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バッドヘッド × ヘッドバット ③

大慌てで入ってきた俺を、蝶野はベッドから起き上がることなく迎えた。彼女は寝転がりながら本を読んでおり、けだるそうにしていた。



温度差を感じながらも、熱心に事情を説明したところ、蝶野はふうん、と薄い反応をするだけだった。



「尾上君のクラスメイトを合わせて、その委員長さんの合計柏天ポイントは40ポイントか。あ、ほんとだ。昨日まで一位だった30ポイントのひとが二位に転落してる」



他人ごとのようにランキングを眺める蝶野。その様子は、しぼんだ風船のようだった。彼女には、先日までのギラギラした感じが消失していて、まるで別人である。



俺は、動揺しながら尋ねる。


「ど、どうしたんだよ、おまえ、まさか、もうあきらめたのかよ」


俺は、蝶野に救いを求めてここまで逃げこんだ。それなのに、蝶野がそんなことを言ってくるなど、どうすればよいのだ。



「かといって方法なんてなくない?二位転落したひとは焦っているだろうけど、あっちから接触してこない限り、私から探し出す方法はない。アプリの位置情報を探っても、なぜか全然出てこないし、もう無理だよ」



言葉がでなかった。まさか本当に、蝶野は諦めたのか?なぜ、どうして?疑問とともに、静かな怒りも沸き上がる。そんな自分勝手は許されない。俺は蝶野に背を向けて言い放った。



「俺だけでも、どうにかするからな。……お前との契約切ってでも」



「……………」



これは、本心から出た言葉ではなかった。蝶野の当て馬として、利用され続けてきた俺を切るはずはない。……そう信じたいがゆえに出た言葉だった。



彼女は、抱える事情を明かしてくれなかった。パンダになりたい理由も話してくれなかった。もしかしたら、本心すらもいまだ隠れたままなのかもしれない。それでも、それでもここまで一緒に戦ってきた俺を、こんな風に見捨てるはずが、ない。



動悸が高まる。見捨てないでくれ……。女々しさを感じながらも、目をつぶり、乙女のように祈る。



だが、蝶野は、肉球端末を操作すると、俺に画面をみせた。



「契約、解除したよ。尾上君はこれから自由。好きにすればいいよ」



蝶野の唇が動く。



『じゃあね』



別れの言葉は、いやに簡素だった。



目の前が真っ黒になったようだった。






外は、雨が降っていた。ちからなく、門の外を出ようとする俺を引き留め、中川さんは傘を差してくれた。



「今日はおうちまでお送りしますよ。ちょうど、終業時刻だったので。お嬢様のことについて、お話してさしあげます」



俺の明らかな様子の変化に、中川さんは気遣ってくれた。心が不安定であったので、俺は寄りかかるように、彼女に甘えた。



傘が水滴をはじく音が響く。そのなかで、中川さんの声は、筒の中で囁くように、耳に届いた。



「先日は、お嬢様のプライベートなことは語れないと申しましたが、あのあと考え直したのです。私では、お嬢様を変えられませんでした。でも、もしかしたら、尾上さんなら……」



蝶野蘭は、明治時代から続く名家に生まれた。彼女は、幼少期のころから、両親にたっぷりと愛情を受けながら、すくすくと育った。



幸せな日々、それが大人になるまで続く。そう蝶野は思っていた。しかし、神は残酷であった。


あるとき、彼女の母が妊娠をした。最初、蝶野は、妹ができると喜んだが、出産の際、母が死亡する可能性のある難産となると医者に告げられ、絶望した。



妹なんていらない、と父とともに説得したが、母はかたくなだった。出産の日が近づくにつれ、蝶野の心配は増していった。だが、母は明るかった。



『大丈夫よ、蘭。お母さん必ず元気になって、あなたの妹に会わせてあげるからね。そうだ、妹ができたら、家族みんなで動物園に行こうか』



『約束だよ……』


だが、願いはかなわないどころか、さらに最悪の事態となった。


出産予定日、先んじて病院に来ていた蝶野は、電話で報告を受ける。出産を見届けるため、バイクで向かっていた父が、トラックに衝突してなくなったと。



さらに悪いことは重なる。その数時間後、妹となるはずだった胎児は流産し、母も同時に衰弱し、命を落としたのだ。



「そんな……ことって……」



中川さんの話を聞いて、俺は吐きそうになった。蝶野は、なんてものを背負って生きているのだ。一度に両親を失う悲劇。想像も及ばない。



「それ以来、お嬢様は家に引きこもるようになりました。ふとしたときに、ご両親との楽しかった思い出を思いだし泣き出してしまうからです。悲しみを忘れようと、がむしゃらにコンクールや賞などに打ち込んでいた時期もありましたが、一番褒めてほしい両親がいないため、やるほどに空しさが増していったようでした」



蝶野の部屋に飾ってあったトロフィーを思い浮かべる。あれらは、そんな経緯でとったものだったのか。無遠慮に感心したことを、恥じた。




「そのうち、お嬢様は自暴自棄になっていきました。楽しかった思い出を持っているから苦しむのだ、と考えるようになり、至る所に頭突きをして、脳を破壊しようとする自傷行為を繰り返したのです。私はお嬢様に武術を教え込むことで、規律や型にはめ、制御しようとしてのですが、根本的な考えを変えてくれることはなく、彼女は暴力に明け暮れました。そんななか、パンダ募集の広告を見つけました。パンダという獣になれば、人間としての記憶は失われる。私は、お嬢様が傷つくよりはよいと思い募集を薦めたのです。ですが、お嬢様のやり方は変わることなく……」




パンダになれずとも暴れまわっていれば、いずれ脳が壊れて願いはかなう。彼女にとってパンダになることは、結果でしかなく、その過程で十分目的は果たせるのだ。



だから、蝶野はあっさりと諦めた。



パンダになれないなら、これまで通り、どこかの誰かに頭突きをしていれば、よいだけだのだから。



「…………」



「あのヘルメットは、お父様がお母さまをバイクに乗せていたときに使っていたヘルメットなのです。いわば、ご両親の形見です」



蝶野は、ヘルメットをおもちゃ箱にしまっている。口では捨てたいとは言っている、子供のころの思い出が詰まっているであろう、おもちゃ箱を大切にしている。



総じて、彼女は、思い出に縛られているのだ。


全部嘘だった。彼女がパンダになりたいなんていうのは、すべて嘘。



彼女に信頼してもらえなかった無力感に、俺は打ちひしがれた。



家のベッドのなかで、身もだえする。蝶野の境遇、委員長の思惑、すべてがわかったのに、彼女を救う方法が思いつかない。俺の無能がゆえに手出しをする方法が思いつかない。



 もどかしい、なんてもどかしい! 気づけば時計はすでに一時を回っていた。まったく寝付ける気がしない。俺はスマホを開いた。ライトは寝つきを悪くするらしいが、そんなものしるか。こんな気持ちで寝ることなんてできるはずもない。



最近はご無沙汰していたぱんっちを開くと、西木恋姫の新作動画があがっていた。動画によると、深夜二時からゲリラライブを行うらしい。気を晴らすために、俺は上着を羽織って外に出た。



夜の街は無の世界で、動くものはほとんどいない。この時間で活動している人々は、ふとしたときに孤独に捕まってしまわないのだろうか。わずかな明かりは何の慰めにもならない。



ライブハウスの受付にいくと、いつものおじいさんが、怯えたような表情をしていた


「どうしたんですか?」



「な、なかで暴動が……。もう終わったようなんですが」



 ただ事ではない。



 西木恋姫を心配し、急いで会場に駆け込むと、そこには、大男、進藤たかしがたおれていた。

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