祖先の轍で神を欺く
「ラディアお嬢様、お戯れが過ぎますよ。シルヴィアお嬢様が死んだらどうするんですか」
「し、死んだらって…言い方が怖いよ…」
賑やかなパーティが兄の挨拶によって終わった後、くすぐりすぎて呼吸ができなくなっていたルヴィはなんとか意識を取り戻して腹をさすりながら机にうなだれていた。
「容赦が無いわね、流石ラディアよ…うぐぅ」
「ご、ごめん…」
「シルヴィアお嬢様、お水です」
カリンからお水を受け取り、ちびちびと口をつけながら飲むルヴィ。むせそうになりながらゆっくり飲んでいる。
「それにしてもさっきの顔、すごい面白かったですよ。半目で白目むいて」
「ごっほ!」
その言葉を聞いたルヴィは思い切りむせた。
「ラディアお嬢様ったら『これはこれで…』なんて仰りながら…」
「あー!私そろそろお兄様の所行ってくるね!呼ばれてたし!何も見てないから!」
カリンの言葉を遮りながら、急いで席を立つ私。どうして今言ってしまうのだろう!わざとなのか純粋なのか。カリンもなかなかしたたかな面があって怖いものだ。
「冷えるので羽織り物を…行ってしまいましたか」
「…メイド」
「はい?」
「覚えていなさい」
「ははぁ」
食堂から飛び出した私は、兄のアール・ダイアリーの部屋に向かうべく夜の回廊をひとり歩いていた。回廊からは庭園が見え、夜空に輝く月が色とりどりの花々や精巧に彫られた彫刻を照らしている。
兄の部屋に行くには食堂から回廊へ出て、館の二階へ上る階段を使い館の反対側へ行く必要がある。わざわざ回廊から反対側に行く必要は無いのだが、急いで出てきたせいでついつい回廊へと歩みが進んでしまった。
今夜の月は大きく見える、少し寒いがこれはこれで風流があって良いじゃないか。
名残惜しく庭を抜け、ゆっくりと階段を上ってゆく。そして長い廊下を進んで兄の部屋の前へとたどり着き、大きな扉をノックした。
「お兄様、いる?」
「ああ、ラディアだな。廊下は冷えるだろう、入ってくれ」
部屋に入ると途端に懐かしい感覚になった。兄が不在の時でも何度か入った部屋だったが、部屋の主が居ると居ないとでは温かみが違うと思った。暖炉に火がともっている事もそうだが、人の生きている雰囲気を感じられるのだ。
「そこに座ってくれ、茶も用意してある。久しぶりに話をしたいのだが…いいか?」
「会うのも久しぶりだもんね。もちろんだよ、お兄様」
私は兄の座っているソファーの対面に腰掛けると、言葉とは裏腹に兄の真剣な表情がみえた。そして呼ばれた理由がただの思い出話や、再開を懐かしむ為ではないと察した。
兄は騎士団で活躍した話や、王都のお土産である織物をくれた。そうして月が空高く昇り始めた頃。
「…まだまだ思い出話はあるのだが。わざわざ部屋に呼んだのは他でもない、とても大事な話があるんだ」
「うん」
「お前は、旅に出る事になるかもしれない。この国はもちろん、いくつもの国をだ」
「旅に…?」
「そうだ。嫁ぎ先を探すとか、そういうことではない。ダイアリー家の歴史については知っているな?」
ダイアリー家。エスペル王国の高名な貴族でありながら様々な学問の最先端を研究し、多くの学者を生み出した。工学から医学、考古学と様々な分野で活躍してきた歴史ある名家である。
そして最も多くの学者を生み出したとされる祖先のエリック・ダイアリーはかつて国中を旅して叡智を深めたという。つまり…
「祖先と同じように旅に出て、学びを深める…」
「そういう事になる。父上と母上が亡き今、ダイアリー家の存続は俺たちにかかっている。国王は再び名家として活躍する事をお望みされ、お前が祖先エリックと同じように旅に出ることを提案された。だが、選択するのはお前だ」
多くの優れた学者を生み出す為にはダイアリー家の力が必要になる。数百人もの学者をまとめ、育て上げるノウハウが蓄えられていたからだ。
だがそれは、私たちに受け継がれる前に両親が亡くなった事でほとんど途絶えてしまった。兄が騎士団に入ったのは苦肉の策だったのだ。兄には止められたが、私も見ず知らずの貴族の元へ嫁ぐことを視野に入れていた。
しかし旅に出るとなると話は別だ。ダイアリー家が栄光を取り戻し、家の財産や歴史を守れる。それを選ばない手は私にはなかった。
深呼吸をして、言葉を発する冷静さを取り戻す。
「私は行くよ。旅に出て、お母様とお父様の意思を継ぐ」
「そうか…」
兄は心配性だから、きっと今も私の事を気にかけてくれている。だけれども、私だって兄の役に立ちたい思いがある。
長い静寂が続き、月明かりが眩しく感じられた。その光に包まれながら私は覚悟を固め、同時におばあさまが語ってくれた古い言い伝えを思い出した。
「高き月が何よりも大きく丸く輝く夜、水の神は月明かりに照らされし魂を正しき道へ導く」
「ラディア、それは…」
「おばあさまが昔話してくれた言い伝えだよ。ほら、今とぴったり」
兄は再び考えるように目を閉じ、今度は一瞬の間を置きながら言った。
「…もうひとつ、旅に出てもらう理由がある、信じてもらえないかも知れないが」
「この地に伝わる、災いを招く神が蘇るからだ。いや、もう蘇っているのかもしれない」
予想外の言葉だった。災いを招く神が蘇るとはどういう事なのだろうか、あまりにも現実味のない理由なので、兄は茶化しているつもりなのだろうかと勘ぐっていた。
「俺は王都から帰る途中、湖を訪れた。山ひとつの向こうの、お前も行ったことがある場所だ、そこで俺は出会ってしまった。それが災いを招く神だ」
「奴は俺の心を見透かし、お前の姿の幻覚を見せてきた。恐ろしいながらも心が落ち着くようで…だが、なんとか逃げ出す事ができた。たぶん…お前の姿だったからだろうな」
少しはぐらかすように苦笑いを浮かべながら言った。兄は悪ふざけでこんな顔はできないだろう。
湖とはおそらく昔ルヴィや兄と共に行った湖の事だ。しかし祟り神の言い伝えとは一体何の事だか分からなかった、おばあさまのお話や書物にもそんな伝説やお話はなかったし、その神と私が旅に出る関係性が分からなかった。
「お兄様、その災いを招く神って一体何の事なの?そんな話は知らないよ」
「そうか…実はその言い伝えには続きがあるんだ」
「『高き月が何よりも大きく丸く輝く夜、水の神は月明かりに照らされし魂を正しき道へ導く』」
「そして続きは、こうだ」
「『高き月が何よりも大きく丸く輝く夜、炎の神は威光に照らされし魂を焼き付くす輪廻へ導く』」
「俺はその神の威光に照らされた、一度逃げる事ができたとはいえ助かったとは限らない。お前だってこの地にいたらどうなるか分からないんだ」
「だけれどお兄様、それは言い伝えなんだよね。だったらそんなの気にすることはないよ!」
「これは作り物のおとぎ話なんかじゃない。俺は勿論、じぃとカリンも実際に神に焼き尽くされた人間を見た事があるんだ」
「…それは誰なの?」
再び部屋は沈黙に包まれる。不吉な予感がする、そんな不安な心をあおるように、風が荒々しく窓ガラスを叩きつけた。
「残酷な事だが…しかし、しかし聞いてくれ。それは俺達の、両親だ。父上と母上は祟り神に焼かれ、殺された。光に包まれた後に身体が燃えてゆく二人の姿を俺達は見たんだ」
「…!」
「それはダイアリー家が研究していたこの言い伝えと一致していた。炎の神はこの土地では終わりと輪廻を司る死の神とされている、お前だけでもそいつから逃げて欲しい」
「いいか、少しでも遠くに逃げるんだ」