第四十六話 白い地下に流れるもの
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い地下が静かに続いている。
でも。
最近は、その白さの奥に、何かが流れている気がする。
風。
呼吸。
沈黙。
感謝。
そういう、目に見えないもの。
昔の自分は、多分。
見えるものばかり追っていた。
結果。
答え。
意味。
構造。
そういうものを積み上げながら、ずっと息を止めていた。
でも今は違う。
人は、多分。
見えないものの中で生きている。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風が吹く瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その感じが、妙に好きだった。
完全に一つにはならない。
でも。
少しだけ重なる。
少しだけ同期する。
その「少し」が、人を生かしている。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その後、少し沈黙が落ちる。
でも。
その沈黙は空っぽじゃない。
静かに何かが流れている。
見えない風みたいに。
「最近、優しいですね」
女の子が、小さく言う。
「優しいですか?」
「前より、ちゃんと空気あります」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ちゃんと空気あります。
多分。
それが、一番大事だった。
昔の自分は、空気を忘れていた。
全部を埋めようとしていた。
全部を理解しようとしていた。
でも。
空気は、余白へ流れる。
沈黙へ流れる。
「間」へ流れる。
だから。
少し空ける。
少し止まる。
少し、水を飲む。
すると、人はまた呼吸を思い出す。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
そして。
少し、見えないものが流れる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと何かが流れていた。
白い風。
氷の音。
沈黙。
感謝。
誰かの呼吸。
その全部が、静かに混ざっている。
人は、その見えない流れへ少し身体を預けながら、今日も白い地下を歩いていく。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




