第四十二章 五月一日
五月一日。
朝の空気は、少し暖かくなっていた。
凌はいつもより早く起きた。
机の上には、昨日まで使っていたノートが置いてある。
試験に出る言葉。
分からなかった問題。
何度も間違えたところ。
最後まで覚えられなかったもの。
凌はそれらを一度だけ確認した。
そして、ノートを閉じた。
会場へ向かう。
電車の窓から外を見る。
四月から五月へ。
街の景色も少しずつ変わっていた。
駅を降りる。
同じように試験を受ける人たちが歩いていた。
日本人もいる。
外国人もいる。
それぞれ、何を考えてここへ来たのかは分からない。
凌は会場に入った。
受付を済ませる。
席に座る。
開始時間を待つ。
試験が始まった。
問題を一つずつ読む。
分かるもの。
迷うもの。
初めて見る言葉。
以前なら、分からない問題が出ると、その一問に時間を使いすぎていた。
今日は違った。
分からないものはいったん置く。
分かる問題から進める。
最後に戻る。
これまで勉強してきたことを、そのまま使う。
試験が終わった。
凌は外へ出た。
すぐに答え合わせをする気にはならなかった。
駅まで歩きながら、空を見上げた。
「終わった」
それだけだった。
結果は、まだ分からない。
合格しているかもしれない。
していないかもしれない。
今の時点では、自分には決められない。
駅のベンチに座る。
スマートフォンを見る。
組合から新しい連絡は来ていなかった。
会社とのやり取りも、まだ続いている。
凌は少し考えた。
一つの結果を待っている間に、別の問題も動いている。
そして、そのどちらも自分一人では完全にコントロールできない。
試験の結果は、試験を受けた時点で手を離れている。
会社との交渉も、自分だけで決められることではない。
だからといって、何もしないわけにはいかない。
結果が出るまでにできることはある。
日本語の勉強。
仕事探し。
在留資格についての確認。
必要な書類の整理。
生活費の計算。
凌はスマートフォンのメモを開いた。
「次にやること」
と書く。
その下に、一つずつ書いていく。
帰宅したあと、机の上を整理した。
試験の資料を片づける。
会社との資料をまとめる。
組合から届いた文書を一つのファイルに入れる。
介護関係の資料も別にする。
いくつもの紙が、机の上に並んでいた。
以前なら、それを見ただけで嫌になっていたかもしれない。
今は、少し違う。
全部が同じ問題ではない。
一つずつ分ければいい。
一つずつ考えればいい。
凌は、ファイルの背表紙に日付を書いた。
五月一日。
その日付を見て、少しだけ笑った。
この日も、あとから振り返れば、ただの一日になる。
けれど今は違う。
結果が出るまでは、まだ未来だった。
凌は椅子に座った。
窓の外は、もう暗くなっている。
スマートフォンが鳴った。
組合からだった。
会社とのやり取りについて、また確認したいことがあるという。
凌は文章を読んだ。
「分かりました。確認します」
そう返信した。
そして、スマートフォンを机に置いた。
試験は終わった。
交渉は終わっていない。
生活も続いている。
自分の未来も、まだ決まっていない。
凌は立ち上がった。
明日も、やることがある。
それだけは分かっていた。




