ダーティープレイ・オセロ ⑤
遠藤かおる。
彼は、元々とある詐欺グループのリーダーであったという。高齢者から赤ん坊まで、幅広い年齢層を平等にターゲットにするネット詐欺で、長年金銭を荒稼ぎしてきた。
狡猾な彼は、決して警察に尻尾を掴まれなかった。警察なんかに見つかるヤツは間抜けだ、口癖のようにそう言っていた。
しかし、あるとき突然彼に終焉が訪れる。なんと、詐欺グループの本拠地としていたビルの一室が、銃撃されたのである。机の影にいち早く隠れた遠藤を除き、室内にいた仲間は全員死亡。詐欺グループは物理的に壊滅した。
蛇の道は蛇。警察には捕まえられなくても、同業者ならば容易に見つけ出せる。闇の世界の競合相手が、遠藤たちを襲ったというのが真相であった。その後、遠藤はツテをたどってこの家に匿われている。襲撃犯たちが、いつ生き残った彼を消しに来るかわからないので、念のため家の中でも決して見つからない、地下室に隠れ住んでいるのだ。
遠藤は、襲撃を受けた際、割れた窓ガラスが目に入り、失明したという。傷跡はひとに見せるには痛々しく、このときからサングラスをかけ始めた。グラサンパンダのネームはそこから来ているとのことだった。
「そういうわけで、こんなところで隠れて生活しているわけなんですわ。へへっ奥さんには感謝がつきやせん」
「はあ……それは、なんというかヘビーですね」
俺は引きつった顔で相槌を打つ。まさか、対戦相手がこんなにも危ない男だとは思わなかった。本当の闇の世界の住人というのはこういうひとのことである。盲目とはいえ、真っ黒なサングラスの奥にはあらゆる人間を狩ってきた鋭い瞳が眠っているわけで、おいそれと冗談もいえない。
「…………」
「…………。そろそろはじめやすかい」
「そ、そうですね」
いま、この部屋には、俺と遠藤さんが二人きりでオセロ盤をはさんで対面している。地下の空間での静寂は、ひどく重苦しい。ルールでは、一時間以内に決着しなければ、その時点で石の多いほうが勝ちという制限がついていたが、この空間にそんなに長時間いたら息が詰まって死んでしまいそうだった。
遠藤さんが身の上話をしている途中で、蝶野はちょっと行ってくる、と言って階段を上がっていった。トイレにしては長すぎるし、大した用事ではないなら早く帰ってきてほしい。赤の他人のグラサンというのは結構怖いのだ。
四つの石を開始位置に置いたところで、遠藤さんは断りをいれた。
「やる前に確認したいんですが、いいですかい。すでに動物園に送ったルールの確認なんですが」
「え、ええ。どうぞ」
「まず、オセロの対戦はすべてカメラで撮影させてもらいやす」
「いいですけど、なんでですか?不正なんてしようがない気がするんですけど」
オンライン対戦で、コンピュータを使っているならまだしも、対面でやるなら、よほど気を抜かない限り不正はできないはずである。せいぜいできるとしても、裏返せない石をさりげなく裏返すような荒業くらいだろう。
「あっしの眼が利かないのは言ったでしょう?カメラの向こうに、尾上君の置いた石の場所をあっしに教えてくれるひとがいるんですよ」
遠藤さんは、サングラスを少し浮かせ、耳から小さな機械を取り出した。通信機のようなものらしく、それによってカメラの向こうの協力者に、位置を教えてもらおうということらしい。
「はあ……。ん?どういうこと、ですか?別に置いた石の位置くらい、俺が教えればいいのではないですか?」
目隠し将棋というのを聞いたことがある。目の見えない相手のために、もう一方が三6歩、などと読み上げてあげるものだ。おれがその役目をすれば、そんな第三者は必要ないはずである。すると、遠藤さんは愉快そうに手を叩いた。
「面白いことを言うじゃないですか。でも、それはだめですねえ。だって、尾上君があっしにうそをついてしまったら、どうするんですかい?」
「あ……」
確かに、その通りである。自分の馬鹿正直さを恥じる。俺が遠藤さんにうその位置を教えれば、戦局はいくらでも優位に運ぶことができる。初対面の、しかも賭けているものがある相手に、信頼を置くなどできないのは当たり前だった。
しかし、ここで懸念するべきことがひとつある。
「それだと、俺だって嘘をつかれてる可能性があるじゃないですか。もし、遠藤さんに盤面を教えているのが、コンピュータで、俺が石を置いた位置だけでなく、最適な一手を教えてきたら、どうすればいいんですか」
カメラの向こうがひとの場合も同様である。もしオセロの世界王者を雇ってカメラの向こうに座らせていたら?俺は絶対に勝てない。そんなもの、フェアな勝負とは言えないではないか。 遠藤さんは、あごひげを撫でながら笑った。
「ご指摘の通りですわ。たしかに、あっしが代打ちを用意していることは考えますわな。だけど、尾上君、ここはあっしを信用してもらうほかないんですわ。なぜなら、この条件ですでに動物園に申請しているからねえ」
「そう、なんですか」
端末を確認すると、確かに『勝負はカメラで第三者に監視させる』という一文が書かれていた。さらにその下には、『反則負けは存在しない。時間内に勝負が決まらなかった場合には、盤面の石が多かったほうが勝ちとなる』。
メールをやり取りし、勝負内容を決定したのは、蝶野である。あれだけ契約を重視するやつ
が、なぜそんな隙の多いルール設定に合意したのだ?
何か、考えがあるのだろうか……。まさか、いま外に出ていったことと関係があるのか? 疑問を浮かべていたそのとき、肉球端末が震えた。蝶野からメールである。
『オセロ、始めていいよ。ただし、一手一手に一時間かけて』
余計に謎が深まるメールである。一手に時間をかけろ、だと?裏でなにか工作でもしているのか?だめだ、まったく想像がつかない。
「……じゃ、じゃあそろそろはじめましょうか」
「お、やりますかい」
考えてもわからない。ひとまず、蝶野の指示に従っておこう。遠藤さんは、俺に石の入ったケースを差し出した。
「尾上君に先手を譲りますぜ。どうぞ、お好きなところに黒い石を置いて下せえ」
俺は、遠慮せずに石をひとつもった。
まあ、最初なんてどこにおいても同じか……。勉強した定跡は、中盤以降使うことになるだろうが……。
蝶野蘭が地下室から飛び出たのには、理由があった。
まず、彼女は入室と同時に、天井にカメラが設置されているのを確認した。そして、遠藤たかしが盲目だと発言したところで、確信した。
裏で、誰かが代打ちをする、と。
もともと、提案されたルール的に、相手側は代打ちを立てやすい状況だった。だが、これはわざと蝶野が容認した罠である。彼女はこの事態への対処をすでに考えていた。
そもそも、盲目の人間がオンラインオセロをやっているところから、おかしなところである。普段から、コンピュータを使っているか、あるいは対戦毎に協力してくれる者がいることは明白であった。
レッサーパンダとして登録しているのは、遠藤たかしだが、オセロを打っているのは別人ということである。
ならば、蝶野蘭がとる行動はただひとつだった。彼女は屋敷の廊下を駆けまわった。
「かくれんぼの時間だよ」
裏で隠れているオセロの強い代打ちがいるならば。
探して、倒す。
代打ちを気絶させてしまえば、盤の前に座る遠藤は、石の位置すらわからず、なすすべもなくなる。非常にシンプルな秘策である。
そうして、蝶野はかくれんぼの鬼をやり始めたのである。代打ちのものを見つけるまでに勝負が決してはいけないので、なるべく勝負を長引かせるように、尾上にもメールをした。あとは、見つけて倒すだけ。
蝶野は襖を勢いよく開ける。そこは、畳の広間であり、誰もいなかった。別の部屋を探そうと、立ち去ろうとしたとき、彼女の耳に、うめき声が入り込んだ。
ヘルメットをとり、耳を澄ます。すると、その声が、部屋の奥の押し入れから聞こえるのに気が付いた。
「…………」
蝶野は、ヘルメットを被りなおし、押し入れを開く。すると、そこには、縄で縛られた女性が押し込められていた。蝶野らを、地下室に案内した着物の女性である。
「……このひとが代打ちしていたんじゃないのか。っていうか、なんで縛られてるの」
唇をかむ蝶野。この女性が代打ちの正体であったなら、話は簡単だったが、別人がいるというなら、捜索の難易度が跳ね上がる。そもそも屋敷内にいるかどうかも怪しくなった。かなりの遠隔地で、カメラをみている可能性もでてくる。
だが、今更蝶野にできるのは、屋敷内の捜索くらいなもの。蝶野は女性の縄を解き、ゆすった。すると、女性は、わずかに瞼を開いた。
「ん……」
「大丈夫ですか?誰がこんなことを?」
気をつかうそぶりをみせつつ、蝶野は焦っていた。こんなところで時間を使っている暇はない。
しかし、誰が、なぜこの女性を襲ったのか。その疑問にぶつかったとき、光明が差した。
「あの、この家にお子さんだったり、働いているひとっていますか?」
蝶野は、衝撃者の狙いが、この女性を代打ちの容疑者から外すことだったのだと推測した。屋敷内にいる代打ちは、蝶野が地下室から出るのをカメラで確認した。代打ちは、蝶野が自分を探しているのを察知、同時に無関係である女性が間違えて襲われる可能性を危惧した。
そのため、女性を先に気絶させておいて、蝶野の矛先が確実に自身に向かうように仕向けた 。
……そのようなシナリオが、一瞬で蝶野の脳に浮かんだ。いまの彼女脳の働きは最高速度で回転していた。
女性は、意識が完全に戻ってはいないようだったが、むしろそれゆえに、蝶野の質問に抵抗なく答えた。
「娘が……ひとりいます」
十分な回答であった。犯人はこの女性の娘。
蝶野は、女性を寝かしつけると、再び駆け出した。
中庭、台所、個室……いくつもの襖を開けるが、誰とも会わない。蝶野はヘルメットの内部で汗をかく。はやく見つけなければ一時間で、勝負は決してしまう。広い屋敷を、彼女は必死で探しまわった。
そして、ついに、大広間の襖を開いたとき……。
ズダダダダダダ!!!!
「…………!!!」
蝶野のヘルメットに、銃弾がヒットした!
カランコロン、と薬きょうが落ちる音が響く。銃口から立ち上る煙が、天井にたまる。蝶野は、ひざをついた。ヘルメットには、傷ひとつつかず、銃弾をはじいたが、衝撃は脳を揺らしたのだった。
「へえ、そんなに丈夫なんだな。そのヘルメット」
拳銃をくるくる回す少女。蝶野は、顔をあげて、その正体を確かめる。
「あなたが、遠藤の代打ち?」
蝶野の問いかけに、少女は銃口を向ける。
「カンニングは、ばれなければ不正じゃないんだよ」
長いスカートをはいた金髪の少女。
緑が丘ビリジアンは、引き金を引いた。




