2.復讐
クオンは身をねじってレメナス王の腕から逃れようとしているが、王の腕は解けない。
レトの心に怒りが燃え上がる。
しかし心臓は、身を焦がすほどの激しい瞋恚を燃え上がらせながらも、冷徹に状況を把握し、反撃の方法を模索している。なるほど、これがアガンという男の本質か。激しい熱情と、静かな冷酷が同居している。
面白い――
レトは唇の端に冷ややかな笑いを浮かべながら、魔法を発動した。
力がみなぎっている。心臓を得た今、自分が、竜の姿をしていたときと同様の、いや、それ以上の魔力を持っているのを感じていた。心地よい全能感に満たされる。今ならどんなことでも思いのままに出来そうだ。
城門の石組みの隙間から、太い蔓が生えてくる。見る見る伸びてきた蔓はレメナス王の腕に絡み付き、クオンから引きはがした。クオンは、緩んだ相手の腕を掴むと、足を引っかけて投げ飛ばした。
石の床面に背中を打ち付ける前に、レメナス王は身を捻って回転すると、手を突いて立ち上がった。クオンを憎々しげに睨み付ける。
しかし、レトは、王に反撃の余裕を与えなかった。すかさず魔法の風をレメナス王にぶち当てる。
レメナス王は吹き飛ばされたものの、城壁から落下する寸前で、魔法を行使して食い止めた。
その隙にもレトは攻撃を続けていた。宙から無数の氷の針を生み出し、レメナス王の上に降らす。
何本かの氷針が王の腕を掠めたものの、王は魔法で軽々と降り注ぐ針を砕いてしまった。
レトは攻撃の手を緩めない。無数の蜘蛛の糸が床面から噴き出し、レメナス王を縛り上げた。
王はもがいた。何度か魔法を使って、糸を切ろうと試みるのだが、周囲で火花となってはじけるだけで、頑丈な糸はますます王の体を締め付けるばかりだ。
クオンが武器庫から持ち出した剣を抜いて構える。
レメナス王は、縛られた恰好のまま、すかさずクオンに向けて魔法を発した。
城門の外へはじき飛ばされそうになったクオンを魔法で受け止め、元いた場所に戻すと、レトは、レメナス王を魔法の障壁で囲った。これで王の攻撃はクオンに届かない。
クオンは再び剣を構えてレメナス王に飛びかかろうとしたが、魔法の障壁は、クオンの行動も防ぐように作ってある。
「レト! ここを通せっ!」
「汝はそこにいろ」
クオンは口惜しそうに歯噛みした。
さて、この男をどうしたものか――
動けぬレメナス王を見ながらレトが考えていると、心臓がひとつの提案を寄越した。
今のお前には出来るだろう――と、笑いを含んだ意思がレトを挑発する。
レトは自分の心臓の強引さに苦笑しながら、この世界の地図を思い浮かべた。
図面の面白さの虜になっていたレトは、建物の図面だけでなく、この世界全体の形を描いたものにも興味を持った。アガンに地名を教わりながら、空から見たときの様子と、船で旅をしたときの感覚に照らし合わせて、方位と距離の感覚を身に付けていった。
ダングラード。
レトには未知の場所だった。しかし、地図のお陰ではっきりとその場所がわかる。ここからかなりの距離があったが、それでも、今のレトには不可能ではないはずだった。
レトは、目を閉じ、海岸線を埋め尽くす連合軍艦隊の旗艦にいる人物に呼び掛けた。
その人物が、レトの発した意思に気付き、こちらを振り向くのを感じた。
その瞬間、油断が生じていたらしい。
わずかな隙を突いて、レメナス王が反撃に出た。王の体から、黒い霧のようなものが染み出してくる。空気が腐るような気配が強まったことに気付いたときには、王を縛り付けていた糸が解け、蛇のように床面を素早く這って、レトの体に巻き付いていた。
「竜め。手出しはしないという約束はどうした」
レメナス王がレトに迫る。
「宝冠を手に入れるまで、の約束だったはずだ。汝は宝冠を一度は手にした。そのあとのことまでは、約束していない」
レトが淡々と答えると、レメナス王は憎々しげに唸った。
「小賢しいことを!」
王が、レト目掛けて術を発しようとしたそのとき、王の背後に魔法の通路が開いた。出てきたのは、獣の下半身を持つ女戦士だ。
レトがニヤリと笑うと、異変を察したレメナス王が振り向く。
その隙に、レトは自分を縛り付ける糸を破壊した。
剣を口にくわえたサザが、レメナス王の髪を左手で鷲掴みにした。
身をねじり、サザに反撃しようとしたレメナス王に、レトは、細い銀の鎖を巻き付けた。自然の中から銀を呼び集めるのは、これぐらいが精一杯だが、銀には、邪を祓う力がある。淡い光に包まれた鎖には、強力な魔力も込めてある。それでも、邪精霊の魔力を封じることが出来るのは、ほんのわずかな時間かもしれない。だが、それで充分だった。
サザが、口にくわえた剣を王の首筋に当てた。
身動きの出来ないレメナス王は、魔法の呪文らしきものを唱えだしたが、サザは構うことなく、一気に剣を引いた。
レメナス王は、首を切られながらも呪文を唱え続け、切り落とされる寸前にニヤリと笑った。
血が噴き出し、王の頭と胴が離れる。
最後に発動された魔法が、いったいどんなものなのか見当もつかず、レトは、異変に備えて身構えた。クオンもサザも、怯えた顔で魔法の効力が現れるのを待っていた。
「あ……」
サザが、口にくわえていた剣を落とした。口から出たのは野獣のような唸り声ではない。
見ると、彼女の下半身も人間のものに戻っている。
レメナス王が最期に唱えたものは、己がかけた魔法を解除するための呪文だったのだろうか? それとも、邪精霊がもたらす魔法は、他の一般的な魔法とは異なり、術者の死によって解除されるのだろうか。
サザは、一瞬憐れみの目で王を見て、王の首を顔の高さに掲げると、その唇にくちづけをした。だが、すぐに憎しみの表情を浮かべると、血の滴る首を頭上に高々と掲げた。そして、女性としては低めでやや掠れた、それでいて充分魅力的な声で人々に告げた。
「邪神と契約し、邪精霊を使ってこの世を滅ぼそうとした愚か者は討ち取った!」
邪精霊という言葉に民衆がざわつく。異形のものに対する恐怖が広がっていった。動揺は斬竜騎士団の中からも湧き起こった。王の死で、騎士団を覆っていた黒い邪気が消えている。かれらの顔には、一様に不安と戸惑いが見えた。
空気が腐ってゆくような気配が強まる。首を失ったレメナス王の体から、黒い液体のようなものが染みだしていた。
粘性の高いぶよぶよとした液体は、床面を這うように移動し、サザの足首に絡み付いた。
サザは、レメナス王の首を放り投げ、落とした剣を左手で拾い、液体を薙いだ。だが、常に形を変え流動している液体に剣はまったく効果がない。黒い液体は、サザの足を這い上がり、体を包み込もうとした。
レトは、サザの体から黒い液体を引きはがそうとして魔法を放ったが、蠢く闇の周囲で小さな火花が散っただけだった。さらに強い魔法をぶつけてみたが、サザが苦しむだけで、蠢く闇には何の効果もない。
サザの体が黒い液体で埋め尽くされてゆく。何も出来ない自分に、レトは歯噛みした。