第七十二章 負担は消えない
林川は、前のページに書いた言葉をもう一度見た。
「それでも、負担は残る。」
支える場所を増やす。
必要な物を安くする。
情報を分かりやすくする。
選択肢を増やす。
失敗しても戻れるようにする。
どれも必要なことに思える。
しかし、どれにも費用がかかる。
人が動く。
物を運ぶ。
場所を維持する。
情報を整理する。
制度を管理する。
そのためには、誰かの時間が必要になる。
誰かの仕事も必要になる。
そして、お金も必要になる。
林川は、紙の中央に大きく書いた。
「負担は消えない。」
その言葉をしばらく見ていた。
社会の中で負担をなくすことはできない。
ただ、負担の場所を変えることはできる。
利用する人の負担を減らせば、運営する側の負担が増えるかもしれない。
企業の負担を減らせば、行政の負担が増えるかもしれない。
行政の負担を減らせば、地域や住民の負担が増えるかもしれない。
林川は、そこでペンを止めた。
だから、
「誰かの負担を減らす」
だけでは不十分なのだ。
「社会全体として、どこまでなら負担できるのか」
を考えなければならない。
例えば、食べられる食品を廃棄せずに循環させる。
それ自体はできるかもしれない。
でも、回収する人が必要になる。
保管する場所も必要になる。
安全を確認する人も必要になる。
配送する場合には、その費用もかかる。
もし、利用する人が増えたらどうするのか。
物が足りなくなったら。
逆に、物が余ったら。
林川は、一つずつ書いた。
「回収」
「検査」
「保管」
「分類」
「配送」
「配布」
その下に、
「誰が?」
と書く。
また同じ問いに戻ってきた。
林川は少し笑った。
何度考えても、最後にはそこへ戻る。
誰がやるのか。
誰が費用を負担するのか。
誰が責任を持つのか。
そして、いつまで続けるのか。
そこで、以前書いた「小さく始める」という言葉を思い出した。
最初から大きな仕組みにする必要はない。
例えば、地域の一部だけで試す。
対象となる物を限定する。
期間を決める。
参加する店を限定する。
利用方法を簡単にする。
そして、実際にやってみる。
何がうまくいかなかったのかを見る。
林川は、
「試す」
という文字を丸で囲んだ。
考えるだけなら、何でもできる。
紙の上では、費用も人手も無限にある。
でも、現実には違う。
だから、小さく実施して、
本当に必要な人が利用するのか。
運営する人に無理がないか。
企業に過度な負担がかからないか。
安全を維持できるか。
利用者が恥ずかしさを感じないか。
余計な監視になっていないか。
そういうことを確認する。
林川は、また書いた。
「数字だけではなく、人を見る。」
けれど、人を見るということは、個人情報を全部集めることではない。
誰がどれだけ困っているのかを細かく記録し続ければ、別の負担が生まれる。
監視されているように感じる人もいる。
林川は、その部分にも線を引いた。
「必要な情報だけ。」
それでいいのではないかと思った。
必要以上に人を調べない。
しかし、不正や大量利用など、仕組みを壊す行為には一定のルールを設ける。
自由だけでも駄目。
管理だけでも駄目。
その間を探す。
林川は椅子に座ったまま、しばらく考えた。
以前なら、もっと単純な答えを探していた。
正しい仕組みを作る。
それを実行する。
そうすれば、問題は解決する。
今は、そう簡単ではないことが分かる。
社会には、立場の違う人がいる。
生活に困っている人。
普通に暮らしている人。
商品を売る人。
商品を作る人。
行政の仕事をする人。
地域で活動する人。
それぞれに事情がある。
誰か一人の事情だけを基準にすれば、別の誰かに無理がかかる。
林川は最後に書いた。
――負担をなくすのではなく、偏りを減らす。
その言葉を見て、少しだけ納得した。
全員の負担をゼロにすることはできない。
けれど、一部の人だけに負担が集中する状態を変えることはできるかもしれない。
そのためには、最初から完璧な答えを作るのではなく、
小さく試す。
結果を見る。
問題を修正する。
また試す。
林川は、以前の仕事で何度もやってきたことを思い出した。
工程改善も、最初から完璧な方法を作ったわけではない。
実際に動かして、問題を見つけて、直す。
社会の仕組みも、同じように考えられるのかもしれない。
ただし、そこには一つ大きな違いがある。
工場の製品とは違って、
社会の中には一人ひとりの生活がある。
だから、失敗したときの影響を小さくする必要がある。
林川は、そのことを最後に書いた。
――試すなら、人の生活を実験台にしない。
ペンを置く。
その一行だけは、何度も読み返した。
そしてノートを閉じた。
負担は消えない。
だからこそ、
誰に、
どれだけ、
どのように負担してもらうのか。
それを考える必要がある。
次は、その負担を支えるために必要になる「お金」について考えてみようと思った。




