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文化祭が終わり通常の授業に戻ったが、理沙達を取り囲む環境は多少なりとも変化していた。
先ず理沙だが、月1~2回告白されていたのが、週1回ペースで告白されるようになった。
もっとも、全てお断りしていたが。
次に花音だが、近寄りがたい美少女と周囲に認識されていたが、文化祭のステージで笑みを浮かべながら楽しそうにヴァイオリンを弾いていたのを見たクラスメイトが話しかけてみると、思ったより気さくで話しやすいことが分かり、花音の席の周りにクラスメイトを見かけることが多くなった。
京一は…… 文化祭前と変らず女子生徒を追いかけていた。
そして現在、理沙が悩んでいるのは守の事だった。
文化祭で守のかっこいい所を皆に見せようと画策した理沙だったが、思ったより上手く行き過ぎてしまった。
理沙の目から見て、守に話し掛ける女子生徒が5倍-理沙の目の補正込み-になってしまった。
そして、その事を相談しようと昼休みに花音を中庭に連れ出していた。
「つまり理沙は、守さんに話し掛ける女子が増えたのが不満なんですね」
言いたい事を話し散らかす理沙の言葉をまとめた花音が確認する。
「……うん。文化祭のステージを見て、守の事を見直してくれたのは嬉しいんだけど……」
「このまま誰か守さんに告白して、交際するようになったら大変だと?」
「そんな事言ってないよ。でも、もし誰かが守に告白したら、守、OKするかも。優しいから……」
花音は理沙の言ったような事にはならないと思った。
理沙は相手の子を傷付けたくないから守がOKすると思ったが、花音は守だったら相手が傷つくことになっても、首を横に振るだろうと思っていた。
理沙も冷静に考えればそう思うだろうが、今の理沙の精神状態ではそれは難しい事なのだろう。
「だったら、自分の気持ちをはっきり伝えてみたらどうですか?」
花音の言葉に理沙は目を見開く。
「そんなの無理だよ。あたし料理できないし、意地っ張りだし、もし守に断られてギクシャクしたらやだもん」
「守さんは優しいから、断らないんじゃないのですか?」
ブーメランのように帰ってきた言葉だったが、理沙は首を振りながら答える。
「そんなの分かんないよ。お前はヤダなんて言われたら、あたし立ち直れないよ」
花音は困った表情を浮かべた。
「でしたら、私が守さんに交際の申込をしてみましょうか? それで守さんが他の人が告白しても断るかどうか分かりますよ?」
「ダメだよ! 花音の事を断る男の子なんていないよ!」
いよいよ煮詰まって来たのか、理沙は自分の足を抱えて膝に額を当てて黙り込んでしまった。
花音は少し意地悪しすぎたかなと、理沙の背中をさすりながら話しかける。
「大丈夫ですよ、守さんは理沙の事を断ったりしません。万が一断られたら、私が理沙にエトレーヌでケーキをご馳走します」
「本当? もしそうなったら、あたし凄い食べるよ?」
「はい、好きなだけ食べて下さい。でも、上手くいったら私にケーキご馳走してくださいね」
顔を上げた理沙が答える。
「わかった。でも、あまり沢山頼んじゃダメだよ。あたしお小遣いあまり無いから」
「はい、私は理沙みたいに沢山食べませんから」
「花音ひどい。あたしだってそんなに食べないもん」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして、笑いあう二人を隠れて見ていた生徒がいた。
放課後、帰宅の用意をしている守に怒ったような理沙が話しかける。
「守、大事な話があるから公園に7時に来て。人通り少ないんだから遅刻しないでよ」
言いたい事を一方的に言うと、理沙は足早に教室を後にする。
守は突然の事に、ただ理沙の歩き去る姿を目で追うだけだった。
帰宅後、守は夕食の準備を始める。
理沙との待ち合わせの公園まで自転車で5分程の距離だ。
6時50分頃に家を出ようと決め、それまで家事をする事にした。
家を出る予定の時刻になり、急いで自転車に乗ろうとした守だったが、間の悪い事にタイヤがパンクしている。
「まいったな、最近乗ってなかったからな」
守は自転車に乗ることを諦め、走って公園に向かう事にする。
その頃、公園には走り去る京一の姿があった。
「うわ、5分遅刻した」
息を切らせながら腕時計で時間を確認した守は、公園の中にいるはずの理沙の姿を探した。
そして、電灯の下に座り込んでいる理沙を見つけて駆け寄る。
「ごめん理沙、遅刻した」
守の声に理沙がゆっくりと顔を上げる。
「バカ…… 遅刻しないでって言ったじゃない。今回は許すけど、次遅れたら許さないからね……」
弱々しい理沙の声に、守は座って理沙の顔を覗き込む。
そこには、蒼白な理沙の顔があった。
守が驚いて理沙の体に視線を移すと、制服は血にまみれ、地面には血だまりが出来ていた。
守が息を呑み、周囲に沈黙が訪れる。
「守、黙らないでよ。目がよく見えないんだから」
理沙の言葉に我に返った守は、懐から携帯電話を取り出し119番に電話した。
自分の友達が血まみれになっている事と、居場所を伝えると通話を切り理沙に話し掛ける。
「理沙、今救急車呼んだから! しっかりして!」
守は血まみれの理沙の手を握り締める。
「今日は大切な話しあったのに、ついてないな……」
理沙が俯いてつぶやく。
「ねえ守……」
「しゃべっちゃダメだよ! すぐ救急車が来るから!」
理沙の手を握り締めた守が言う。
「守の手あったかいね…… もし、あたしに何かあっても自分を責めないで。そして、その時はあたしの事を忘れて…… 守、優しいから、あたしの事覚えてたら前に進めなくなっちゃう。だから、お願い、その時は私の事を忘れてください……」
理沙が顔を上げ、必死に笑みを作りながら守に懇願する。
「わかったから、喋らないで」
守の言葉に、理沙は安心したような表情を浮かべた。
「約束だよ…… 守」
そう言うと、理沙の腕から力が抜けた。
「理沙? 理沙しっかりして! 理沙!」
守の声が公園に響き渡る中、サイレンを鳴らした救急車が到着した。
救急隊員が担架に意識を失った理沙を乗せ、守と一緒にサイレンを鳴らしながら病院に向かう。
守はその後の事は断片的にしか覚えていなかった。
ICUに運び込まれた理沙。
連絡を受けて来た理沙の両親に、泣きながら土下座をして謝る自分。
息を切らせながら来た京一。
震える手を握り締めながら長椅子に座っている花音。
理沙の両親に何かを説明する医師。
泣き崩れる理沙の両親。
霊安室に横たわる理沙。
雨の中、理沙の葬儀に来た沢山の生徒。
『お前が悪いんだ』泣きながら守に暴言を吐く男子生徒。
暗闇の中で見続けた壁の染み。
自分を励まそうとする幼馴染達。
そして、家の物置から長いロープを持ち出し、高台にある林の中を彷徨う自分。
守は一本の木を選ぶと、丈夫そうな枝にロープを縛り付けた。
そして、反対側の先端を輪になるように結ぶと自分の首に掛けようとする。
「人の土地で何やってるんじゃ!」
守は突然の大声に俯いていた顔を上げる。
そこには、眉間にしわを寄せた老人がいた。
老人は早足で守に近づくと、守の手から強引にロープを取り上げる。
「まったく近頃の若い者は何を考えてるんじゃ。こんな所で自殺なんぞしようとしおって、周りの迷惑も考えてみろ!」
老人は守の腕を握り締めると、守を引きずる様に歩き出す。
老人とは思えない力に、守は抗う事を諦め共に歩き出した。
老人の住まいと思われる立派な門を潜り、母屋の隣に立てられた、まるで何処かの道場の様な建物に入ると、老人は守の腕を離し母屋に歩いていった。
しばらくすると、老人はお盆に湯気の立つお茶を持って現れ、守の前に座りお茶の入った湯飲みを置く。
「わしの土地で死のうとしたんじゃ、理由ぐらい尋ねても罰は当たらんじゃろ。ここでお主が話したところで、死ぬまでの時間が数時間遅くなるぐらいじゃ。話してみろ」
広大な老人の土地で自殺しようとする人間は、いないわけではなかった。
老人は夜、自分の土地を見回り、今まで何人かの自称自殺志願者を道場に連れてきて話を聞いていた。
自分の鬱屈した思いを老人に話すと、大体の人間は老人に頭を下げて道場を後にする。
特に若者などは、人生経験も乏しく、自分の気持ちを上手く逃がすこともできないため、話してみると案外落着くものだった。
さすがに老人も、その後の事まで責任は持てなかったが。
老人は辛抱強く守が口を開くのを待つ。
「僕は、守れなかった…… いつも一緒にいたのに、遅れて、助けられなかった……」
老人は、断片的な守の言葉を目を瞑り聞いていた。
「僕は理沙を助けられなかった……」
悲痛な表情で守が少女の名前を口にすると、老人は目を見開く。
「それで、おぬしは死のうとしたのか…… だが、それを聞いたら亡くなった少女はどう思うじゃろうな」
老人の言葉に守はただ俯いていた。
守を見ていた老人は、何度も逡巡していた言葉を口にする。
「あの事件はわしも知っておる。まだ犯人は捕まっていないようじゃな? ここでお主が苦しみぬいて死んでも、犯人は我が物顔で町を歩く事になるのう?」
老人の言葉に守は顔を上げる。
「なにが言いたいんですか?」
やっと自分の顔を見た守に、老人は悪魔の言葉を言い放つ。
「憎くないのか? 犯人が」
「憎いです、でも僕には……」
守の言葉を遮り、老人が話し掛ける。
「力が欲しいならわしがくれてやる」
そして老人は一息つくと続きを口にした。
「今日は帰れ。そして、もし憎きものを討つ力が欲しければ、またわしを訪ねて来い」
守に言い残すと老人は道場を後にする。
最後に、自分の孫の葬儀でずっと泣くのを堪え佇んでいた少年を一瞥してから。
そして数日後、老人の前に悪魔の契約書にサインをしに来た少年が現れた。
道場に向かう自分の後ろを歩く少年に聞こえないように老人は呟く。
「わしが死んだらあの世で理沙にひどく怒られそうじゃな。じゃが理沙、あの少年は心が死に掛けていた。例え外道と言われようとも、わしにはこの位しかできん。1、2年もすれば気持ちの整理もつくじゃろう……」
だが、老人の予想は外れることになる。守の瞳に宿った暗い炎は、1,2年程度の時間では消えることは無かった。




