ダーティープレイ・オセロ ②
「この蝶野蘭に、敗北は許されない……」
再び二人きりになった部屋で、スカートを半分くらい持ち上げる蝶野。どうやら大見えを切った手前、俺にパンツをみせなければ気が済まないらしい。
「いや、俺に負けたわけじゃないんだからいいよ別に」
武士の心意気なのかもしれないが、俺はまったをかける。さすがにそれは居心地が悪かった。
「それもそうか」
すぐにぱさっとスカートを下ろす蝶野。あまりに早い身代わりに、黙っていればよかったかと後悔した。
蝶野は、オセロを下げると、どこからか取り出したタブレット端末を操作する。
「いやーなんで突然オセロやろうって言いだしたかというとさ、これみて」
「なんだこれ」
白い背景に文字列が並ぶ画面。なにかのサイトページらしいが、あまりネット関係には詳しくないので、それがなにであるのかはわからなかった。
「これは、『ですかばりちゃんねる』っていう匿名掲示板サイトのパンダ板よ。この時間は過疎ってるわね。書き込みほとんどないわ」
「掲示板……あったんだ」
「あるわよ。ていうか知らなかったんだ。スレ民のほとんどはレッサーパンダだけど、一応誰でもアクセスできるわよ」
それを聞いて、俺は少しもやっとした。パンダロワイヤルは、アンダーグラウンドの世界であり、自分はそこで生き抜く影の住人というふうに思っていたのだ。まさか、一般人に普通に知れ渡っているものだったとは……。夢が壊れる……。
がっかりしていると、さらに現実的な事実を蝶野は明かした。
「なんならバイトの募集広告、SNSでもばずってたわよ。」
「ええ、まじで……」
昨今は、アナログの世界に生きている人間のほうが稀少になってきたご時世である。募集方法として、ネットを活用するのは、当たり前なのかもしれない。聞くと動物園のバイト募集は俺の見た雑誌以外にも、公式ホームページにのっていたらしい。
「あれ?じゃあこのアプリも知らない?パンダ同士の居場所を検索できるスマホの公式アプリあるんだけど」
「止まんないな、おい」
さらなる畳みかけである。スマホのアプリストアを探してみると、たしかに「柏天動物園公式 レッサーパンダ専用アプリ」が見つかった。説明によると、肉球端末の位置から、レッサーパンダの位置情報の特定が可能とのことだった。
そこで、疑問が氷解した。パンダに募集してから一か月間ほかのレッサーパンダに会えなかった俺が、あの日一気に三人組(四人)と遭遇したのは、このアプリによるのだろう。
こちらからは探せず、あちらからは探せる。知らずのあいだにハンディキャップを背負っていたのだ。
早速インストールする。肉球端末の機能の少なさと液晶画面の見にくさがきになっていたが、こんなところで補填できたとは。知らなかった俺は情報弱者らしい。
「そのアプリ、ログインボーナスの石をためとくといいわよ」
「柏天ポイントに変えられるのか?」
「いや、ガチャが引けるだけ。いま十連ボーナスやってるから期間限定のキャラがほしければ課金すれば。それはともかく、本題はこっちの掲示板ね」
ガチャとかキャラってなんだとか、いろいろ気になったが、これ以上脱線するのもなんなので、タブレットのほうに目を移す。
蝶野は、「レッサーパンダです。オセロで勝負しませんか?」というタイトルのスレッドをタッチする。
『1グラサンパンダ ID v9ja1qnm』
「こちらのオセロサイトで勝負し、私に勝ちましたら1ポイント差し上げます。代わりに負けた方からは0.25ポイントいただきます」
書き込みに続いて貼られていたurlをタッチすると、「ぱんだちゃんオセロ」というサイトが開いた。メールアドレスを登録する必要のある、会員制のオセロサイトのようだった。
「なるほど、このグラサンパンダってひとは、オンラインオセロでの勝負でポイントを集めているわけか。これには登録したのか?」
蝶野に聞くと、彼女は呆れたように首を振った。
「してないわよ、ばかばかしい。だってみてよ」
『4名無しのPanda ID fgo34stynt』
「挑戦していい?このサイトじゃそこそこ名が知れてる者だけど」
『8名無しのPanda ID fgo34stynt』
「ぐわー!負けた!強すぎんだろお前!プロか?」
『21名無しのPanda ID pkmn5gt』
「小学生オセロ大会準優勝の実力みせてやるよ」
『24名無しのPanda ID pkmn5gt』
「覚えてろよ」
『46名無しのPanda ID grblfn44』
「このスレ雑魚ばっかかよ。一流のレッサーパンダの実力みせてやるからな」
『52名無しのPanda ID grblfn44』
「俺も雑魚だった」
画像添付。真っ白な盤面の画像。
『60名無しのPanda ID yuek5y4』
「IDかわったけど21だ。リベンジしにきたぞ」
『69名無しのPanda ID yuek5y4』
「覚えてろよ」
画面をスクロールすると、スレッドの流れがみえてきた。どうやら、今日までの対戦者は全員、グラサンパンダさんに、無残に敗北しているようだった。
それにしてもオセロ打ちはみな調子に乗ってからぼろ負けするのを様式美にしているのだろうか。
対局後の盤面の画像が数枚貼られていたが、どの画像でも五枚以上黒はなく、毎回有利なはずの先手は負けているようだ。
「ネットオセロで挑むなんて愚の骨頂よ。もし相手が高性能AIを使ってたらどうする?人間
が勝てるわけないわ」
蝶野はスレッドのオセロ打ちたちをバカにするが、確かにその通りである。
人工知能VS人間のボードゲーム試合、いわゆる電脳戦において、すでにオセロに関しては人間が勝つのは不可能だとういうことになっている。人間同士でやるには奥深い知略戦となるゲームなのだが、シンギュラリティは遠慮なしに無粋な決着を叩きつけるのだ。
オンライン対戦において、もし画面の向こうにいるのが人間ではなくレベルの高い人工知能であったら、勝負になどなるはずがない。
「そうだな……そもそもひとが相手でも俺らじゃ勝てないのに、コンピュータ相手には無理だな」
俺は蝶野に負けるし、蝶野は中川さんに負ける。中川さんだってプロではないのだから、彼女より強いどこかの誰かに負けるのだ。
「仲間意識持たないでよ。喧嘩売ってる?パンツ見せるわよ」
蝶野は不機嫌そうに突き放してきた。そして強気な挑発である。俺は気づかれないように口のなかの唾液を飲み込んでから尋ねた。
「話の流れ的に、こいつと対戦したいんだろ?でもどうするんだ?お前が言うように、相手が画面の向こうで不正をしてたら、絶対に勝てないぞ」
すると、蝶野は、得意そうに鼻を鳴らした。
「ふふん。ぬかりないわよ。実は、直接対決する約束を取り付けたのよ。それならフェアでしょ?あ、201が私ね。」
蝶野はスレッドをスクロールさせる。
『201名無しのPanda ID ren1f5n』
「メールでやり取りさせていただいてもいいですか?」
『203グラサンパンダ ID v9ja1qnm』
「それはちょっと……ごめんなさい」
断られている。
蝶野をみると、さらに下までスクロールするように促された。
「……うわあ」
以下、ID ren1fknによるネットスラング甚だしい汚い罵倒が延々と続くスレッド。
周りからのブーイングも合わさり、スレッドはオセロのマッチングが機能しないほどに荒れに荒れた。
最終的に事態をおさめるため、グラサンパンダさんが折れて連絡先を交換したところで、スクロール画面は一番下まで来た。
「お前やめろよ、こういうこと……」
「交渉事は厄介なヤツほど強いのよ」
非常に不安定な世渡り術を語る蝶野。いつか痛い目にあうに違いない。
「それからは、こっちの肉球端末でやり取りしてる。連絡手段として結構これ便利なのよ。スマホアプリはあくまで補助で、レッサーパンダのメインアイテムはやっぱりこっちね」
肉球端末は、ポッケに入れるとごつごつして歩いていると太ももに当たって気になることが多い。スマホアプリがあると聞いて、肉球端末を持ち歩かずに済むかもしれないと考えていたのだが、そううまくはいかないようだった。アプリに機能を集約させるわけにはいかないのだろうか。
それはともかく、手段は褒められたことではないが、俺たちはこのグラサンパンダなる人物とのオセロ対決をすることとなったらしい。
「まあ、直接会えるなら不正もできないだろうし、とりあえずはフェアなんだろうけどさ、問題は対面してオセロやって、勝てるかだよな。いまからオセロに強くなるなんて間に合うのか?」
素朴な疑問をぶつけると、蝶野は意味深に笑った。
「ククク……」
「なんだよ気持ち悪い」
「は?ころ……まあいいわ。秘策があるのよ。おバカな尾上くんは、黙って私に従いなさい」
そう言うと、蝶野はおもちゃ箱を漁ると、分厚い本を数冊取り出した。タイトルは微差があるが、概ねオセロ入門!やら、実践定跡!などとなっている。どうやらどれも指南書のようだった。
顔を上げて蝶野をみると、彼女はにっこりして、その本の山を指さした。
「戦ってもらうのは尾上くんだから。がんばって勉強してね?」
「…………え。俺?いやいや勝てるわけないって。俺よりお前が戦ったらいいじゃないか」
現状でも、オセロ界最弱な俺なのだ。ここから飛躍できるとは思えない。しかし、俺の反論に耳を傾けず、蝶野は不敵に肉球端末を見せつけた。
「これ、グラサンパンダとのやり取りね。オセロで負けたほうは、所持ポイントすべてを相手に譲渡するって勝負内容で、対戦者は尾上君にして動物園に申請しといたから」
画面を覗くと、そこには『尾上信弘vs遠藤かおる』と書かれていた。おそらく、遠藤かおるとは、このグラサンパンダの本名だろう。
「勝手に、っていうかそんなことできるのかよ。他人の勝負を設定できるとか、めちゃくちゃだろ」
「できるわよ。っていうかパートナー契約内容に書いてるよ?尾上君が勝負をする際は、常に私の許可が必要って」
「は、はあ……?」
慌てて自分の肉球端末を確認すると、固い文体で書かれていて読み解きにくかったが、確かにそのような意味の契約文章が書かれていた。尾上信弘は、蝶野蘭の許可がなければ、パンダロワイヤルにおいて勝負をすることができない。
「これってつまり、私が戦いたくないときはあなたに戦わせることができるってことよ」
「……………あ」
言われて気が付いたが、この契約内容は、たしかに悪用しやすい。例えば、勝機が薄い戦いに臨む際、蝶野自身ではなく、俺を代理で戦わせれば、負けたとしても柏天ポイントを相手に譲渡するのは俺のほうであり、蝶野にデメリットはない。
そして運よく勝てたとしたら、俺に入るポイントの99パーセントは蝶野に流れるという、悪魔のようなポイントロンダリング。
動物園に申請したパートナー契約は、申請者、つまりは蝶野のほうからしか契約解除できない。悔しいが、俺は従うしかなかった。
さらに蝶野は付け加える。
「もし尾上君が勝負を逃げ出すようなことがあったら、動物園に報告すると、契約違反として私にあなたの所持ポイントがすべて流れるようになってるから」
俺は口をパクパクさせた。戦力として、蝶野を頼ることを考えていたというのに……。
この関係、やっぱり奴隷じゃないか。
「おい、蝶野。こんな契約不当だ。パートナー解約してくれ」
「滅多なこというもんじゃないわよ」
むすっとして、蝶野が睨んできた。しかしその眼にはどこか寂しさのようなものもあったような気がした。
気のせいかもしれなかったが。




