第四十八話 白い地下の奥
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その白さの奥に「奥行き」がある気がする。
昔は、地下は平面だった。
ただ、横へ流れていくだけの場所。
出口へ向かうだけの場所。
でも今は違う。
白い地下の奥に、もう一つ別の深さがある。
沈黙の奥。
氷の音の奥。
誰かの「お疲れさま」の奥。
そこへ、静かに風が通っている。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その一瞬だけ、地下の天井が少し高く見える。
その感じが、妙に好きだった。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は、空っぽじゃない。
静かに、何かが流れている。
言葉になる前の何か。
呼吸みたいなもの。
「最近、なんか深いですね」
女の子が、小さく言う。
「深い?」
「前より、ちゃんと“居る”感じ」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ちゃんと“居る”感じ。
多分。
昔の自分は、ずっと頭の中だけで生きていた。
考えて。
組み立てて。
意味を探して。
でも。
人は、多分。
身体で呼吸しないと、生きられない。
水を飲む。
風を感じる。
沈黙へ少し身体を預ける。
その中で、人はまた自分へ戻っていく。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、見えない深さへ触れられる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと奥行きがあった。
ただ。
昔の自分は、平面しか見えていなかった。
白い風。
沈黙。
氷の音。
誰かの呼吸。
その全部が、静かに奥へ続いている。
人は、その見えない深さへ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




