一つ、聞いていい?
「瀬名さんは、あそこの部屋にいるよ」
康弘が指差した部屋に『前島瀬名』というプレートが見える。
今更ながら、こんな場所で生活する姉が心配になった。
「瀬名さん? 入っていいかな?」
康弘がドアをノックすると、「はい」という短い返事。くぐもっていたが、聞きなれた声だった。
「こんにちは、約束してた通り、駿平君を連れてきたよ」
部屋へ入ると、瀬名の驚いた顔がまず映る。
康弘の言葉を信じるなら、一昨日から駿平がくることは知っていたはずだ。なのに、目を丸くして驚いている。おそらく、約束自体を忘れているのだろう。
「久しぶり」
どんな顔をすればいいのか迷ったが、とりあえず笑顔を作ってみせる。
「……」
でも、瀬名は驚いた表情のまま硬直。
なにも返事がなかった。
「じゃ、あとは二人でゆっくり話してね。もう少しで昼食だから、それまでってことになるけど」
「あ、はい。ありがとうございます」
気を遣ってくれたのだろう。
康弘に礼を言う。
「……」
ドアが閉まる。
瞬間、
「駿平聞いて!」
瀬名が声を荒げた。
「えっと、なに?」
戸惑いつつ、答えると、
「ここの人たち、本当に訳分かんないよ! わたしをこんなところに閉じ込めて、一歩も外に出そうとしてくれないの! 家に帰りたいって言っても聞いてくれないし、なにを言ってもダメダメってうるさい。他の人たちはあんな悪い大人たちを信頼して呑気に暮らしてるし、なんなの? 扉には年中鍵がかかってて、毎食あっちが決めた料理を食べるだけ。やることないからって寝てると夜寝れなくなるよって起こされるし、じゃあなにしてろってって話だよ。テレビ見るくらいしかすることないじゃん! お風呂だって付き添いだかなんだか知らないけど職員の人が傍にずっといるし、プライバシーの侵害もいいとこだよ。こんな個室用意してはいるけど、ベッドメーキングとか理由つけて、こっちが部屋の外にいる時に堂々と入ってくる。それに――」
「ストップ! 姉ちゃん、ちょっとストップ!」
十数年一緒に暮らしてきた駿平でさえ聞いたことがないような、激しい怒気を孕ませた声で職員さんたちを糾弾する。
「どうしてよ! 駿平だってそう思うでしょ?」
「いや、それは……」
「駿平はわたしの味方だよねっ!」
「……」
一体どうしたんだよと思う。
瀬名の言うことは正しくはあるのだろう。康弘も話していた通り、鍵をかけているのは取り方によっては拘束だ。なにもすることがないというのも事実だろう。風呂に一緒に入ってくるというのも、普通の生活ならあり得ないことだ。
けど、それは一方で仕方のないことではないかと思う。瀬名はまだ認知症と診断されて間もないからそう感じるのかもしれないが、鍵がなければ徘徊とやらで外へ出て行ってしまう人がいるはずだ。食事だってそうだろう。利用している人たちの注文に合わせた料理ばかり出していては栄養に偏りが出てしまう。もちろん、全てが職員側で決めたものとなれば考えものかもしれないが、いつも優しく、他人のことを考えてくれている康弘が管理者なのだ。そんなことはないだろう。風呂だってそうだ。きっと、認知症が進んでいる方々は風呂だって自分の力で入ることができないのだろう。瀬名は嫌がっているようだけど、『付き添い』と言っていた。つまり、事故が発生した時にすぐに対応できるよう一緒にいる程度のことのはずだ。
「駿平!」
「……」
尚、大声を出してくる姉を見て、駿平はどう返して良いのか分からなくなる。
今、駿平が頭の中で思ったことくらい、瀬名ならば察することができるはずだ。仕事面では学校の誇りとまで言われ、前島家を影で支えてきた瀬名。彼女なら、そのくらいのことはなにも言わなくても悟ることができるはずなのだ。
「……」
駿平は、考え、聞いてみた。
「姉ちゃん。一つ、聞いていい?」
「なに?」
「姉ちゃん、どうしてここにいるのか、分かってるよね?」
「知らない」




