたわりに、その目は一切笑っていない。


「夢のようなことを話している間があれば、手を動かしなさい。少しでも後宮を綺麗に磨き上げ、公子さまがたが過ごしやすいようにするのです」


それから、と彼女は言い加える。


「お妃さまがどなたになるかなど、あなたがたの話すような話題ではありません。特に後宮の回廊など、誰の耳に入るかもわからないのに、軽々しく話すのではありません」


緑光は厳しくふたりにそう言いつけると、さっさとその場を立ち去った。




「ま、まさか緑光さまに遭遇するとは思わなかったです・・・・・・」


始終萎縮して固まっていた少女は、呪縛を解かれたかのようにほっと肩の力を抜いた。


「でも、緑光さまのおっしゃることも一理だわ。あまりお妃さまのお話はしないほうがいいわね」


野薔薇は、自分と同じか、少し上くらいの年齢であろう緑光の仁王立ちした姿を思い浮かべながら、少女にそう告げた。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったわね?」


雑巾を絞りながら、野薔薇は同期の少女に尋ねた。懸命に床を拭いていた少女は、ぴょんとうれしそうに飛び上がって太陽のように笑った。


「私は夕霧と言います。私も、野薔薇さんがおっしゃるようなお妃さまの近くにお仕えしたいです。一緒に側女を目指しましょうね!!」


「えぇ、よろしくね」


笑いながら、野薔薇は思っていた。




この子の道は、それほど険しくはないかもしれない。


けれど、自分は険しいかもしれない。風当たりが強い。




床を水拭きしながら、ふと顔を上げる。


どこまでも続く長い長い回廊。


まるで、自分が目指す道のりのようだ、と。




それでも、野薔薇は秋星州に残る道は考えていなかった。


そこに残れば、紫苑とは二度と会えない。




長い道のりでもいい。少しずつでも努力すれば、いつか、たどり着けると信じて。






「・・・・・・それにしても・・・」


立ち上がって改めて回廊を眺めて、野薔薇は思わずため息をついた。夕霧も野薔薇の言いたいことをすぐに察知した。


「後宮とは思えないほど、汚いですね」


夕霧の言葉に、野薔薇も大きくうなずいた。


「本当に。みんな手抜きして掃除してるのね~」


女官の昇級は、仕事の出来がすべてではないことくらい、野薔薇も夕霧も知っている。


後宮に住まう王族たちに目にかけられれば、いくらでも昇級できる。


王族に接点をもてなくても、女官の人事の実権を握る上位女官や、采女所の官吏たちに気にかけてもらえれば、位をあげていける。




おそらく、その方法を知った水女たちは、仕事をこなすことが馬鹿馬鹿しくなり、適当に掃除をしていたのだろう。


というよりは、掃除よりも大事なものにめぐり合えるように、掃除そっちのけであちこち徘徊していたのかもしれない。






長く、汚れた回廊。


長く、険しい道のり。






「・・・よし、私はがんばるわ」


気を引き締め、雑巾を絞りなおす野薔薇を見て、素直な夕霧は、一緒にせっせと掃除を始めた。






「淡雪、今年の新人女官はどうですか?」


室を立ち去ろうとした筆頭女官の背に、後宮の長、正妃桔梗がそう尋ねた。


筆頭女官、淡雪はすぐに礼をしなおし、優雅な口調で告げた。


「はい、例年とは少し違う、変り種がおりました」


「変り種、ですか?」


おもしろそうに、けれど不思議そうに問いかけた桔梗を見上げるように、淡雪は顔を上げた。


「はい。秋星州より、19歳の女官が初出仕いたしました」


淡雪の言葉に、桔梗はしばらく考えた後、柳眉を寄せた。


「それは、妃の位を望んでいるのかしら?」




淡雪には、桔梗の懸念することは理解できた。


今現在、この後宮内でも、王位継承権が濃厚な第1公子芍薬や、正妃の公子である風蘭の妾妃になろうと、それだけの目的で後宮に女官出仕する者もいる。


そういう者はやはり、動機が不純なだけに仕事も不純である。


日々自分を着飾り王族におべっかを使うことだけを学び、本来の仕事を為さない。どんなに筆頭女官である淡雪や、水女たち下位女官を取り締まる緑光が注意しても、なかなかそれが変わることがなかった。




桔梗は、その19歳の少女も妾妃となるためだけに出仕してきたのではないかと懸念しているのだ。


国を思い、王政を憂う桔梗の心境を、淡雪は一番身近で感じていたため、よく理解しているつもりだった。




「いいえ、双貴妃さま。彼女は、違います。彼女は申しました。『未来の妃のために、その方のお傍でお仕えするために、後宮へ参りました』と」


淡雪は、野薔薇からそれを聞いたとき、その言葉に偽りがないことを直感で感じ取った。


彼女は今までの子たちとは違う。


本気で、上に這い上がり、妃に仕えるつもりでいる。出世や自らの見栄のためではなく、彼女の中にある、彼女の誇りのために。


「ご安心されてよろしいかと思われます」


淡雪がそう付け加えると、桔梗はほっとしたようにうなずいた。


改めて桔梗を見てみると、なんだか少し疲れているように見える。


どこか、やつれたような。






「花霞、最近双貴妃さまは具合がよろしくないのかしら?」


桔梗の室を出ると、すぐに彼女は桔梗の側女を呼びつけた。


桔梗の側女として最年長の花霞は、心配そうに桔梗の室を眺めた。


「いいえ、そんなことはありません。けれど、最近食欲がおありにならないのは事実です。夜もあまりお休みになれないご様子で」


花霞の報告を聞きながら、淡雪は同じ歳の程の彼女の頭に飾られている簪を見る。しゃらしゃらと涼しげな音をたてるその簪の花は、キキョウ。


桔梗の信頼を受けた証。


淡雪にはない。




淡雪は、後宮を取り締まる筆頭女官。


後宮の秩序を守り、後宮に住まう王族たちの相談相手となると同時に、王政に携わる采女所の官吏たちとの橋渡しもする。




だから、彼女が誰かの「特別」にはなれない。


誰かひとりに忠誠は誓えない。




この職務に誇りがある。そこに迷いはない。


けれど、やはり、うらやましかった。


花霞を飾るその簪が。




「淡雪さま?」


花霞の声で、淡雪ははっと我に返った。


「いいえ、何でもないわ。なにか、双貴妃さまに変わったところがおありの様子だったら、私に報告してちょうだい」


「かしこまりました」


桔梗の側女、花霞は淡雪に礼をすると、妃の室へと戻っていった。


どんなに桔梗の相談相手になったとしても、桔梗は淡雪に話さないことを、花霞に話すのだろう。それは、他愛のない話であったとしても。




「・・・・・・どうかしてるわね」


なぜ、今日はこんなにも人を羨むのだろう。心の中がざわめいている。


妃に仕えたいと言った、野薔薇という少女の話をしたからだろうか。


「夕霧、私はこちらを掃除しておくからね」


ふと、前方からそんな声が聞こえた。見えぬ角の先からの声だ。


淡雪はその声の主を待ってみることにした。この汚く放置された後宮を積極的に掃除しようなど、感心な水女もいるものだ。


どんな幼い少女が、慣れない水仕事を懸命にこなしているのか、淡雪は興味を持ったのだ。


そして、ぱっと勢いよく回廊の角から現れたのは、幼い少女ではなかった。


「・・・あ!!淡雪さま!!」


淡雪に気付くと、その水女は片手に持っていた雑巾と、もうひとつの手に持っていた水桶を置いて、礼をしたあと、道をあけた。


「・・・・・・野薔薇、ですね」


さすがに驚いた。


先ほどまでずっと野薔薇の話をしていたのだ。その本人が登場するとは。


「・・・はい、野薔薇です」


名前を呼ばれ、不思議そうに彼女は答えた。淡雪の視線が、床に置かれた水桶に移る。




「回廊の掃除、ですか?」


「あ、はい。申し訳ありません、見苦しいところを」


「いいえ。・・・・・・みずから進んで、掃除を?」


野薔薇には、淡雪の言いたいことはわかった。


この仕事をしてもしなくても、昇進する者はするし、しない者はしない。


だから、この回廊はこんなにも薄汚れてしまった。


「はい。積み上げていこうと、思いましたから」


「積み上げて?」


野薔薇よりもはるかに年上で、その上迫力ある美人の淡雪を彼女はしっかりと見返した。


「やるべきことを積み上げて、そうして目指す先へとあがっていこうと思いましたので」


自分の誇りに恥じないように。


紫苑に再び会ったとき、胸をはってあなたの侍女になるのよ、と言える様に。


今は自分のできることをするだけ。


「・・・・・・そうですか。では、がんばりなさい、野薔薇」


心なしか、淡雪の表情が和らいだように見えた。


筆頭女官淡雪は、優雅に野薔薇の前を通り過ぎた。角を曲がると、その先で夕霧がなにやら叫んでいる声が聞こえる。








野薔薇が、自分の仕事を精力的にこなしているその最中で、後宮、朝廷に激動が走った。


それが、星華国第27代国王、芙蓉の突然の死の知らせだった。











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