第四十一話 白い風のあと
地下鉄が、ゆっくり暗いトンネルへ吸い込まれていく。
窓へ流れる白いLED。
その光をぼんやり見ながら、ふと思う。
人は、多分。
どこかへ辿り着くためだけに生きている訳じゃない。
昔は、そう思っていた。
上へ行く。
強くなる。
答えを見つける。
そうやって、ずっと前だけを見ていた。
でも。
人は、歩きながら呼吸を覚えていくのかもしれない。
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
みんな、今日も静かに流れている。
でも、その群れはもう冷たく見えなかった。
誰もが、どこかで少し草を食べている。
誰もが、どこかで水を飲んでいる。
誰もが、小さい呼吸を抱えながら歩いている。
その感じが、今は少し分かる。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声だけで、少し空気が柔らかくなる。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その短い同期だけで、場の空気が少し整う。
何も解決しない。
人生の答えも出ない。
でも。
少し呼吸が深くなる。
少し、自分へ戻る。
多分、人間にはそれで十分なんだと思う。
「最近、地下好きですね」
女の子が笑う。
「そうかもしれません」
そう答えると、少し笑う。
昔なら、多分こんな事は言わなかった。
地下は、閉じた場所だった。
乾いた場所だった。
孤独が流れる場所だった。
でも今は違う。
地下には、ちゃんと風が流れている。
人の呼吸が流れている。
疲れた牛達が、静かに草を食べている。
その感じが、少し好きだった。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、ゆっくり場へ混ざっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと風が流れていた。
ずっと、小さい草が生えていた。
ずっと、誰かが水を飲んでいた。
ただ。
自分が、それに気付いていなかっただけだったのかもしれない。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
窓へ、白いLEDが流れていく。
歩き疲れた牛達は、今日も静かに白い地下を歩いている。
草を食べながら。
水を飲みながら。
少しずつ、呼吸を戻しながら。
その白い流れを見つめながら、静かに目を閉じる。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音だけが、いつまでも静かに身体へ残っていた。




