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窓の無い薄暗い執務室の扉がノックされると、机についていた黒髪の大男が低い声で答える。
「入れ」
男の答えを待って、ドアから一人の黒髪の女が現れた。
女は男の机の前まで進み、直立不動の姿勢をとると口を開く。
「報告いたします」
男が女の言葉に頷くと、女は口を開く。
「ドワーフの集落を襲撃し捕虜を捕らえましたが、途中で別の集落と思われるドワーフ達の夜襲に合い、応戦したものの捕虜達を奪取され、自軍の騎士達にも甚大な被害を受けました。申し訳ありません」
報告を終え、頭を下げたままの自分の副官を見て男が口を開く。
「早馬で事前に一報は受けていたが、お前がいてどういうことだ?」
「申し訳ありません。ドワーフ達の援軍を予測していなかった私の判断ミスです。そのためタルボット卿を失いました。どの様な処分も謹んでお受けいたします」
頭を下げたままの副官に、溜め息を付きながら男が答える。
「タルボットにはお前の傍で指揮官に必要な資質を学ばせようと思ったのだが、奴には通じなかったらしい。奴が死んだのは手柄に目が眩んだのだろう? お前が気にする事ではない。だが、ドワーフを捕まえるだけの任務に失敗したのはお前らしくないな。何か有ったのか?」
自分の副官の能力を信じた男の言葉が、クランの事を隠す彼女の心に刺さる。
「暗視能力を持ったドワーフの夜襲に対する備えが不十分でした。申し訳ありません」
繰り返す謝罪の言葉に、男は違和感を覚えながらも部下に言葉をかける。
「詳しい内容は後日改めて報告を聞く。お前も疲れただろう、今日はもう休め」
「はっ!」
ようやく頭を上げた副官が返事をする。
本来なら一礼し、このまま部屋を後にするはずだが、男が自分から視線を外さないため、女は隊長の言葉に続きが有ると判断しそれを待つ事にした。
二人の間に流れる空気が微妙な間を含みだすと、男は副官の顔を見つめながら語り出す。
「カルラ、黒骸騎士団に戻った事後悔してないか?」
逡巡しながらも男が思わず口にした言葉に、カルラが不思議そうな顔をする。
それは、黒骸騎士団の隊長、副隊長の関係になってから、彼女が初めて聞いた男の声色だった。
「どういう意味でしょうか?」
副官という立場を崩さない彼女に、男は言葉を選びながら話を続ける。
「血生臭い世界に戻らずに、クランと共に暮らすという選択も有ったのではないか?」
カルラは反射的に副官という立場を忘れ聞き返す。
「グレン、それは私が不要という事?」
いつに無く強張った彼女の言葉に、若干面食らいつつもグレンが答える。
「そうは言っていない。だが、あの家で暮らしていたお前は生き生きとしていた。今からでも、元の生活に戻る事も選択の一つだと思っただけだ」
グレンに頭を振り、カルラが言う。
「私の生きる場所はここなの。貴方に拾われた時から、私は貴方の傍にいると決めたの」
「だが、お前はそれで幸せなのか? お前はまだ若い、普通の娘として生きる事も出来る。俺の生き方に付き合う必要は無い。お前が兄のように慕っていた“クラン”が死んだ事も、俺とあいつの問題だ。お前が責任を感じる事はない」
グレンの口から、彼女より先にグレンに拾われ、彼女が兄の様に思っていた人物の名が出た瞬間、カルラの心が沸き立つ。
「私は貴方の副官だ! 貴方のいる場所が私のいる場所だ! もし、そこが地獄と言うのなら、地獄が私のいる場所だ!」
そう言い捨てると、グレンの返事も待たずにカルラは部屋を後にする。
そのままほとんど荷物の無い自室に戻ったカルラは、机の引き出しを開け、唯一といってもいい私物を机の上に置く。
それは、森の中に倒れていたのを見つけ、一緒に暮らすうちに弟のように思うようになっていた、グレンがどんな意味があったのか”クランお兄ちゃん”と同じ名前を名乗るようにした、クランから貰った髪留めだった。
それを触れただけで壊れてしまうかの様にそっと掌に包むと、呟く。
「‘死神’が今更如何するって言うのよ…… これだけ人を殺しておいて、グレンが“クランお兄ちゃん”を殺すのを止められなかったわたしが、普通の女の子のように生きられる訳無いじゃない……」
そう言いながらも彼女は、ほんの一時、普通の娘として過ごした日々を思い返す。
ムーラの森の家で過ごした時間は、グレンに拾われてから初めて過ごした血と怨嗟から逃れた日々だった。
だが、所詮それは泡沫の夢のようなもの。
‘狂人’の実験のために多くの人間、亜人を捕らえ、屠り、死体の山を築いた自分が、血塗られた道を歩む自分が決して見てはいけない夢だった。
カルラは思い返す。
肉親を失った彼女が実の兄の様に慕い、一緒に黒骸騎士団に入団した“クランお兄ちゃん”と同じ名前を、記憶喪失の少年にグレンがなぜ付けたかは彼女には分からない。
実験のために多くの人々を不幸にする‘狂人’を討とうと立ち上がり、粛清にやってきたグレンに殺された“クランお兄ちゃん”と同じ名前を名乗らせたのかは分からない。
だが、最初はクランと少年が名乗るのをあれほど嫌っていたのに、いつの間にか当たり前のように自分も呼ぶようになっていた。
それは、黒骸騎士団の自分と出会い、驚きながらもその道は間違っていると訴えるクランの瞳が。
自分と同じく戦場で拾われ、グレンの事を尊敬しつつも‘狂人’に指示され無辜の人達を襲う黒骸騎士団の有り方を否定した、“クランお兄ちゃん”と同じ瞳をしていただろうか。
ならば、自分はもう一度見なければならないのだろうか?
決死の覚悟で剣を握るであろう少年の瞳を。
弟のように思うようになっていた、もう一人のクランの死を。
カルラはただ握り締める。
ただ一つの宝物を。
御覧頂きありがとうございます。
稚拙な文章のため、内容が分かりずらいと思いまして、捕捉させていただきたいと思います。
『クラン』という人物について、カルラが『クランお兄ちゃん』と口にしている部分がありますが、その人物は守とは別の人物です。
カルラが守と出会う前に、同じくグレンに拾われ、グレンに名づけられた別の人物になります。
分かりずらい文章だったと思いますが、文才のない人間ということで、ご配慮いただけたらと存じます。