第三十九話 白い地下の草原
地下を歩く。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
今日も、同じ白い流れが続いている。
でも。
その景色は、もう昔とは少し違って見える。
以前は、この地下を冷たい場所だと思っていた。
閉じた場所。
孤独が流れていく場所。
誰も誰かを見ない場所。
でも今は違う。
地下には、ちゃんと呼吸がある。
誰かが、水を飲む。
誰かが、小さく笑う。
誰かが、「お疲れさま」と言う。
その小さい呼吸が、白い地下の空気へ薄く混ざっている。
地下鉄がホームへ入ってくる。
白い風。
その風を受ける瞬間、歩き疲れた牛達の髪が少し揺れる。
コートが揺れる。
みんな、一瞬だけ同じ空気を吸う。
その感じが、妙に好きだった。
店へ入る。
女の子が、小さく笑う。
「こんばんは」
その声を聞くだけで、少し身体が緩む。
席へ座る。
水が置かれる。
透明なグラス。
白い氷。
カラン。
その音が、静かに身体へ入ってくる。
呼吸だった。
女の子が、水を飲む。
自分も、水を飲む。
また氷が鳴る。
カラン。
その短い同期だけで、場の空気が少し柔らかくなる。
無理に何かを変えなくてもいい。
無理に強くならなくてもいい。
ただ。
少し呼吸を混ぜる。
少し風を通す。
それだけで、人はまた歩いていける。
「なんか、最近地下優しく見えます」
女の子が、小さく言う。
「優しいですか?」
「前より、ちゃんと呼吸してる」
そう言って笑う。
その言葉が、静かに身体へ残る。
ちゃんと呼吸してる。
多分。
それが全部だった。
人は。
完全に孤独では生きていけない。
でも。
完全に分かり合う必要もない。
少し通じる。
少し呼吸が重なる。
少し、風を分け合う。
それだけで、人はまた歩いていける。
店の奥で、また氷が鳴る。
カラン。
誰かが笑う。
別の席でも、少し笑う。
その空気が、静かに場へ広がっていく。
牧場。
また、その言葉が浮かぶ。
疲れた牛達が、水を飲み、草を食べ、静かに呼吸を戻す場所。
完全に救われる場所じゃない。
でも。
少し風が抜ける場所。
少し、自分へ戻れる場所。
多分、人間には、それで十分なんだと思う。
店を出る。
銀座の夜風が、静かに頬へ触れる。
地下へ降りる。
白いLED。
乾いた空気。
歩き疲れた牛達。
その群れへ混ざりながら、ふと思う。
地下には、ずっと草原が広がっていたのかもしれない。
誰も気付かないだけで。
白い光の下で。
静かに。
見えない草が揺れている。
人は、その草を少しずつ食べながら、生きている。
水を飲みながら。
感謝を混ぜながら。
少しずつ、呼吸を戻しながら。
地下鉄がホームへ滑り込む。
白い風。
その風を受けながら、静かに息を吸う。
呼吸が、少し深くなる。
遠くで、また氷が鳴る音がした。
カラン。
その小さい音を聞きながら、歩き疲れた牛達は、今日も静かに白い地下を歩いていく。




