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たとえ記憶が消えたって  作者: 彩坂初雪
種を植える作業をしている人
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この印だよ

       ◆



「へえ~、ここをこう折り返すんですか?」

「はい。そうです」

 生徒会室を出た駿平といろははそのままグループホームかみくさへと向かった。

 いろはは授業に出れば、まだ出席になる時間だったが「そんな気分じゃない」だそうだ。選抜クラスの名が泣くぞと思ったが、口にはしないでおいた。

「もう一度、教えて頂けますか?」

「いいですよ」

 現在、いろはは瀬名の部屋で歓談中だ。

 駿平は職員に頼まれて利用者と一緒に折り紙をしている。

「ああ、なるほど、ここを折り返すと、ピッタリになりますね」

「そうですね。よくできてますよね」

「本当にね~」

 もう何度目になるか分からないが、駿平は熱心に折り紙を利用者に教えていた。折っているのはカラス。教えてもすぐ忘れてしまうので、何回でも教えてくださいと頼まれる。かれこれ一時間近く同じようなやり取りを繰り返していた。

 でも、それを不快には思わない。

 今、目の前にいるおばあちゃんは普段、やることがなくなるとふらふらとグループホーム内を徘徊する。この徘徊行為は認知症の代表的な症状の一つで、職員が対応に困る最たるものだ。理由はそれぞれ違うが、とにかくそこら中をふらふら歩き回るのだ。徘徊の厄介なところは動き回っている当人が認知症を持っているためどうして動き回っているのか途中で分からなくなってしまう点である。

現在、駿平が相手をしているおばあちゃんもその症状があり、職員も手を焼いている。しかし、折り紙を折るのが大好きなため、こうして相手がいると何時間でも熱中する。

 なにも知識がない、一般人なら同じことを何度も教えるのも、徘徊も、不快に思うだろうけど、駿平は違う。折り紙を折れるくらい手先が器用なのだと考える。現代の若者は折り紙を折ることができない人が多い。その中で、もう八十歳になるおばあちゃんがまだ折り紙を折れるのだ。ならば、気が済むまでとことん付き合いたいと思う。

 徘徊にしても同じことだ。どうして動き出したのか本人ですら分からなくなっても、動き出した理由は確かにあるのだ。ならば、たとえ理由が分からなくなっても利用者の気が済むまでゆっくり隣で歩けば良いと思う。

「もう一度教えてもらっていいですか?」

「はい。いいですよ」

 笑顔を崩さず、何度でも、応じる。

 そうして、さらに二十分ほどが経った頃。

「駿平、これなに――て、おお。良い匂いだ」

「ん?」

 いろはが瀬名の部屋から顔を出して質問してくる。

 駿平と折り紙をしている利用者と、瀬名以外は夕食の準備に取り掛かっている。今日は野菜炒めが出るらしい。

「これってどれ?」

 手は休めずに、いろはに聞き返す。

 すると、いろはは部屋の中に引っ込み、瀬名となにやらごそごそと物をいじっている。

「この印だよ」

 数十秒後、いろはと瀬名は二人でカレンダーを持って部屋から出てきた。

 いろはが指差したのは、五月九日の金曜日。

 ゴールデンウィークが終わった後の日にちだ。

「あー、それか」

 その日は、駿平にとって決して忘れられない日だ。

「質問に答える前に、一ついいか? 姉ちゃん、その印、誰が付けたの?」

「えっと、誰かな~?」

「あっとー、職員さんとか?」

「そうかも~」

 瀬名の回答に、駿平は慌てて他の回答を自分から言う。

 どんどん物忘れが酷くなっているという自覚がある瀬名に、聞くべきではなかった。もしかしたら後で落ち込むかもしれない。

 駿平は反省して、それからいろはの質問に答える。



「その日は、姉ちゃんがグループホームから脱走した日だよ」



 数秒間があり、それから

「ええ!?」

 グループホーム内ではあまり大声を出すなという注意も忘れて、いろはが驚愕の声をあげた。そして次の瞬間にはどうしてどうしてと詰め寄ってくる。隣に当の本人が居るのだからそんなに驚くなと言いたいが、無理もない。

「俺も、そんなことあるのかと驚いたんだけどな?」

「うん」

「ほら、グループホームに入るためには電子錠を解除しなきゃいけないだろ?」

「そうだね」

「で、あれってオートロックじゃん?」

「うん」

「それが、かかってなかったんだよ」

 いろはは眉を寄せて不思議そうな表情をする。ツインテールが左右へ揺れる。

「あれって、ロックがかかるまでに微妙に間があるだろ? その日、風が強くてさ。どうもロックがかかるまでのほんの一秒くらいでドアがちょっとだけ開いたらしいんだ。それで、ロックがかかってなくて、ふらふら~っと姉ちゃんが外へ出てしまったと。そういうことだ」

 ふーん、といろはが頷く。

 話は終わりだと言うように、駿平はどうすれば良いのか分からなくなって止まっていた目の前の利用者へ「次はこうですね」と教える。

「あ、じゃあ、あたしたちは部屋に……て、いやいや! そこで話を終わらせないでよ!」

 ズビシと見事な突っ込みがきた。

 ナイス乗り突っ込み。

「そこで終わったらその後どうなったかとか、分からないじゃん」

 が、さすがにそれをここで話すの憚られる。

「……いろは」

 視線で促すと、いろはは、しまったという顔をする。すぐそばに瀬名が居ることを完全に忘れていたらしい。

 これ以上は、瀬名にとって辛い話にしかならない。

「――と、瀬名さん!」

「ん~? なに?」

「そういえば、部屋の中に気になる写真があったんですけど、見せてもらっていいですか?」

「気になる写真? そんなのあったかな」

「とりあえず、部屋に戻ってもらっていいですか?」

「いいよ~」

 手を振る瀬名を見送って、駿平は小さくため息をつく。

 認知症があって、すぐにモノを忘れるからと、なんでも話していいわけじゃない。認知症を持つ人たちは確かに記憶を保持することができなくなるが、感情だけは残るのだ。なにをしたのか忘れてしまっても、楽しかったという気持ち、悲しかったという気持ちはそのまま残る。会話する時に、「昼ごはんはなにを食べたのですか?」と聞くのではなく、「昼ごはんは美味しかったですか?」と聞くのが良いとされる理由だ。

 本人のためにも、周りの職員のためにも、できる限り利用者が良い気分でいられるような環境を作ること。また、その良い環境を壊さないことを駿平やいろはは気をつけている。

「もう一度、教えてくださいますか?」

「はい。いいですよ」

 何度でも構わない。

 利用者が、気持ちよく過ごせるのなら、とことん付き合いたい。

日常業務があって、どうしても職員はじっくり利用者と向き合うことができない。けれど、駿平やいろはそれができる。

「ここを、こうですね」

「ああ、なるほど。そうすると、折り目がピッタリになりますね」

「そうですね」

 何度だった構わない。

 時間が許す限り、ずっと向き合おうと思う。


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