3.運命の女神は豪快に笑う
レトが目覚めると、狭苦しい洞窟のような場所にいた。洞窟と違うのは、上も横も下も、きっちりと四角形をしているところだ。
横たわっているのは柔らかな布の中だった。
人間の巣だ――と、血が教えてくれた。
なるほど。人間というやつは、こういう場所を造って暮らしているのか。
小さな四角い穴にはめ込まれた透明の板を通して外が見えた。どうやら夕暮れ時のようだ。
突然、壁を叩く音がした。
警戒していると、壁の一部が開き、人間が入ってきた。
「目が醒めたのか?」
血が人間の発した言葉の意味を教えてくれた。レトは頷いた。
人間が微笑んだ。
雌のようだった。しかし、レトがこれまでに見た人間の雌とはどこか違った。
頭に生えている毛が短いせいかもしれないが、どうもそれだけではなさそうだ。赤褐色の肌のせいか? それともエーレンを思い出させる、群青色の瞳のせいだろうか? いや、そういった外見的なものではないのかもしれない。まとった空気、内側から染みだしてくる何か。その正体が何なのか見当もつかなかったが、他の人間とは確かに違う何かを持ったこの雌に、レトはちょっとだけ興味を抱いた。
「俺はクオン」と、雌が名乗った。「ノガルドの王子だった」
雌の言葉に、うしろに控えていた二匹の雄があわてふためいた。
「簡単にご身分を明かすなど!」
「安易に正体を明かしてはなりません!」
雌に向かって小声でささやいているのだが、レトの耳には丸聞こえだ。
だが、二匹の雄の言葉よりも、レトの気を惹いたのは雌が言った言葉だった。
「ノガルド……?」
レトは、自分の喉から人間の言葉が出ることに驚いた。
二つの前肢を見、自分の胴体を見る。
その形はすっかり人間のものだった。
人を食った竜は人になる――
魔法使いの言葉が蘇ってきた。
元に戻るには、人間と愛し合えばいい――
レトは、自分に近付いてきた雌の前肢を掴むと、相手の目を見詰めて言った。
「吾を愛せ――」
レトの言葉に一瞬目を丸くしたあと、クオンと名乗った人間の雌は盛大な笑い声を上げた。
腹を抱えて笑うクオンの背後から、二匹の雄が同時に飛び出そうとしたが、クオンがそれを止めた。クオンはレトに向かって言った。
「いつでも愛そう。ただし、お前がこの俺を心の底から愛してくれるのならば」
「吾が、汝を愛せば?」
「そう、このふたりのように俺を愛してくれるのならば、俺はかれらと同じようにお前を愛するだろう」
「何をすれば、汝を愛したことになる?」
真剣に問うたというのに、クオンは再び盛大な笑い声を上げた。その背後で、ふたりの雄が顔を歪めている。
「お前は、いったい何ものだ? このアガンはお前のことを人ではないのではないかと疑っている。確かに、お前の物言いは、普通の人とは思えない」
笑いを納めると、クオンはそう問うてきた。アガンというのは、クオンの背後からレトのことを睨み付けている、背の高い雄のことらしい。
「竜――今はこんな姿だが、吾の本性は竜だ。名はレトという」
レトはありのまま答えた。
クオンは目を見開き、しばしレトの顔を見詰めたあと、眉を寄せながら言った。
「竜は人の世界に足を踏み入れることが出来ないと聞いたが?」
レトは頷く。
「吾は先達の教えを破って人間の世界にやってきた。そして人を食べた呪いで人にされた。この呪いを解くには人と愛し合わねばならないそうだ。
竜に戻ることが出来さえすれば、それでいいのだ。吾は、吾の本当の姿を取り戻したい。吾は吾でありたい。しかし、吾は愛とやらがどのようなものか知らぬ。だから、汝がまず吾を愛せ。愛し方を教えてくれれば、吾もそれにならって汝を愛そう。一瞬で良いのだ。愛し愛されさえすれば、吾は竜に戻ることが出来る」
レトの言葉を、クオンは何か真剣に考えているようだった。
人間は疑い深くずる賢い。気をつけろ――と血がささやく。
疑われているのだろうか? そう思うとなぜかとても不快だった。エーレンがレトの言葉を疑ったことは一度もなかった。竜は常に真実だけを語る。嘘も偽りもないのが竜だ。
レトもエーレンの言葉を疑ったことはない。ただ、エーレンがすべてを語ってるわけではないことを知っていた。エーレンは竜が島に縛り付けられている理由をおそらく知っていたのだろうと思う。でも、レトには語ってくれなかった。それは、レトが語るにふさわしくない相手だったからなのか、それとも、こうしてレトが自らの力で呪縛を乗り越え、真実を得ることを期待していたからなのか。それを知ることはもう出来ない。
エーレンはいつだってレトを信じてくれていた。だから、己の真実を疑われることの不快さをレトは今、生まれて初めて知った。しかし、いくら疑われても、レトにはこれ以上どうすることも出来ない。真実を語る以外に何をすればいいのかレトは知らなかった。
やがて沈黙を破ってクオンが口を開いた。
「人を愛するのに一瞬というのは無理だ。人の愛とはそんなに軽いものじゃない」
自分の言葉を疑われていたわけではないことを知って、レトは安堵した。
「では、どうすれば良い?」
素直に問う。この人間ならば、何でも率直に答えてくれそうな気がした。
「まずは互いを知ることか。相手を理解し、相手を信じ、相手を思いやるその先に愛は生じるものだと思う」
「なるほど。では、まず、汝のことを教えてくれ」
二匹の雄が再び飛び出そうとした。
クオンがそれを制して言った。
「よし、語ってやろう。でも、その前に腹ごしらえだ。お前、腹は減っていないか?」
「もう人は食べない」
そう答えると、クオンはまた豪快な笑い声を上げた。
「面白い! お前は本当に面白いヤツだ!」