プロローグ
さて、ヴェルタの町でのお話が始まります。よろしかったらご支援よろしくお願いいたします。
ヴェルタは霧がよく出る町だった。
もちろん霧苔の産地でもある。
朝になると水路から白い靄が立ち上がり、石畳の路地をゆっくりと這う。
ヴェルタの住人たちはそれを「霧苔の息」と呼んだ。
実際のところ、この靄が霧苔の胞子を運ぶのか、それとも霧苔が靄を好んで育つだけなのか、私にはよくわからなかった。
どちらでもよかった。
仕事部屋の窓から外を見ると、石造りの家々の輪郭が白くにじんでいた。
パン屋の煙突から白い煙が上り始め、向かいの家の鎧戸がゆっくりと開いた。
いつもの朝が始まる。
私は小さな硝子瓶を光にかざす。
中の液体が緑がかった黒に揺れる。
昨日調合した霧苔インクだ。
色の深みを確かめてから、慎重に栓をした。
記録師の仕事は、書くことだけではない。
何を、どのインクで、どんな紙に書くか——それを選ぶところから始まる。
この町のインク(=霧苔のインク)で書かれた文字には力が宿る。
だからこそ、一字の誤りも許されない。
それが私には、ちょうどよかった。
考えることが、あまりにも多い世界で。
正確に書くことだけは、いつでも正しかった。
町の鐘楼から、朝を告げる鐘の音が響いた。
今日もヴェルタの朝が始まる。
私の記録師としての一日も。
続いて、5作ほど連投します。




