■ 9話
深子は彼女の顔をしげしげとながめ、たずねた。由も近づいて璃々世を見たが、あきらかに固まっていた。疑問に思って見つめていると、ふいに夏知が優雅に口を開く。
「もしかして、璃々世は由君が男だったと知らなかったのではないかい?」
「ええ?」
今度は由がぎょっとする番だった。由はあわてて、璃々世の前に出る。
「まさか。小さい頃、男のかっこうで会ってたよな。母さんから聞いてただろう? 璃々世の前では女のかっこうをするって決めたって」
必死に言いつのる由に、璃々世はそっと顔をそむけた。今の由のかっこうは、なかなかに変態的だ。急いで体操服のジャージを上に着ると、少しはまともになったがやはり妙なものだった。
ジャージの下にプリーツスカート、しかし、上に乗っているのは端整な少年の顔だ。
男嫌いの璃々世は静かに後ずさりしていて、追いつめられた小動物のようにすっかりと教室のすみっこに移動してしまっている。
怯える璃々世を見ながら、由はついつい可愛いなどと思ってしまった。しかし、そんな場合ではない。
「あの、璃々世……」
なるべく怖がらせないよう配慮して、距離をつめる由だったが、璃々世はかたくなだ。あまり無理もよくないかと思い、由はため息をついてそれ以上近づかないことにした。
「うーん、そにしても、おれが男だってすぐにわかりそうなものじゃないか? 本当の女の子とくらべたら骨格だって……」
頭をかきながらつぶやくと、深子が両のこぶしを握って勢いよく身を乗り出した。
「由ちゃんの女装はなかなか完ぺきだよっ。自信を持って」
「あ、そ、そう。ありがとう」
特にうれしくもない言葉だったが、由はあいまいにほほえんだ。
べつに女装を極めようと思っていたわけではない。
璃々世を怖がらせなければ、それでよかったのだ。
演技ぶった口調で夏知が言った。
「そもそも、璃々世はあまり男に近づきたがらないしね。中学校も女子校だったし……。同じ年頃の男がどんなものであるか、比べようがなかったのではないかな」
「あー、そっか……」
男嫌いで、男という男を遠ざけてきたため、こういう結果を生んでしまったというわけだ。身近な男性と言えば、父親ぐらいのものだっただろう。璃々世に姉妹はいるが、兄弟はいないのだ。
まさか、自分が男だと認識されていなかったとは思わなかった由だった。
「困ったな。藤門さんと明石谷さん、璃々世のことをお願いしていいか?」
由はあらためて、ふたりに向き直る。
「うんっ、もちろんだよ」
「ああ。きみは安心していたまえ」
ばっちりウインクをしてくる夏知に、由は苦笑いしながらうなずいた。
* * *
「ちょっと、母さん」
家に帰りつくと、由は勢いのままいきなり言った。
仕事で忙しくしている由の母、紗子は、今日は先に家に帰っていたようだ。ソファに座っていた紗子は、息子と似通った部分があり、整った明るい顔立ちをしている。目をまたたいて、紗子は息子の顔を見た。
「何よ、ただいまも言わないで。それに、なんで女の子のかっこうじゃないの?」
すっかりと女装を解いた由は、男の制服を学校に持って行っていなかったので、男のままでジャージ姿だった。さすがに、下にはジャージのズボンをはいている。
飾ったわけではないのに、スタイルのせいかよくはえていた。
帰途でも道行く女子たちの視線を集めていたことに、由は気づいていなかった。
「もしかして、璃々世ちゃん、もう男嫌いを克服したの? よかったわねえ」
しみじみと言う母に、由は思わずと言った様子で応じる。
「いやいや、よかったわねえ、じゃないから。そもそも、母さんがちゃんと璃々世に言ってないから、ややこしいことになってるんですけど」
「え? 何の話?」
きょとんとする紗子に、由は今日のできごとをかいつまんで説明する。母は両ひじを抱え、ふうんという顔をしていた。
「さすが、わたしの息子。周りに男と気づかせないなんて」
変なところに自信を持って、得意顔になっている。紗子はファッション関係の仕事をしており、由に女の子のかっこうをさせたのも彼女なのだった。
紗子はもともと、由が生まれる際は女の子が生まれるものだと思っていたので、たいそう女の子が欲しかったのだ。
そのせいか、成長した由が女のかっこうをしていても、あまり気に留めていないのである。
むしろ、今日のかっこうはいまいちだとか、その化粧はよいとか、こっちの服がいいとか、アドバイスまでしてくる始末だった。
由はげんなりして、言いつのった。
「何で璃々世に言わなかったんだ。おれのこと、ずっと女だと思ってたみたいだし」
「あら、いっそ女の子にでもなる? 娘もほしかったのよねえ」
「母さん……」
頭が痛くなりかけながら、由は眉間をおさえた。冗談よと笑い、紗子が明るく応じる。母の言葉は、あまり冗談のようには聞こえなかった。
「言ったと思っていたんだけれど。言い忘れたのかも。ずいぶん前のことだし、あんまり憶えてないわね。でも、もう終わったことなんだからしょうがないじゃない。これから、あなたががんばるしかないでしょう」
「それは、そうだけど……」
由にとっては大事なのだが、母にとっては大したことではないのだろう。あっさりと言われて腹も立ったが、最後の部分だけはまったくの正論なので、由は返答につまった。
「それに、せっかくそばに帰ってきたんだから、できることもあるでしょう」
確かに、すでにどうしようもないことだった。母の言う通り、自分ががんばるしかないのである。