こてんぱんだ ③
「あなたもレッサーパンダ?もしかして、倒れてる三人の元締め?」
恐る恐る振り返り、少女が話しかけている相手を視認する。
「ご名答。だがお嬢さん。あんたに手を出すことはない。俺の相手は、足もとのこの男だ」
そこに立っていたのは身長2メートルを超える大男であった。
巨木のような太い手足を樹立させ、胸板は厚く盛り上がる。恵まれたその肉体を隠すのは、TシャツにGパンというラフな格好で、頭にはハチマキをつけている。顔はいかつい強面といった風で、物々しい雰囲気を体現している。
外見だけで理解できる、腕っぷしの強い男。
その男が、俺を指名している。
だが、心当たりはない。俺が戦う約束をしたのは、三人組である。パンダの決闘は事前の合意のうえで成立するものである。いまのいままで会ってもいないこの男と戦う道理はないはずである。
乾いた舌で俺は尋ねる。
「どちら様、ですか。俺はあなたとは戦う予定はないはずですけど……?」
男は、じろりと俺を見下ろし、鼻を鳴らした。
「ふん、戦闘前によく勝負内容を確認しておけ。動物園に申請した内容は、その場にいなかった俺も含めた『四人とストリートファイトで勝利する』だ」
「えっ……?」
慌てて、手元の端末を操作する。すると、確かに送信履歴の文章を確認すると、そう書いてあった。
「でも、普通その場にいるヤツだけっておもうだろ……!」
三人組と遭遇したときのことを回想する。
『勝負内容はこれでどうだ?いまお前の端末に送信した。よかったらコピペして、お前からも動物園にメールを送信してくれ』
目をつぶる。額に汗が浮かぶ。
そうか、あのときに……。
ちゃんと読んでおけばよかった……!
「契約ってほんと大事よね。っていうか、あの三人見た時から、もしかしたらほんとは四人組じゃないかなって私は思ってたよ。ポイントを割った時、奇数人で山分けすると、不公平になるからね」
安全圏から少女が煽ってくる。
むかむかするが、たしかに悪いのは俺だろう。こんないかにも強そうな相手がいるとわかっていたら、いくら惜しくても、勝負は諦めていたはずだ。それを説明をちゃんと読まずに了承したから……。
「馬鹿は狩りやすいな。配達の仕事が終わってから、俺も参戦する予定だったんだ。まさか、三人が倒されていたとは予想外だったがな」
巨人が嘲る。俺は諦めて拳を固める。
「……わかったよ。覚悟を決めた」
俺は、男からわずかに距離をとる。一方、少女は壁際に背を預け、介入しないことを表明した。
「パートナー契約まえの勝負だからね。動物園に申請した当人同士の決闘に、私が手を出すことはできないわ」
「……さっきのは?」
三人組のことを聞くと、少女はさて、と肩を上げる。
「あれは事故ではないかしら?偶然通り魔に襲われていたわよ」
「……そうかよ」
せっかく仲間が増えたというのに、心強さがない。彼女も、この巨人相手では分が悪いのだろう。ならば、俺一人でやるしかない。
俺は駆け出した。
体格の大きい相手に、パンチで勝てるとは思えない。というか、手首が痛いままだ。だから、狙うは、両足をそろえた飛び蹴り、ドロップキックだ!
地面を踏みぬき、宙に浮く。
だが、これまで、尾上信弘という人間は、喧嘩などしたことがなかったらしい。
頭が悪いという短所を補うように、運動神経を発達させていたということもなく、全身が乗っているはずの攻撃は、大男の太い腕によって、まるで蠅のように叩き落とされた。
受け身が取れないまま、地面に落下し、背中を強く打つ。
肺の空気をすべて排出する衝撃に苦しんでいるのに、男は息をつかせない。俺の脚を掴むと、軽々と持ち上げ、まるで棒きれのように壁にたたきつけた。
悲鳴を上げる全身。バウンドした肉体は、再び地面にたたきつけられる。幸い、歯などは折れていないが、顔面から始まり、胸元、腹部、脚につま先までくまなく激痛が走っている。
地面に痛むところを押し付けているのがつらくなり、うつぶせから仰向けに態勢を変える。
すると、上に向いた視界で、男の大きな足裏を捉えた。
踏みつけようとしている……?
あの巨体に踏まれたら……死ぬ。腸が飛び出るグロテスクな映像が脳をよぎった。
俺は必死で転がって避けた。
どっしん、と重量のこもった音が、コンクリートを鳴らす。
かわしておいて正解だった。命が助かった確信を持て、冷や汗がぶわっと飛び出る。大男は振り返ると、ぎょろりとした目で俺を見下した。
「お前では俺に勝てん。それにしても、よくうちの三人から逃げ切ったものだな」
「…………」
正論には反論できなかった。それはそうだ。勝てるわけがない。喧嘩は、体格がものをいう。こんな巨人と張り合うこと自体が間違いなのだ。地面を這いながら、どうにか男から距離をとろうとするが、頭上の脅威に涙が出そうになった。
立ち上がれば、また戦うことになる。俺の心はくじける寸前だった。降参を考え始めたとき、よくとおる声が路地裏に響いた。
「進藤たかし。あなた、裏の世界では有名人よね。その恵まれた体格で勘違いアウトローどもを蹴散らし、一気に地下格闘技界を昇りつめた猛者」
傍観していた少女が、大男に話しかける。ありがたいことに、男は俺から目をそらしたようで、背中にかかっていたプレッシャーが外れた。わずかな安らぎが訪れる。
「君のようなお嬢さんが俺のことを知っているのか?」
少女は、それには答えずに、背を預けていた壁際から離れると、歩き出した。カツ、カツ、カツ。地面に伏した俺の耳に、コンクリートを叩く革靴の音が耳に直に届く。
「例えば、猛獣使いがレッサーパンダになったとしたら、そのひとは、道具として、あるいは武器として動物を使役するわよね。愛護の話は後回しにして」
「……まあ、そうだろうな」
「許可を求めるわ。尾上くんが、私という道具を使用することを。そこに転がってる三人組だって、パチンコとか使ってるし、武器禁止なんてルール設定はしていないのでしょ?」
少女が、俺に代わり男の前に立った。その間に、俺は路の端に這い寄って安全を確保する。
情けないが、ここは少女の力を信じるしかない。 男は、腕を組みながら、自分よりはるかに小さな少女を見下ろした。
「とんだ屁理屈だな。別に良いが、女だからといって手加減はしないぞ」
「尾上くん、様子見ご苦労様。おかげで戦略が立てられて、余裕ができたわ」
男から目を離さずに話す蝶野。威圧を全く感じていないようだ。
「進藤たかし、あなた地下じゃ『大熊』なんて異名で呼ばれてるそうね。剛腕の闘士としちゃこれ以上ない呼ばれ方じゃない」
「……それも知っているのか。随分地下に精通しているのだな」
でも、と少女はボニーテールを振るった。
「なんてことはないわね。巨体だけで格闘技術は並み。私にとっては最も戦いやすい相手といえるわ」
挑発をする少女に、進藤はわずかに眉を動かした。さらに、腕組みを解き、指を鳴らし始める。
「……地上最強の動物といえば、百獣の王、ライオンなどを挙げる奴がいるが、俺はそれを否定する。最も強い動物は、クマだ。鋭い爪と、牙、そして剛腕を持つクマは、破壊の権化だ。
強くなければ、パンダにはなれん……道具というのなら、壊しても構わんな」
「どうぞご自由に」
前のめりの姿勢をとる少女、静かに怒る大男。
傍目から見て、ふたりとも、スイッチが入った。……そして、始まる。
強者同士の戦いが。
初手、進藤が拳を振るう。まっすぐと小柄な少女に向かう巨大な拳。破壊力については想像するまでもない。まともに当たれば敗北必至。
少女は上体を左にそらして、最小限の動きで破壊拳をかわす。頭部をわずか数センチ外れた位置に、拳が通過した。無防備に晒される男の太い腕。少女はその肘に軽く手を添える。
「そりゃ」
気が抜けるような掛け声とともに、力を加える少女。直後、めき、と耳障りな音が鳴る。
「ぐっ……貴様」
脂汗を浮かべる進藤。肘関節を、抑えている。
「垂直方向にちょっと力を加えただけよ。三次元に行きましょうよ」
少女は腰に手を当て、悠々とする。男は、忌々しそうに少女を睨みつける。
「降参したかったら、いつでもどうぞ?」
「…………。この程度で」
進藤が再始動する。
痛めつけられた片腕は捨て、もう一方の腕を大きく振るう。テレフォンパンチも甚だしかった。片腕を動かせない影響で、バランスが崩れているのだろう。
少女はまたもや、すらりと拳をかわすと、今度は、攻撃に転じた。
「ぐおお!?」
瞬間、鼻を押さえて膝をつく進藤。指の隙間からぼたぼたと鼻血がこぼれている。
目にもとまらぬ少女の動きに、俺は理解が追い付かなかった。進藤も、三人組と同様の攻撃を受けたようだが、トリックが暴けない。
少女は、目線の低くなった彼の頭を、がっちりと両手で押さえつけると、首を後ろに向かって傾けた。
「そらもういっちょ!」
弧を描くポニーテール。そして振り下ろされる頭蓋のハンマー。
男の顔に、ヘルメットがめり込む。飛び散る鮮血の量から、一発で十分なはずだったが、少女はバイザーが血で隠れているせいで、男の具合が見えないからか、その後も何度か念押しの頭突きを見舞った。
「よいしょ、よいしょお!」
「…………」
これにより、俺はようやく理解する。
彼女の謎の攻撃の正体は、あの頭突きであったのだ。
一瞬で、一撃で、小柄な少女が男を倒す方法は限られている。
例えば、威力の小さなパンチでも、急所を狙えば、致命のダメージになる。直撃箇所さえ良ければ、一撃で男を倒すことは可能だろう。だが、動く相手に、毎回的確に当てられる精度など、一部の天才を除いて持つ者はいない。
では、パンチより威力の大きいキックならば、どうか。これならば、当たる場所がどこであろうと大きなダメージを与えられる。だが、予備動作が大きいことはどうしようもない欠点である。避けられる可能性も高く、実践では使いにくい。
それならば。
頭突きならば、どうか。
頭蓋の重さは約5000グラムといわれている。これを鈍器のごとく振り回せばどうか。
面積の広い部位による打撃は、単純に命中しやすい。そして、予備動作も首を動かすだけなので、正面にいても攻撃が来るとは気がつきにくい。進藤への頭突きに至っては、かわした身をそのままぶつかりにいったので、意識の隙間をついた攻撃にもなっただろう。不意をついた一撃は、実際のちから以上に相手に響くのだ。
三人組を倒したときに動きが見えなかったことの答えも、種が明かされたいまとなっては単純明快である。彼女は、わずかに頭を上に突き上げる以上の動作はしていない。たったそれだけで、彼女には十分だったのだから。
「……思い、だしたぞ……俺のあとに、地下格闘のチャンプの座に座った女がいる、と聞いたことがある……たしか、お前の異名は……」
『ヘッドバットガール』。
その言葉を最後に、進藤は気を失った。巨体が、音を立てて崩れ落ちる。
勝負が、決した。
少女はヘルメットをカポッと外して、ポニーテールを振り回す。汗と熱気が、辺りにふわりと注いだ。
かわいらしくも凛々しい顔貌が、にっこりと笑う。
「そういえば、まだ名前言ってなかったわよね。私は、蝶野 蘭。一緒にがんばって、パンダになろうね!尾上くん!」
俺は、彼女の丸い瞳にくぎ付けとなった.。無邪気さに満ちた白い眼球と、深く邪悪の潜む黒き瞳孔は、俺の存在を吸い込むようで……。
力尽きた俺は、そのまま気を失った。
こうして、俺と蝶野はともにパンダを目指すパートナーとなった。
世の中白黒しない関係に溢れているが、彼女との関係はシンプルだ。
蝶野が上で、俺が下。そんな関係。
ひっくり返そうとしても、こてんぱんだろう。
『バッドヘッドボーイ×ヘッドバットガール』。




