前島瀬名
グループホームの食堂兼居間にあたる、少し広めのフロアにその人物はいた。その周りにはグループホームの利用者――高齢者たちが集まっている。ソファやテーブルのイスを移動させ、笑顔でその奇妙な人物の言葉を聞いている。
「さあ諸君、私を倒してみせろ。倒すことができるのならな」
どこの星からやってきたのか、それとも染めたのか、その人物の髪の毛は桜色だった。黒一色のワンピースに身を包んでいるせいか、その鮮やかな色が余計際立って見える。
が、そんな外見はどうでもいい。桜色の髪の毛とか、非常に異常すぎるが、そんな装飾品はどうでもいい。
最もおかしな点は、その口から発されている言葉だ。演技で言っているのならまだ救いがある。ボランティアかなにかで、ここにいる高齢者たちを楽しませようとしているのなら、まだ良い。
「その程度の実力で勇者を名乗るのか。ふははははは」
しかし、見ている限り、その判別ができない。
発されている言葉全てが棒読みで、しかもお面でも被っているのではないかと思うほど、表情にまるで変化がないのだ。下手したら本気で頭のネジが数百本抜けている人かもしれない。
その珍妙な人物は止まることなく、次々と台詞を口にする。
「ふはははは。今までの三十倍は強い最強の怪物が出来たぞ。これで私の勝ちは決定した」
さらに、
「ここは、任せろ。先に行け」
まだ止まらない。
「ねえ、あれ、開けてみない?」
……何故、死亡フラグばかり立てるのだろうか。
「面白いわね~」
「黒花ちゃん、だっけ? もう一回やってよ」
利用者たちにはかなりウケているようだ。
「……」
額に手を当て、悩んでいると、後ろからやってきた康弘が解説してくれた。
「彼女、今日から入所することになった奏さんのお孫さんだよ。名前は黒花ちゃん、だったかな?」
紫色のチョッキを着ている方がいらっしゃるでしょ、と康弘。
ソファの辺りに目をやると、なるほど、そのようだ。毎日のようにグループホームに来ているから、ここにいる方々の顔と名前はすべて記憶している。確かに、見覚えのないおばあちゃんが一人いた。
「まあ、なんでもいいですけど。俺は姉ちゃんの部屋に行きますね」
「ああ、構わないよ」
どうせ、なにも関わりのない少女だ。
利用者にウケているのなら、なにをしていようと問題はない。駿平はくるっと少女に背を向けると馴染みの部屋へと足を運ぶ。
グループホームは利用している方々全員に個室が割り当てられる。共同スペースの周囲に個室があり、なにかあった際には職員さんをすぐに呼べる間取りになっている。
駿平は似顔絵つきで前島瀬名と名前が書かれた札を見て、それからノック。
どうぞという回答が来るのを待ってから、ドアを開ける。
「姉ちゃん、元気~?」
「あ、駿平だ~。元気だよ~?」
ベッドに腰掛け、読書をしていたらしい。膝の上に大きめの本が乗っていた。
駿平の姉、瀬名は赤みがかった濃い茶色の髪の毛をポニーテールにしている。駿平の髪の毛も同じ色なので、おそらく前島家特有の髪色なのだろう。
「昨日はよく眠れた?」
「うん。わたしはいつでも元気が取り得だからね~」
「そっか」
「いろはちゃんは?」
「ん? 今日、月曜日だからさ。あいつのクラスはまだ授業あるの」
説明すると、瀬名はあははと笑う。
「いろはちゃん、頭いいもんね~」
「……それは俺に対する遠まわしな注意?」
「違うよ~? でも、駿平ももう少し頭が良くなるとお姉ちゃんとしては嬉しいかな」
肩をすくめてみせてから、ざっと部屋の中を見渡す。
家から持ち込んだ家具や、ここで新しく購入したベッド。その他衣類が入っているタンスやテレビがある。窓からはきらきらと光る川が見えて、清々しい気分になる。
ぐるっと見回すが、汚れているようなところはない。
「掃除、ちゃんとしてもらってる?」
「うん。ここの職員さん、皆優しいから」
「それはなによりだな」
グループホームというのは、高齢者が暮らす場所ではあるのだが、入居するためにはいくつかの条件を満たさなければならない。
その最たるものが、認知症があるということだ。
認知症にもアルツハイマー、脳血管性、ピック、前頭側頭葉型などいろいろなものがあるが、駿平の姉、瀬名が患っているのはアルツハイマーだ。
今日、屋上で言っていた(いろは曰く独演会)ように、認知症はなにかをしようとした、もしくはなにかをしたということを忘れてしまう。なにかをしようと立ち上がったものの、なんで立ち上がったのか分からなくなってしまう、ということだ。だから、進行すると一人では料理や掃除といった家事全般ができなくなる。
厳密には、それぞれの病気によって違いがあるらしいのだが、駿平は瀬名を診察した医師からそう聞いた。ちなみに、瀬名の年齢はまだ三十二歳。この年齢で認知症状が出るのは非常に珍しく、ここへの入居も一般的な方法で入ったわけではない。
「今日のレク、楽しかった?」
「うん。楽しかったよ~。駿平は学校でなにか楽しいことあった?」
「どうだろ?」
含んだ言い方をすると、瀬名は頬を膨らませる。
「教えてよ~」
「あはは。教えるよ。えっとね――」
駿平と瀬名はかなり歳が離れているが、仲は良い。
生まれた直後に母親を亡くした駿平にとって、瀬名は母親同然だ。明るく、穏やかな性格をしている瀬名を駿平はいつも慕っていた。
家族ぐるみで前島家と交流があったいろはは、実の姉のように接しているため、会うと途端にテンションが上がる。駿平に対する態度とは大違いだ。
「ん?」
そうして、一時間ほど瀬名と話していると、不意にポケットの中の携帯がメールの着信を知らせてきた。
携帯を開き、内容を確認する。いろはからだった。
「……あー、いろは、今日来れないって」
「なになに? どうして?」
「なんか授業で課題が大量に出たんだと」
「そっか~。それじゃあしょうがないね」
駿平だけでなく、いろはも毎日のようにここへ訪れている。友達に会いにくるような感覚で、瀬名に会いにきているのだ。




