最初の一枚
昨晩の騒動から、播磨はほとんど眠れないまま朝を迎えた。
布団に入って目を閉じても、月明かりの中に置かれていた一枚の絵皿が、何度も脳裏に浮かんでくる。
捨てたはずだった。
土の中へ埋めたはずだった。
それなのに、なぜあの皿だけが部屋へ戻ってきたのか。
考えれば考えるほど眠気は遠のき、気がつけば障子の向こうがうっすらと白み始めていた。
「……朝か」
播磨は重い身体を起こし、深いため息をついた。
戻ってきた一枚の絵皿は、夜のうちにお菊と二人で蔵へ運んである。
自室に置いておくのは気味が悪く、かといって再び土へ埋めに行く気力もなかった。
皿は厚い布に包み、さらに木箱へ納め、その上から紐で何重にも縛った。
最後には、お菊が箱の蓋へ新しく紙を貼りつけた。
『絶対解放厳禁』
前よりも一文字増えていた。
「絶対って付ければ、私が開けないとでも思ってるのか……」
播磨は小さく呟き、すぐに首を横へ振った。
「いや、開けないけど。今度こそ本当に開けないけど」
誰もいない部屋で言い訳をする。
しかし、蔵に運んだからといって安心できるわけではない。
あの皿が再び戻ってくるのではないか。
今度は一枚ではなく、埋めた九枚すべてが並んでいるのではないか。
そんなことばかり考えてしまい、播磨は何度も木箱の置かれていた場所へ視線を向けた。
当然、そこには何もない。
それでも播磨には、月明かりを受けた白い皿の輪郭が、まだ机の上に残っているように見えた。
「おはようございます。ハリマさま」
「お目覚めですか?」
障子の向こうからお菊の声が聞こえてくる。
「ああ、起きてるよ。入ってーー」
”大丈夫だ”と言う前に障子が開く。
「おはようございます」
お菊が恭しく頭を下げる。
「あ、うん。おはよー」
半ば諦めた播磨は普通に挨拶を返す。
「……あまり元気がありませんね?
どうしたのですか?」
お菊は少し心配そうに小首を傾げた。
「……そりゃあ、あんな事があった後だしなぁ」
「あまり寝ておられないのですか?」
「うん、ほとんど眠れなかった……」
「プッ。ダサッ」
「ダサいって言うな!」
「そう言うお前はどうなんだ!」
「朝までグッスリ眠れましたよ。
土掘って疲れましたし」
「掘ってないじゃん!むしろ埋めてたじゃん!」
「あ、そうそう、ご隠居様がお呼びです」
「人の話を聞けぇ!……て父上が?」
「はい、恐らく昨晩の騒動の事かと」
「っ!マズいな……皿の事が父上にバレたら」
「そうですね。
”また”呪物を買ってきたなんて知ったら今度こそ一生外出禁止になりますね」
「何か良い言い訳を考えねば……」
『お菊さーーん!怖いよーー!助けてーー!』
「なんて叫ぶから……」
「言ってない!そこまで言ってない!」
「とにかく急ぎませんと」
「くっ!そうだな……」
2人はご隠居の部屋に向かった。
※
「父上、お呼びでしょうか」
播磨は障子の前に姿勢を正して座ると中のご隠居に声をかける。
「播磨か。入れ」
「失礼します」
播磨はそっと障子を開く。
中に入るといつもの威厳のある父が腕を組んで座っていた。
「失礼します」
続いてお菊も中に入る。
「おぉ、お菊も来ておったのか。
どれどれ何か甘い物でも……」
ご隠居は相好を崩してお菊を招き入れる。
「ご隠居様。ハリマさまに話があるのでは?」
「おぉ、そうであった。
甘い物は後で2人で食べるとしよう。
すまぬが少し待っていてくれ」
ご隠居はニコニコとお菊を見つめる。
「で、播磨!」
次の瞬間、その笑顔が消えた。
「昨晩のあの騒ぎはなんだ!」
もはや別人である。
「父上!この落差酷すぎます!」
「お前とお菊が比べ物になると思っておるのか!?」
「私は実の息子ですよ!」
「だからどうした!お菊は魂の娘だ!」
「意味わかんねーよ!」
「貴様!親に向かって何て態度を!」
播磨が身を乗り出し、ご隠居も負けじと胸ぐらへ手を伸ばす。
あっという間に、親子の取っ組み合いが始まった。
「ご隠居様、ハリマさま。話を進めましょう」
「「あ、ああ」」
2人は睨み合いながら席につく。
「はぁ……」
お菊は呆れながら話の流れを見守る事にした。
※
「で、いったい昨晩の騒ぎは何だったのだ」
ご隠居は、ぎろりと播磨を睨んだ。
「ええとですね……何と言いましょうか……」
「何だ。はっきり言え」
「……実は、お菊が私の大事にしていた皿を割り、それを隠していたのです」
「おい……」
隣から、お菊の低い声が飛んでくる。
「そのことが昨晩分かり、あまりの怒りに大声を上げてしまいました。申し訳ありません」
播磨は深々と頭を下げた。
「嘘だな」
「う、う、嘘ではありません!」
「動揺しすぎです」
お菊が小声で注意する。
「お前がお菊に怒鳴る? ないない」
「な、なぜ、そう言い切れるのですか!?」
「逆なら信じるがな。しっかり者のお菊が、お前に怒鳴られている姿など想像もつかん」
「くっ……!」
播磨には、何一つ反論できなかった。
「本当なんです、ご隠居様」
そこへ、お菊が助け舟を出した。
「私の失敗で、ハリマさまの大事なお皿を……」
ご隠居は目を閉じ、黙って話を聞いている。
「た、助かる」
「貸しですからね」
二人は、ご隠居に聞こえないよう小声で囁き合った。
「相分かった。今回は、お菊に免じて“そういうこと”にしておいてやろう」
「「ほっ……」」
二人は同時に胸を撫で下ろした。
「ただし!」
二人の肩が跳ねる。
「お菊は、あとでワシと茶菓子を食べること」
「はい」
「播磨は、厠の掃除を一週間じゃ!」
「だから落差がすごすぎるってーの!」
こうして二人は、何とかその場を切り抜けた。
しかし、この時についた嘘が、後にとんでもない事態を引き起こすことを、まだ二人は知らなかった。




