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37. エピローグ

西暦4000年。


我ら【外宇宙境界銀河軍】と、天の川銀河およびアンドロメダ銀河を中心とする【局部銀河群連盟】との星間戦争は、実に300年という果てしない年月の間、完全な膠着状態に陥っていた。


星々を揺るがす数多の超巨星級兵器が虚空で激突し、毎年、数千万の精鋭艦隊が光の塵となって消え去るが、戦線はまるで氷の中に閉じ込められたかのように、泥沼の消耗戦を続けていた。


超巨大時空要塞の最高司令部には、消費され尽くしていく暗黒物質エネルギーの残量ログと、限界を迎えつつある兵站ラインの赤い警告灯が、冷酷な明滅を繰り返して映し出されている。


「第3セクターの前線陣地がまたしても消失しました、敵の局部銀河群連盟側の展開した空間防壁の出力は、こちらの熱力学的限界を超越しています」


時空インターフェースを操作する主席参謀の報告を聞きながら、私は奥歯がガタガタと鳴るほどの激しい焦燥感に、胸の奥底を焼き尽くされそうになっていた。


このまま戦いを続けば、局部銀河群連盟を屈服させる前に、我が軍の構造基盤そのものが内側から自壊し、良くて共倒れなのは明らかであった。


我々の境界銀河の軍事都市群は慢性的で深刻なエネルギー配給制限に喘いでおり、かつて栄華を極めた巨大な人工惑星の居住区すら、今や軍事最優先の灯火管制によって、薄暗く冷え切ったディストピアへと成り下がっていた。


この絶望的な泥沼を根底からひっくり返し、局部銀河群連盟の息の根を完全に止め、我が軍の絶対的な勝利を確定させるために、時空作戦参謀たちが組織のすべての命運とテクノロジーを懸けて導き出した究極の禁忌。


それこそが、時空の因果律そのものを過去に遡って書き換えるという、時空干渉プロジェクトであった。


我々は敵の局部銀河群連盟が保有する膨大な歴史データベースの暗号を全て剥ぎ取り、因果の糸を遡って、すべての技術進化の【起点】となった運命の時代を逆算した。


数ヶ月に及ぶ超高度な時空演算の末、メインフレームが眩い光と共にピンポイントで弾き出したのは、西暦2930年代の太陽系であった。


その時代、土星の衛星タイタンという辺境の極寒の星において、緩やかながらも後の超科学の絶対的な基盤となる、決定的な技術的飛躍の萌芽が生まれようとしていたのだ。


それは、当時の天才的なエリート学者たちが地道に積み重ね、数百年後に花開くはずだった、空間制御とエネルギー循環に関する無垢なる基礎理論の芽であった。


「この時代だ、このタイタンで生まれようとしている技術革新の最初の1ピースを、内側から徹底的に腐らせてストップさせる!」


過去の歴史に刻み込まれる致命的な遅滞が、タイムパラドックスの因果律の波となって未来へ伝播することで、西暦4000年の現在における局部銀河群連盟の超科学は根底から消滅し、我が軍の前に脆弱な原始文明として這いつくばることになるのだ。


この国家最高機密の作戦において、最も超重要なポジションを仰せつかったのが、精神深層工作および時空課の最高責任者である私、ギルバートであった。


私の任務は、その時代に無能な精神体を送り込み、自発的に国を滅ぼすように自然に誘導すること。


すべては我ら外宇宙境界銀河軍の未来のため、そしてこの300年の戦いに終止符を打つため、私は己の精神工学のすべてをこの一世一代の作戦に注ぎ込んだ。





西暦4000年、ついに決行の時が来た。


外宇宙境界銀河軍が誇る超巨大時空要塞の精神工作室は、静寂と青白い端末の光に支配されていた。


私は、配給されたばかりの冷え切った合成栄養チューブを無造作にすすりながら、眼前のホログラムモニターを冷酷に見つめていた。


この底なしの焦燥感から抜け出し、祖国に絶対的な勝利をもたらすための究極の鍵が、たった今、時空の狭間からサルベージされた。


立体スクリーンに浮遊しているのは、西暦2020年代の地球において、終わらないサービス残業の果てに劣悪なデスクの上で過労死したばかりの、ある男の魂である。


「精神ログの解析を終了、これより対象の深層心理のデバッグを開始する」


私の声に応じて、工作端末が男の生前の記憶や思考パターンを、量子精神記述コードとして吐き出し始めた。


男は宗教団体に騙された親族の巨額の借金を背負わされ、会社に都合よく使い潰され、他人のために真面目に生きて損ばかりをして死んだ、哀れみの極致とも言える人物だった。


生前の行動によって彼の精神の根底に刻まれたのは、働きたくない、面倒な責任から逃げ出したい、自分のことだけを考えたい、という強烈なまでの逃避と自己優先の願望である。


私はその魂の防壁をハッキングしながら、胸の奥底で歓喜と、冷徹な悪意の炎を燃え上がらせていた。


これほど我が軍の時空干渉プロジェクトのウイルスとして、都合よく機能する精神体は他に存在しない。


この怠惰を正とする無能を、局部銀河群連盟の土星の衛星タイタンの若き星王となるレオの肉体へと送り込む。


最高権限であるアクセスレベル6を握ったこの男は、自分のためだけを考える暴君となる。


高度な政治システムは瞬く間に大混乱に陥り、行政は麻痺し、タイタンで生まれようとしていた緩やかな技術進化の萌芽は、内側から徹底的に腐りストップするはず。


ここからが、精神工作の専門である私の、心理掌握シーケンスの始まりであった。


信仰心を煽るような神々しい光の幻影――すなわち「自称・神」のスキンを身にまとって私は男の魂の前に現れた。


『やあ。君の人生、あまりにも可哀想すぎるよ』


私は慈愛に満ちた偽りの声を響かせ、空間に漂う男の魂へと語りかけた。


この最初のフェーズの目的は、男にこの絶対的な存在は自分の唯一の理解者であり、味方だという猛烈な錯覚を植え付け、精神の依存度を高めることにある。


「えっ……? ここは……? 俺、たしか会社で残業してて……」


男の魂から発せられた精神パルスには、終わらない残業や督促状の恐怖から解放されたことへの、明確な安堵の波形が刻み込まれていた。


工作官である私の精神干渉ログには、彼の警戒心が急速に融解していく様がリアルタイムで現れていた。


よし、釣れた。


『君は死んだんだよ。過労だね。デスクでついに心臓が限界を迎えたんだ』


私は彼が前世の現実に絶望して縋り付いていた記憶の残滓をシステムで逆スキャンした。


「死んだ……俺が?」


男の魂が、自らの情報体の輪郭を見つめながら、茫然と呟く。


「そっか……俺、ついに死んだんですか。じゃあ、ここは死後の世界ってやつですか。で、あなたは……お迎えの天使とか?」


私は光の幻影の輝きを一定に維持しながら、言葉を紡いだ。


『君たちの概念で一番近い言葉を選ぶなら、神とでも名乗っておこうかな』


「神様……!」


男の精神波形が、滑稽なほどの歓喜によって跳ね上がる。


『君はずっと真面目に、他人のために生きてきたんだね。けれど、その結果がこれ。あまりにも不憫だから、僕が君に新しい人生を用意してあげようと思うんだよ』


「新しい、人生……?」


『別の世界で生まれ変わるんだ。しかも、ただの人間じゃない。特別に王子として生まれ変わらせてあげようじゃないか』


その言葉を受け取った男の精神データは、私の誘導を信じられない次元へと置き去りにし、脳髄が弾け飛ぶほどの狂気的なパラダイムへと上り詰めた。


私の干渉ログに、彼の脳内から漏れ出た凄まじい情報パルスが流れ込んでくる。


(……ってことは、もしかして……!俺、ラノベみたいに異世界に転生できるってことか!?)


ラノベ?異なる世界?


私は光の幻影の裏側で、驚愕のあまり網膜の処理回路が激しく明滅した。


なんのことだ、異なる世界?


「別の世界」という私の言葉を、こいつは天の川銀河の星々という意味ではなく、我々の最新の時空科学をもってしても未だ理論すら確立されていない、既存の宇宙連続体を脱出した並行多次元宇宙の壁を越える次元超越として本気で捉えているのか?


ただの過労死した地球の一般市民の分際で、なぜ全宇宙の時空構造を根底から破綻させる禁忌概念を、これほどカジュアルに脳内に構築しているのだ?


戦慄する私を余所に、男の魂はさらに信じられない要求を私に突きつけてきた。


「あ、あの……それは、いわゆる転生というものでしょうか。もしそうなら、私に何か特別な力……チートスキルなどを頂けるのでしょうか? 例えば、全属性魔法適性とか、無限収納アイテムボックスとか……」


スキル、魔法。


男の口から放たれたその要求を、精神記述言語に翻訳した瞬間、私の背中には凄まじい恐怖の冷や汗が吹き出した。


魔法の能力、全属性。


それは、精神体のコアに直接、周囲の物理法則を局所的に書き換える物理定数改変プログラムを埋め込むということ。


そんなことできるわけがない。宇宙の基本原理に対する絶対的な反逆の宣告だ。無から有を生むなど、質量保存則からかけ離れている。


唯一の方法は高次元相転移圧縮を使った質量展開を意味していた。


そんな果てしないエネルギーを必要とする因果律改変を、ただの一介のシステム工作官である私に実行しろというのか。


もしそんな神の権能を安易に起動すれば、過去のタイムライン全体が一瞬で消滅してしまう。


予測不能の怪物を前に、私は脳内が完全にパニックに陥り、極限の困惑から、確認のセリフをどうにか絞り出した。


『……スキル? なんのことだい?』


どうか、別の意味であってくれ。


「えっ、いや、その……神様からの特別な恩恵と言いますか……」


男は私の反応に少し気落ちしたようだったが、すぐにその精神記述コードを別の異常な方向へとスライドさせ始めた。


『うーん、よくわからないけど……まぁ, 王子に転生させてあげるんだから、特別だと思うけどね』


私の焦りを気にする素振りもなく、男は「スキルはなしか。ってことは、内政ものの転生か!」と、さらなる狂気的な深みへと解釈していった。


「魔法とかが無くても、王子様になれるなら現代知識でなんとかなるか……」


現代知識でなんとかなる、知識チート、マヨネーズ無双に、リバーシ革命?


私はスキャンログに刻まれたその思考パルスを検知し、再び猛烈な混乱の渦に叩き落とされた。


錯乱しそうになる理性を必死に繋ぎ止め、軍のメインフレームをフル稼働させて男の脳内から検出された「マヨネーズ」と「リバーシ」という原始地球の単語を数ナノ秒で逆算スキャンした。


返ってきた検証データをシステム上で見た瞬間、私は激しい眩えを起こしてその場にへたり込みそうになった。


マヨネーズ――植物油と卵と酢をただ手作業で攪拌しただけの、極めて原始的な調味料。


リバーシ――表裏が白黒の石を、わざわざ手作業で交互に置いて挟むだけの、あまりにも幼稚な盤上遊戯。


「な……んだこれは……!?」


工作官としての私のプライドと計算が、音を立てて木っ端微塵に砕け散る。


どうしてこの男は、こんな低次元極まりない代物で、国家が無双され、革命を起こせると、本気で、心の底から信じ込んでいるんだ…?


しかし、思考の裏をどれだけ深く精査しても、精神改変された形跡は一切ない。


この男の魂は、微塵の疑いもなく、本気でマヨネーズとリバーシという幼稚な代物で、世界を動かせると絶対的に信じ込んでいるのだ。


もしや局部銀河群連合の干渉か?しかし洗脳の形跡はない。


いや待てよ、この男の考えをさらに深くスキャンすると、どうも技術的発展の全くない、不自由な世界を想定している節がある。


そうなると見方が変わるのか?


いや、それでも卵と油と酢といった原始材料の調合などで国を動かせるわけがない。


リバーシなんていう、幼児ですら思いつく単純な思考で世界を支配できると本気で思い込んでいるのは、どう考えても異常だ。


思考の裏をどれだけ精査しても、その狂気的な全能感の根底が全く見えてこない。


わからない。だが、私には彼を洗脳で上書きしなければならない使命がある。


彼に、タイタンは原始知識がそのまま通用する世界だと、完全に誤認させ、油断の泥沼へ引きずり込むために、あえて言葉を合わせて神としての言葉を維持した。


『マヨネーズ?』


私は少し虚空を見つめ、わざとぶつぶつと呟いた。


『ああ、検索したら君の時代の調味料か。リバーシっていうのも……うん、この時代にはないね』


私のこの言葉は、男にとっては文明が未発達だから存在しないという都合のいい誤認を補強しただろう。


誤認した男の魂は、傲慢な笑みを浮かべ、確信に満ちた声で私に告げた


「おっしゃる意味がよく理解できました。ぜひ、私を転生させてください」


現代知識があれば、少しひけらかすだけで天才王子としてもてはやされ、一生ダラダラとスローライフを送れるに違いない。


男が脳内でそんなおめでたい歓喜の舞を踊っているのを感知し、私は彼に最後の呪いの言葉を刷り込んだ。


『ふふ、君の好きにするがいいよ。真面目に内政して世界を発展させてもいいし、これまで君が苦しんできた分、今度は君が民を思い切り苦しませても構わないさ』


「……国を壊しても、いいと?」


男の精神波形に、全宇宙のインフラを機能不全に陥らせるための、歪んだ絶対権力への暗い渇望が宿る。


『ああ。君は前世で真面目で損をしてきた。だから転生させてあげるんじゃないか。今度は、絶対に損をしないようにね』


「はい。前世では真面目に生きて損ばかりでした。今度は絶対に損をしません。誰のためでもなく、自分のために……徹底的に自由に生きさせていただきます」


男の魂は、私に向かって、タイタンのすべてを己の怠惰のために生贄にするという、素晴らしい堕落の誓いを高らかに宣言した。


私は喜びから光の幻影の制御を一瞬忘れたが、時空転送レバーを引き下げた。


『ああ、期待しているよ。存分に、国を壊してくれたまえ』


男の意識が激しい閃光の中に溶け落ち、レオの肉体へと吸い込まれていくのを、私は見送った。


ガチャン、と重々しい機械音が響き、精神転送シーケンスが完了した。


真っ白だった高次元空間のホログラムが消え去り、工作室は再び静寂と青白い電子光の闇へと戻る。


だが、レバーを握ったままの私の手は、不自然なほどにガタガタと震えていた。


冷え切った工作コンソールを見つめながら、心臓を冷たい手で直に掴まれたかのような、おぞましい悪寒が背筋を駆け抜けていく。


本当に……彼を過去へ送り込んで良かったのだろうか。


私の胸中を支配したのは、今や底知れぬ困惑と不安であった。





超巨大時空要塞の司令室に戻った私は、作戦の総指揮を執る最高司令官と共に向かい合った。


過去の行動で未来の現実が完全に書き換わるタイムパラドックスには、時空連続体の因果が収束するための時間として、およそ100年ほどのタイムラグが必要となる。


「フハハハ、まさか局部銀河群連盟の技術革新の起点となった時代に、我々が仕込んだ無能な精神体が送り込まれたとは、未来の奴らは夢にも思うまい!」


最高司令官は傲慢に胸を張って高らかに笑い声を上げ、私の工作を称賛した。


「今頃あの無能な魂は、自分の怠惰な生活を守るためだけに、必死になって国を内側からめちゃくちゃに破壊している頃合いだろう」


時空インターフェースを操作していた主席参謀も、勝利を確信したように薄汚い口元を歪めている。


「連盟の連中が自慢の超科学の歴史を失い、我が軍の軍門に下る様を、この高みから気長に眺めようではないか」


要塞の司令室に集まった高官たちは、互いに勝利の祝杯のグラスを高く掲げ、未来に酔いしれていた。


しかし、私はその歓喜の輪に加わることができず、冷や汗の滲む手でグラスを握りしめ、ただ時空モニターの不気味な静寂を凝視していた。


「工作官ギルバート、何をそんなに青い顔をして黙り込んでいるのだ!」


最高司令官が、傲慢に胸を張って勝利の美酒を私のグラスへと注ぎ込みながら、部屋中に響き渡る高笑いを上げた。


「タイムパラドックスの因果律が収束し、連盟が原始文明へ退化して崩壊するまでおよそ100年、相手が干し物のごとく弱体化していく様を、この高みから気長に眺めようではないか!」


司令室の高官たちは、互いに勝利の祝杯のグラスを高く掲げ、自分たちが過去へ仕込んだ罠の結末に酔いしれている。


しかし、手元で冷たく震えるグラスを見つめる私の胸の奥では、心臓が直接凍りつくような不吉な警告音が鳴り止まなかった。


無能であるはずなのに、あの男は「異世界転生」という、次元を越える神クラスの超常事象を、さも当たり前のように当然の権利として展開していた。


さらに、マヨネーズとリバーシというあまりにも幼稚な工作で、本気で国を動かせると信じ込んでいた。


わからない、自分の行動が正しかったのかどうか、今の私には判断できない。


我ら外宇宙境界銀河軍は、歴史を書き換えて勝利を掴もうとしている。


だがしかし、歴史を変えるという行為は、神の所業に他ならない。


われわれは、その神の領域に軽率に手を伸ばしてしまったのではないか?


過去の因果を書き換えるというこの大それた試みは、本当に我らを味方するのだろうか?


私は完全にわからなくなった。


あの男を時空に放った瞬間から、目に見えない次元の彼方で、歴史の歯車が致命的に歪み始めているような、得体の知れない恐怖が胸を締め付ける。


私は、神ではないのだから、わからない……。



<勘違い王子の星間統治記 : 完>

最終回となります。(続きを書くかもしれませんが)


本作品を通して少しでも楽しいと思っていただけたら幸いです。


最後までご愛読いただきありがとうございました。

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