ダーティープレイ・オセロ ①
休日、尾上信弘ことパンダ候補生「レッサーパンダ」の俺は、普段足を踏み入れない隣町の住宅街を歩いていた。
俺の住んでいる町は、公立小中学校の広域のちょうど境目に面しており、踏切をはさんだ隣の町は、近くとも縁遠い場所であった。
と、推測する。その辺の記憶はないので、適当に感想を言ってみた。
俺は謎の事件かなにかに巻き込まれたらしく、記憶を失っている。巨大な陰謀が裏に潜んでいるのか、いないのかは定かでないが、特別な事情があるに違いない。その秘密の鍵となるのは、パンダバトルロワイヤルである。俺はなんとしてでも勝ち残って、パンダにならなければならない。
しかし、先日大きなつまずきをしてしまった。蝶野蘭という少女に、強引にともに戦うパートナーにされてしまったのだ。詳細はいまだちゃんと確認していないが、俺は彼女に不利な条件を押し付けられているらしい。例えば、俺がゲットしたポイントはほとんど彼女に譲渡しなくてはいけない、などである。まったく理不尽な話である。
最初は憤慨していたが、あとから考えてみると、悪いことばかりでもなかった。蝶野は腕っぷしが非常に強い。それはもう女性とは思えぬほどに。ゆえに、俺は戦力として彼女を頼ることができるのだ。
そう捉えると、意外と俺にとってもいい関係なのかもしれないと思い始めてきた。楽観的かもしれないが、いいほうに思考をシフトしないと、「奴隷」という言葉がちらついてしまうのだから仕方ない。あまり突っ込まないでほしい。
今日こうして馴染みのない町を闊歩しているのも、彼女との契約内容に従った行動である。
『蝶野蘭の呼び出しには、必ず出向すること』。こんな内容が含まれていたらしいのだ。
昨夜、蝶野から招集のメールが届いた。動物園の監視の手前、断ることはできない。そうして俺は、渋々重い腰を動かし、集合場所として指定された住所に向かったということである。
歩いて二十分。迷ったので、余計に時間をかけつつも、なんとか俺は住所の場所にたどり着いた。地図を読むことが苦手な俺でも、地図アプリの音声案内があればひとりでできるのだ。途中買い物かごのおばさんから、歩きスマホを注意され、モヤもかかっているが、大きな達成感が心を満たす。
そこは、巨大なお洋風のお屋敷だった。門と柵に守られた二階建ての豪邸。庭はしっかりと手入れされており、種類は詳しくないが、黄色い花が花壇に咲いていた。門についたインターホンを鳴らすと、ほどなくして、スピーカーから応答が返ってきた。
『ただいまお迎えに上がります』
待っていると、玄関の扉が開いた。
「おはようございます。お嬢様のお友達でいらっしゃいますね。どうぞおあがりください」
現れたのは、蝶野蘭ではなかった。そこにいたのは、……メイド服を着た綺麗な女性だった。
日常離れした衣装の人物に唖然としつつも、メイドさんに招かれるままに俺は家のなかに入る。しかし、長い廊下を歩く途中、どうしても気になった俺は、質問した。
「あの、この家ってお金持ちなんですか?」
メイドさんは、にこりとほほ笑んで、そうですねと答えた。
「蝶野家は、明治から続く名家でして、私の家も代々こちらに仕えております」
「へえ……」
感嘆していると、廊下の角から蝶野蘭が現れた。なぜか、休みの日で、家なのに制服姿だった。
さすがに、あのヘルメットはしていなかったが、普段着の概念がないのだろうか。
彼女は呆れた表情で、メイドさんに注意した。
「中川さん、そういう冗談やめてくださいよ」
「え?冗談?」
「それではごゆっくりどうぞ。もうすぐケーキが焼きあがりますので、あとでお部屋に伺いますね」
メイドさんはふふっ口を押えると、頭をひとつ下げて、どこかに行ってしまった。蝶野は頭を押さえて溜息をついた。
「中川さんは数年前から働いてもらってるただの家政婦さん。あのひと趣味でメイド服着てるだけで、あれ仕事着なわけじゃないから」
「あ、そうなのか」
そう考えると、変なひとだ。つまりは雇い主のところでコスプレしているということではないか。蝶野は、あ、と振り返って補足する。
「でも明治からのお金持ちなのは本当よ」
「…………」
随所でマウントを取る姿勢。きっちりしている。
蝶野は、俺を自室に招いた。なかなかに広い部屋で、窓際には天蓋付きのベッド。壁際には巨大な棚が設置されていた。俺は棚のほうをみて口を開けて呆ける。
蝶野は俺の顔を覗きこんで得意そうに言った。
「ね?お金持ちっぽいでしょ?」
「ああ……」
鼻につく態度に対して、適当な返事をする。
俺が驚いたのは、テンプレお嬢様部屋に対してではない。棚にいっぱいに並べられたトロフィーや盾の数々に驚いたのだ。
金ぴかな栄光の証のいくつかを注視すると、種類は多岐にわたっていることがわかった。水泳、書道、陸上、絵画コンクール……文武両道を体現したラインナップである。
「これ、全部蝶野が取ったのか?」
「ん?まーね。そんなことより座りなよ。そこにクッションあるから使っていいよ」
さきほどの金持ちアピールとは対照的に、なんでもないように話を打ち切る蝶野。天才感がある。憎たらしいやつと思っていたが、これを見る限り結構すごいやつなのかもしれない。
かといって尊敬の念をすぐに向けられるほど、切り替えられない。先日の恨みがいまだに残っているのだ。
俺が無謀な勝負をしたあの日。三人組に襲われてピンチだったところへ、ヘルメットにポニーテールの少女、蝶野蘭は現れた。彼女は、あっという間に三人を倒した上に、その後出現した大男を易々と倒し、俺の危機を救った。……ここまでならば、ただの恩人である。しかし、蝶野は決して聖人ではない。
蝶野が、俺と組むにあたって不当な条件を押し付けてきたことはさきほど述べたが、彼女の非人道的ふるまいはそれだけではないのだ。
なんとあの後、力尽きて路地裏で気を失ってしまった俺を、蝶野はほうっておいたのだ。
目が覚めたときは真夜中で、すでに三人組も大男も立ち去っていた。俺はたったひとりで、生ごみの臭い漂うごみ箱に寄り添って夜を過ごしたのだ。からだはすっかり冷え切ってしまっていて、帰り道はくしゃみが止まらなかった。
家にたどり着くまでに、どうしても温かみが欲しくなり、立ち寄った二十四時間営業の牛丼屋の味噌汁の味と、ようやくたどり着いた家で、布団に入ったときに胸に去来した情けなさは、いまも忘れない。
嫌なことを思いだし、むかむかした気分で、小さなテーブルの下に置かれていたクッションに腰を下ろすと、ふんわりとした感触が尻を包む。気持ちいい反発具合。……これはいいものだ。心が和らいだ。
蝶野は、俺に背を向け、部屋の隅にあった箱を漁っていた。箱の中からは、ぬいぐるみやピアノ型のおもちゃなどがのぞく。同い年くらいのはずだが、ああいうものを大切にとっているとは、案外幼いところもある。しかし、なにを探しているのだろう。俺は足を崩しながら待つ。
しばらくして、蝶野は目当てのものを見つけた。彼女は大きなボードを卓の上にどんっと置く。
黒い線が上下左右に引かれた、緑色の盤面。石の入ったケースも遅れて卓に到着する。
「……オセロか?」
「正解。リバースではないのよ。ちょっとやりましょうか」
俺は露骨に嫌な表情をする。頭を使うゲームは苦手なのだ。負けるに決まっている。
「あまり得意じゃないな」
「あら、そう?でもルールはわかるなら大丈夫よ。私も強いわけじゃないから。なんなら先攻譲ってあげましょうか?」
四つの石を初期配置に並べる蝶野。俺は気乗りしないまま、先手として、黒の石をひとつ置くが、やる気のなさが見て取れたのか、蝶野はもう一押し提案をする。
「倒しがいがないわねー。あ、じゃあ私に勝ったらパンツ見せてあげようか」
「え?」
正座で座る蝶野は、ひざに乗ったスカートの端をつまみ上げる。影のかかった太ももが、ちらりと覗く。神秘に包まれた園。禁忌の扉が半ドア……。
「…………」
頭を振るう。なにを煩悩に包まれているのだ。恥を知れ。
俺は蝶野が嫌いだ。好きな相手ならまだしも、こんな奴のパンツを拝んだところでなんの喜びもない。
しかし、嫌いならば、それはそれで、鬱憤を晴らす相手としては最適である。
つまり、ここで勝利しておのも悪くない。
蝶野が白い石をひっくり返したところで、俺は意気揚々と黒い石を置いた。
「後悔するなよ」
数分後。
俺はズボンを脱いでいた。
女子の部屋に、黒いボクサーパンツが悲しく晒される。蝶野は無表情でそれを眺めていた。
「……黒いのね」
「ああ、……黒いぞ」
「うん……履いていいよ」
仁王立ちを解除し、きれいにたたんでいたズボンにそそくさと足を通す。
羞恥の罰ゲームを蝶野だけに背負わせるのは紳士としてどうなのだろうと思い、負けたら俺が脱ぐと申し出た。結果、当初の想定通りに負けてしまい、俺はただズボンを脱ぎたかっただけの変態になってしまった。
俺のパンツの色と反対に、盤面のすべては白に染まっており、なんの言い訳もきかない完全なる敗北であった。もともと敗色濃厚であったのに、くやしさは大きい。こんな思いをするのはわかりきっていた。だから戦いたくなかったのだ。
ドアがノックされる。
俺が半分もズボンをはいていないのに、蝶野はどうぞーと言って入室を許可する。慌てて上に持ち上げるが、チャックまでは間に合わず、お茶とケーキをもった中川さんが現れる。
彼女はちらりと俺の股あたりに視線を走らせる。
「尾上さま、社会のお窓が開いていらっしゃいますよ?」
些細なことにも気づくメイドさんの鑑である。でもいまは気遣いを、怠慢してほしかった。
「あら本当尾上くんだらしないわねー」
飄々とうそぶく蝶野。俺は睨みつけつつ、じいーとチャックを閉める。
中川さんは俺たちのまえに紅茶とケーキを置く。かぐわしい紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、こころが落ち着く。
「ありがとうございます、中川さん」
小さく頭を下げる中川さん。
「尾上くん想像以上に弱いねー。喧嘩も弱けりゃ、頭悪いとはねー?」
「ほっとけ」
即座に神経を逆なでる蝶野。俺の知らないところでいつか痛い目にあってしまえばいい。
「オセロをしてらっしゃったんですか」
中川さんが興味をしめした。お盆を抱きしめ、まじまじと白い石の並びを眺めている。
「うん。そうそう、でも尾上君がクソ雑魚でさあ」
へらへらと笑う蝶野。中川さんは、ふむ、と頷くと、膝を下ろして石をつまんだ。
「では私がお相手して差し上げましょうか?」
「ええー?中川が?ま、尾上くんよりましか。チャンピオンの力見せてあげるわ」
余裕の表情で、蝶野は石を初期配置に並べなおす。
数分後、全面が黒に染まった。
「お嬢様は脳筋ですからねえ」
顔を真っ赤にする蝶野。プルプルと震え、悔しそうにスカートの端を押さえている。
「では私は失礼いたします。お掃除の途中なので」
中川さんは、空になったカップと皿を回収して、去っていった。主人を持ち上げることを全くしないメイドさんであった。




