第六話:ゲバラ、株式投資に目覚める。
夏休み合宿から帰還した私たちの組織「新核派」の部室には、かつてない不穏な空気が流れていた。
ガリ版刷りのアジビラが散乱していた床は、ルンバが音もなく掃除し、壁に貼られた「三井菱粉砕」のスローガンの横にはなぜか株価チャートを表示する大型モニターが設置されている。
マルクス全集が並んでいたはずの本棚には『会社四季報』と『日経マネー』のバックナンバーがぎっしり詰められ、その手前に「三井菱グループ・株主様ご優待カタログ」が無造作に開かれていた。
「……革命。見て、ゲバラのあの姿を」
左門 左愛が、冷ややかな視線で部屋の隅を指差した。
そこには、カーボン製白ヘルを被ったまま、三台のモニターを凝視して高速でマウスを連打する前進 ゲバラの姿があった。
「よしっ、三井菱テックが反発した! 利確だ! この剰余価値を、さらなる成長株へと再投資してやる!」
「ゲバラ……あなた、何をしてるの? 私たちの活動資金を増やすために権力くんから預かった準備金を、まさか株に回してるんじゃないでしょうね!?」
私が駆け寄ると、ゲバラは血走った目で私を振り返った。
「革命! 誤解するな! これは『敵の資金を内部から攪乱するための経済的ゲリラ戦』だ! 見ろ、この配当金という名の戦利品を! 額に汗せずとも、資本が資本を生んでいく……これが、これが労働からの解放なのか……っ!」
「違うわ! それはただの『不労所得(ブルジョワの蜜)』よ! 目を覚まして、ゲバラ!」
「……無駄よ、レミ。彼の脳内報酬系はすでに、三井菱の株主優待制度によって完全にハックされているわ」
左愛が溜息をつき、自身のノートPCを開いた。
「こうなったら強行突破ね。……今から三井菱のメインサーバーに『ハイパーインフレ・ウィルス』を流し込む。三井菱が発行する全電子通貨の価値を紙屑に変え、資本主義そのものを内部から瓦解させてやるわ」
「さすが左愛ちゃん! やって! 経済の仕組みをぶっ壊して、ゲバラを現実に引き戻して!」
左愛の指がキーボードの上で踊る。漆黒の画面に流れる無数のログ。だが、エンターキーを叩こうとした瞬間――。
パチン、と。
聞き慣れた指鳴らしの音が響き、部室の自動ドア(いつの間にか自動になっていた)が開いた。
「やあ、皆さん。今日も熱心に『市場の研究』に励んでいるようだね」
三井菱 権力が、白手袋の従者に「左愛専用の最高級ゲーミングチェア」を運ばせながら現れた。
「権力くん! 左愛ちゃんの攻撃は止まらないわよ! 今すぐその資本の鎖を解きなさい!」
「おっと、左愛さん。そのプログラムを実行する前に、僕からの『特別配当』を確認してほしいな」
権力がタブレットを差し出すと、左愛の動きが止まった。
「……何よこれ。……私が密かに支援していた、国外のアナーキスト・コミュニティのサーバー代が、今後百年にわたって『三井菱クラウドサービス』から無償提供される契約書……?」
「そう。君が三井菱を倒そうとすればするほど、三井菱のセキュリティ・システムは強固になり、その副産物として君の愛するアナーキズムは保護される。……君の闘争心は、すでに僕の事業ポートフォリオの一部なんだよ」
「……っ、私の『破壊衝動』さえも、あなたの利益に計上されているというの……!?」
左愛の手が震え、ハッキング画面が「三井菱・公式キャラの壁紙」に切り替わった。
「ハハハ! 革命、見てくれ! 三井菱株がストップ高だ! 資産が……資産が雪だるま式に膨らんでいく! これなら部室にクーラーどころか、核シェルターだって建てられるぞ!」
ゲバラが狂喜乱舞し、カーボン白ヘルを高く放り投げる。
かつての「打倒・三井菱」の叫びは、今や「買い増し・三井菱」の熱狂へと書き換えられていた。
「みんな、しっかりして! 権力くん、あなた……どこまで私たちをコケにすれば気が済むのよ!」
私は権力の胸ぐらを掴もうとした。でも、彼は優しく私の手を包み込み、耳元で囁いた。
「革命。君が僕を倒そうと拳を振り上げるたびに、市場は『三井菱にはそれほど魅力的な反対勢力がいる』と判断し、投資が加速する。……君が戦えば戦うほど、僕は君を愛し、君を豊かにしてしまうんだ」
「――っ、この、底なしの"福利厚生"めぇぇぇ!」
万国の労働者よ、助けて。
武力担当のゲバラは株チャートの奴隷になり、理論担当の左愛ちゃんはサーバー維持費の前に沈黙しました。
有価証券報告書の『連結子会社一覧』に私たちの名前が載るのも、きっと時間の問題です。




