第五十三話 白い地下の薄明
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その白さの奥に、ほんの少し光の層が見える。
強い光じゃない。
誰かを照らし出すような光でもない。
もっと薄いもの。
呼吸の奥へ残る、微かな明るさ。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その一瞬だけ、地下が少し明るくなる気がした。
昔の自分は、多分。
光を「答え」だと思っていた。
上へ行けばあるもの。
努力して辿り着くもの。
何かを超えた先にあるもの。
でも今は違う。
光は、多分。
呼吸の中にある。
沈黙の後に残る。
水を飲んだ後に、少し身体へ残る。
そういう、小さいもの。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は、暗くなかった。
静かに、薄い光が流れている。
見えない呼吸みたいに。
「最近、空気明るいですね」
女の子が、小さく言う。
「明るいですか?」
「前より、ちゃんと余裕あります」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ちゃんと余裕あります。
多分。
余裕って、空白なんだと思う。
全部を埋めない。
全部を掴まない。
少し空ける。
少し止まる。
すると、その隙間へ風が通る。
光も、そこへ落ちてくる。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、光が落ちてくる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと薄明があった。
白い風のあと。
沈黙のあと。
氷の音のあと。
その小さい余白へ、静かに光が落ちている。
人は、その見えない薄明へ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに深く息を吸う。
呼吸が、胸の奥まで静かに落ちていく。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




