第六十三章 余裕のない生活
翌朝。
林川は、前の夜に考えていた言葉をノートに書いた。
「余裕がないというのは、どういう状態なんだろう。」
しばらく考えた。
お金がない。
それも一つだ。
けれど、それだけではない。
時間がない。
相談する余裕がない。
失敗する余裕がない。
仕事を休む余裕がない。
少し高い物を買う余裕がない。
病院へ行く余裕がない。
何か問題が起きたときに、別の方法を探す余裕さえない。
林川は、一つずつ書いていった。
そして、気づいた。
「余裕」は、一つの数字ではない。
いくつもの余裕が重なっている。
例えば、千円の商品がある。
それを買えるだけのお金があれば、単純に考えれば「買える」。
しかし、その千円を使ったら、月末の食費が足りなくなるかもしれない。
そう考えれば、買えない。
お金だけを見ても分からない。
同じ収入でも、家賃が違えば生活は変わる。
家族の人数が違えば変わる。
通院が必要なら変わる。
交通費が多ければ変わる。
仕事が不安定なら、同じ金額を持っていても感じ方は変わる。
林川は、ノートに書いた。
「所得だけではなく、支出を見る。」
さらに、その下に、
「必要な支出を見る。」
と書いた。
食費。
住居費。
光熱費。
交通費。
医療費。
通信費。
衣類。
日用品。
生活するためには、いろいろなものが必要になる。
そして、その一部は簡単には削れない。
家賃を半分にすることは難しい。
病院へ行かないという選択も、いつでもできるわけではない。
仕事へ行くための交通費も必要になる。
林川は、そこで少し考えた。
もし生活に必要な物の価格を少し下げられたら。
同じ収入でも、残るお金は増える。
逆に、必要な物の価格が上がれば、同じ収入でも生活は苦しくなる。
当たり前のことだった。
けれど、今まで物資循環の話と、所得の話を別々に考えていた。
林川は、二つの言葉を並べた。
「生活費」
「所得」
その間に矢印を書いた。
生活費が下がれば、同じ所得でも余裕が増える。
所得が上がれば、同じ生活費でも余裕が増える。
どちらか一方だけではない。
林川は、そのことに少し興味を持った。
社会の問題は、一つの方法だけで解決するものではないのかもしれない。
物を安く提供する。
使える物を循環させる。
必要な人へ情報を届ける。
働く人の所得を改善する。
それぞれは別の政策に見える。
しかし、生活する人から見れば、全部つながっている。
林川は、そこで一度ペンを止めた。
「だからといって、何でも安くすればいいわけではない。」
企業にも費用がある。
働く人にも賃金が必要になる。
運ぶにもお金がかかる。
安くすることだけを求めれば、どこかに負担が移る。
その負担を誰が引き受けるのか。
林川は、そこまで考えてから、少し疲れた。
問題を一つ考えると、また別の問題が出てくる。
でも、それは悪いことではなかった。
むしろ、以前より問題の形が見えるようになってきた。
林川は、ノートの中央に大きく書いた。
「生活。」
その周りに、
所得。
価格。
住居。
仕事。
医療。
物資。
情報。
時間。
と書いていく。
どれも完全に独立しているわけではない。
一つが変われば、別のところにも影響する。
林川は、しばらくそのページを眺めた。
以前、工場で一つの不具合を見つけたときも、原因が一つとは限らなかった。
設備。
材料。
作業方法。
教育。
環境。
いくつもの要素が重なっていた。
社会も、少し似ている。
ただし、工場とは違う。
そこにいるのは、生活している人間だ。
同じ条件でも、全員が同じ選択をするわけではない。
だから、数字だけで全部を決めることもできない。
林川は最後に一行を書いた。
――生活を見るなら、人と数字の両方を見る。
その言葉を書いたあと、ノートを閉じた。
まだ具体的な政策を作る段階ではない。
ただ、最初に見ていた「余っている物」が、少し違って見えるようになっていた。
物が余っている。
一方で、必要な物を買う余裕がない人もいる。
その二つが同時に存在するなら。
その間には、何があるのだろう。
林川は、次にそこを考えてみようと思った。




