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第一話

 


 星野詩子ほしのうたこの冬休みは毎年大掃除から始まる。


 埃を被らないよう頭にタオルを巻き、マスクは二重装備。服は汚れていいように中学時代のジャージ(パジャマとしても愛用中)を着込み、袖や裾は邪魔にならないよう巻くり上げる。しかし足元は冷えるので靴下三枚を重ね履き。毎年お馴染みの完全防備お掃除スタイルだ。


(新しいの欲しいなー。柄にひび入っちゃってるし)


 着古したジャージを着用し、手にはぼろぼろのハンディワイパーを持った彼女だが、学校では淑やかなお嬢様で通っている。

 しなやかな黒髪に整った顔立ち、落ち着いた雰囲気で口数も多くない。成績優秀で生徒会にも所属していることから、クラスメイトからは大和撫子のようなイメージを持たれている。


 しかし実際は朝寝坊して顔も洗わずに登校し、真面目ぶった表情の下でそんなことよりお腹すいたと昼食のことを考えている。成績に関してはムラがあって数学に関してはてんでダメ。自己主張が乏しく、部活に入れ込む熱もないため流されるまま生徒会に所属することになった。


 本人としては現実異なるイメージなので否定している。だがそんな姿も謙遜しているようにしか見えず、ますますお嬢様らしさを高めていくのだった。


(この姿を見せれば一発でわかってもらえそうだなぁ……)


 目の前の鏡に写る自分を眺めた。


 掃除を始めたのは太陽が上に昇る前だったが、今ではとっぷり日も暮れ星まで瞬いている。二階建ての一軒家を一日中掃除し回った詩子の姿は輪をかけて酷い。


 頭に巻いたタオルは今にも崩れ落ちそうで、髪の束が一つ二つと落ちている。マスク姿でも疲れた表情は隠せず、目は死んだ魚のようだ。愛用ジャージは埃を被り、膝小僧には穴まで空いている。三枚履きしていたはずの靴下は何故か左足だけ二枚履きになっていた。


「…………」


 お嬢様イメージと一緒に多くのものを失いそうなので、誰にも見せまいと思い直す。


(この部屋でだいぶん時間食ったや。面倒くさいから一日でやっちゃったけど、今年は二日に分けてやった方が良かったなぁ……ここって本来なら一日がかりだと思うわー)


 去年まで見てみぬふりを貫いてきた二階の一室に、今年こそはと手を入れたのだ。

 使わないものが所狭しと詰め込まれ、雑多に山積みになったそれらはいつ雪崩を起こすかわからない。その荒れようから四畳半ほどの納戸は家族の間で魔窟と呼ばれるようになった。

 使わないものは一先ず納戸に押し込まれ、一時保存。しかしそのまま日の目をみることはなく、存在すら忘れられ納戸の肥やしになっていく。掃除を進めていくうちに古ぼけたミカちゃん人形やホコリを被ったランドセルが出てきた。幼い頃の詩子も魔窟に手を加えた一人である。


 着なくなった服と雑書類は分別して廃品回収に出し、いらない家具を引っ張り出しては次の粗大ごみの日に出せるよう一階に運んだ。寝具のシーツは洗って、布団や書物と一緒に干した。思い出のある品々は選別すると年代別にわけて綺麗にしまい、撮りっぱなしの写真はアルバムに収めた。フローリングの床はワックスをかけて磨いて……。納戸の掃除をする前に個室を除くすべての部屋を掃除済みである。目が死んだ魚のようになったって仕方ない。



 一階から「ねーちゃんお腹すいたー」という四歳下の妹の声が聞こえる。中学生になったんだから晩ご飯くらい作れ、そう言い返す元気はない。

 甘やかされた妹が家事を手伝わないのはいつものことだし、二歳上の兄は大学進学を機に一人暮らしで家にいない。父は仕事で疲れて帰ってくるうえに出張が多いし、母はと言えば入院中だ。そうなれば家事をするのは詩子で、そんな生活も長いので慣れたものだった。


(今日は頑張った。よーく頑張ったと思うんだ……。ご褒美に食べに行こう)


 これだけ頑張れば外食したって父も怒らないだろう。しかし何もしていない妹を連れていくのは癪だなと思いながら、詩子は最後に残った三面鏡の掃除に取りかかる。


 納戸の一番奥から出てきた三面鏡は母の嫁入り道具だ。詩子が幼い頃は母の部屋に置いていたのに、いつの間にかなくなっていた。今日納戸の奥で見つけた時にそういえばこんなのあったなと思い出した。三面鏡の前でにらめっこをして遊んで、飽きずに鏡の前にずっと座っていた。詩子のお気に入りだったのに、いつの間にしまい込まれたのだろうか。


 ぐるぐるぐるー……。


 部屋中に響く大きな音が鳴る。掃除に夢中になるあまり、昼を抜いていたのだ。妹もさっきから何度も同じ台詞を叫んでいることだし、さっさと終わらせてしまおうと詩子は布巾を持ち鏡に手を伸ばした。



「疲れてる。間違いなく疲れてる」


 思い切り目頭を揉みこんでもう一度目を開ける。何度も瞬きをしても、目に見えた光景は変わらない。


 布巾を持った右手が、鏡を貫通している。


 疲れのあまりいつの間にか寝てしまっていて、自分は夢を見ているのか。まさかこんな漫画じみた動作をするとは思わなかった。

 現実を疑う物語の主人公のように、詩子は自分の頬をつねる。


「……いたい」


 三面鏡は壁に接しているが、右手が鏡を突き破って壁に当たった感覚はない。布巾を縦に振ってみると布地が出たり入ったり。そうしていると鏡は水面のように波立った。


 誰も触らないように三面鏡の扉をガムテープで閉じて、その上から布団で簀巻きにする。使わなくなった家具と一緒に粗大ごみにでも出せるよう、一階へと運ばなければ。こんなおかしなものは家にあってはいけない。こんなことはすぐに忘れて、お腹をすかしている妹とご飯を食べに行けば良い。

 石橋を叩いて叩きまくって、他人が歩いて渡るのを見て、向こう岸についたのを確認してからやっと渡る。自分はそんな性格なのだから、こんなことに足を突っ込んではいけない。


 ああ、でも。


 引けば右手は何事もなかったように戻るだろう。しかし詩子は手を引かず、視線は見えない向こう側の右手に注がれている。


 慣れた生活に、嫌気がさしていたのかもしれない。毎年恒例の大掃除も、晩御飯を催促されることも。学校で違うイメージを貼り付けられ、それを演じたままの自分にも。


 何かが始まる。絶対と言える予感に、詩子の胸は高鳴った。






「ねーちゃん、晩ご飯どうすんのってば」


 妹の鈴奈れなは納戸の片付けをしているであろう姉に声をかけた。時計はもうすぐ九時を指そうとしているのに、いつまでたっても降りてこないし返事もしない。いい加減痺れを切らして二階の隅にある納戸までやってきたのだ。


 毎年冬休みの一日目、詩子が掃除をする一方で、鈴奈は必ず遊びに出ていた。

 家にいては掃除を手伝わされるのは目に見えているし、せっかくの休みを一日掃除で潰すなんて絶対に嫌だった。だからあの魔窟のような納戸が片付けられたのを今初めて見た。ここまで綺麗にするのにどれだけの時間がかったのか、考えるだけでぞっする。


 納戸が片付いたことなど鈴奈にとってはどうでもいい。それより早く夕飯作るなり出前をとるなりして欲しかった。

 明日また遊びに出かけるのだ。早く済ませて寝てしまいたいのに、姉はいない。掃除を終えた各部屋を覗いて来たけれど、姉の姿はなかった。だから納戸にいるものだと思っていたのに、どうしていないのだろうか。


(知らないうちに買い物にでも行ったのかな)


 ふと外を見る。やけに星が輝いていると思ったら今日は新月だった。鈴奈の顔が歪む。


 こんな夜は嫌いだ。

 幼い頃に読んだ物語がトラウマになっていて、この日はいつも気分が沈むのだ。話の内容は忘れてしまったが、初めの一文だけは覚えている。


 新月の夜は亡くなる人が多い。

 誰かが連れ去ってしまうのだ。




 




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