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クランがシド達と邂逅した次の日――
いつもの様に街へ出たクランは、尾行している密偵の目を欺くため市場や広場で街娘に声をかけたり、酒場でリュートを演奏しながら時間をつぶした後、夕刻時になると市場の人ごみに紛れ込んだ。
森の泉亭の壁際のテーブルでシドがエールを飲んでいると、手にリュートを持ったクランが姿を現した。
シドが無言で座るように促すと、そこにクランが腰を下ろす。
「こっちにエール一つ追加!」
シドは給仕の少女にクランの分の酒を頼むと、決して広くはない店内にさり気なく視線を走らせるクランに向き直る。
「周りの席は公国の密偵達だ、見かけない奴が来たらすぐに知らせが来るから内密の話をしても問題ない。それと、隣の席の奴が二人一組で昨日から宰相の屋敷の張り込みをしている奴だ」
クランは小さく頷くと、今日までで分かった事の説明を促す。
「とりあえず宰相の屋敷を張っていた奴の話だと、今のところ動きは無いようだ。あと、昨日言われた身辺調査の件だが、今は大人しくしているが昔はかなり好き勝手やっていたらしい。その筋では有名だったらしいな。それと、調べたら少し気になる女が見つかった」
「女?」
クランが聞き返す。
「ああ、どうも対象が一時期その女の所に入り浸っていたようなんだ。一応その女の事も調べているが、どうも匂うんだよな。密偵のカンってやつだ」
「そうですか…… 他に分かった事は?」
「おいおい、まだ一日しか経ってないんだ。あんまりがっつくとイヴって娘に嫌われるぜ」
シドが肩をすくめながら答えると、クランはちょっと驚いた顔をする。
「もうイヴさんの事まで調べたんですか?」
「ああ、俺達はこれで食ってるからな。まあ、お前の驚いた顔を見られたから手間賃としては妥当なところだな」
一頻り笑ったシドは、一つのテーブルを指差して口を開く。
「あそこで酒を飲んでる女はうちの密偵だ。今日、お前はあの女の家に泊まっていけ。外に女がいると思われたほうがなにかと便利だろ」
「……はい」
シドは含み笑いをしながら、しばらく悩んで答えたクランの肩を叩く。
「城でお前を待っている娘が気になるか? 諦めろ、俺達密偵の宿命だ」
「全部終わった後、誤解を解くのが大変そうですね……」
クランは憂鬱そうな表情をしながらエールを飲み干した。
シドが張り込みしているサイと交代の時間だと言って席を立つと、クランはリュートをもって帝国の密偵といわれた女のテーブルに向かう。
「一曲弾いていいですか?」
女が微笑むとクランがリュートを奏でる。
その後、女に誘われてクランは夜の街へと消えていった。
◆ ◆ ◆
「オットー様、落ち着いてください」
豪華な調度品の置かれた自室で、宰相であるオットーが不機嫌さを隠さずに落ち着きなく歩き回っていると側近であるフランクがなだめる。
「これが落ち着いていられるか! どこの馬の骨か分からない、冒険者などという奴らが城の中を歩き回っているのだぞ!」
オットーは音を立ててふかふかなソファーに座り込む。
「ここで短気を起こされては、折角ここまでオットー様が進めてきた事に悪影響が出てしまいます」
オットーは自分のもっとも信頼する側近の諫言に答える。
「そうだな、フランク。前国王が亡くなってからやっとここまで来たのだ。これからも気を引き締めて望まないとな」
自分が左遷した元内務長官のアランの事を考えながら、オットーはこれからの事に思いをはせた。
◆ ◆ ◆
オットーがこれまでの事に思いを馳せている頃、近衛騎士団団長ジャックもまた、前国王が襲われた時の事を回想していた。
父親である前騎士団団長と共に警護していた時に突然現れた賊たち。
なすすべもなく倒れた父親の後悔と無念の視線。
前国王とその子供達の凄惨な死体。
「なんとしても女王の政敵を排除して、その地位を確固たる物にしなくては」
自分の命を賭けてでも成就しなければならない、という思いを瞳に宿らせながら、ジャックはレムリアース城の近衛騎士団団長室の質素な椅子に座りながら決意を新たにした。
◆ ◆ ◆
「ちょっと! 朝帰りとはずいぶんね!」
翌朝、レムリアース城の自室に戻ろうとしたクランをイヴの怒声が出迎える。
「ちょっと街で用がありまして……」
しどろもどろにクランが答えるが、彼の部屋で一人夜が明けるまで待ち続けたイヴの怒りは収まりそうになかった。
「それで何してたの!?」
イヴの追及に、まさか酒場で知り合った女性の部屋にいましたとは、口が裂けても言えないクランは口篭る。
はっきりしない彼の態度に、イヴの怒りが頂点に達しようとした時
「クラン君、イヴさんも君の事を大変心配していたんだ。理由ぐらい説明してもいいんじゃないのかい」
二人の姿を見たジャックがクランに声をかける。
二対一になったクランは、ばつが悪そうに視線を逸らすとあきらめたように小さな声で言う。
「酒場で知り合った女性の部屋にいました……」
瞬間、イヴがクランの頬を叩く音が響く。
「ばか! 死んじゃえ!」
そう言い残すと、イヴは肩を怒らせ女王の警護に向かう。
「クラン君、余計な事を言って悪かったね」
思ってもみなかった事の成り行きに、気まずそうな表情でジャックがクランに謝ると、クランが首を振りながら答える。
「いえ、ジャックさんのせいじゃないですよ。まあ、しょうがないです……」
クランはイヴの後姿を視線で追いながら答えた。
「はははははっ! それは災難だったな!」
夕食を取る客たちで混雑する森の泉亭にシドの笑い声が響く。
「笑い事じゃないですよ……」
赤い頬をしたクランが恨めしそうな視線を向ける。
「いや、すまん」
笑いを噛み殺しながら答えるシドにクランは抗議の視線を向ける。
「あ~、前国王が襲われた時の状況が大体つかめた。当たり前だが裏も取ってある」
シドがあからさまに話を変えようとすると、クランは真顔になり話しの続きを促す。
「前近衛騎士団団長だが、噂通り喉をバッサリやられて死んだらしい。他の騎士達も不意を突かれて組織的な対抗は出来なかったようだ。事前に情報が漏れていたとしか思えないな。それと、昨日話した女だがやはり匂うな。場末の余り治安の良くない場所に住んでいるんだが、金回りがいいようだ。多分バックにパトロンがいるんじゃないかな」
そこでシドは話を区切るとエールで喉を潤す。
「元内務長官のアランが左遷された件については何か分かりましたか?」
クランの問いにシドはエールの注がれたジョッキをテーブルに置く。
「アランは左遷されて自分の領地に戻ってからほとんど外に出ないらしい。それと、左遷させられた時位から、アランの娘を見かけた者がいないようだ」
「……死んだんですか?」
「いや、そういった話は聞いていない」
少し考えた後、クランが口にする。
「だったら、誘拐ですかね?」
「ああ、俺もそう考えたんだが、アランに金品の要求などされた様子は無いらしい」
「そうですか……」
そう呟くとクランが考え込む。
シドはクランが口を開くまでエールを口に運びながら待つ。
そろそろサイと張り込みを交代する時間が気になりだした頃、クランが口を開く。
「今までの情報で考えた仮説なんですけど……」
クランが今回の事件で考えた事を話し出す。
「それはまた…… よく思い付いたな。だが、話の筋は通っているな……」
話を聞き終えたシドが感心した様に呟く。
「ただの仮説ですけど……」
「いや、十分考えられる。そうすると、アランの娘と、女のバックが問題か……」
「その事なんですが、娘さんが生きている事を定期的にアランさんに知らせているんじゃないかと思います。それと、女の方ですがこんなのはどうでしょう?」
そう言うとクランはシドに自分の計画を話し出す。
「……それは賭けになるな、だがやってみる価値はあるか……」
クランの話を聞き終えたシドはしばらく考えた後、クランに答える。
「よし、アランの屋敷に何人か張りこませる。そこでアランに接触する者がいたら後を追ってアジトを突
き止めた後、クランの計画を実行しよう」
クランはシドに小さく頷いた。
それから数日後、シドから深夜アランの屋敷を訪ねた男の隠れ家を発見したとの連絡で、クランの立てた計画を実行する事になった。




