子を見送る親のような
一抹の寂しさ。
「ったく、驚かせんじゃねぇよ、まったく」
「乱暴な手段ですみませんでした……」
「いやいいぜ。こっちとしちゃ客が来てんのに気づかねぇってぇのが悪かったからな。……つっても、次ある時にあの方法は勘弁してくれ。冷や冷やしちまってそれどころじゃなくなる」
「はい」
椛の正面の席の巨漢が、これまた大きな器に入った酒を呷る。
この男こそがコエニギのギルドマスター、ドワーツであった。
椛たちはドワーツと共に酒場に来ていた。
「かぁーッ! 仕事終わりの酒はうめぇなちくしょー!」
ドワーツ曰く、いつもであれば客が来れば気づくというのだが、作業のが終盤になっていたために集中力を全て作業に動員していたため、気づかなかったらしい。
だが突然の殺気に中てられた結果、作業を一時中断。そして表へと出て来たというわけである。
最初は警戒心のあるドワーツであったが、椛が挨拶をすると彼は落ち着いた。その理由も、なんだかんだでギルドマスターたちにとっては有名な名前であったからだ。
落ち着いたドワーツは椛たちに待ってもらうよう言い残し、作業を早々に終わらせると酒場で話すと言った経緯で、今に至る。
「んで、手前らなんでここに来たんだ? 北にいたのに次は南って、忙しねぇけどよ」
「ええ、まぁ」
そしてどうやら、椛たちがエルフに出会ったということはまだ広まっていないようで、ザントキシルムのギルドマスターであるグリュークがまだ獣人とのことで話し合っているドラクンクルトに仕事を増やしすぎないように情報を広げていないようだった。
椛としても好都合であり、あまり慌しくなって行動が規制されたり、裏で面倒なことをされては人脈も全くない椛では到底どうすることも出来ないので、わざわざ自分から面倒事は引き起こさないように言葉を考える。
「こっちは開拓する土地もそんなにねぇ。いや、あると言えばあるが、正直手を出されるとキツイ」
「『竜』ですか?」
「……そうだ。ここからさらに南東。そこにゃ『竜』が住む。数匹とか、そんなモンじゃねぇ。数十、下手すりゃ数百っつう竜が、あの山にはいるんだ。たった一匹の竜の下でな。ここに住むヤツ等の共通認識でな、ソイツは『竜王』って呼んでんだ」
「『竜王』……」
「そうだ。ほら、そこから見えんだろ、あの山の頭頂部」
顔にやや赤みを帯びたドワーツの指が、一箇所を指す。そこにはこれだけの建物がありながらも、損じを主張する山があった。
「毎日な、あの山の頂上からは、竜が飛び立っては帰ってくるんだ。アイツらのほとんどは襲ってこねぇが、それでも力を持たねぇ住民ってぇのはあの姿を見た日は浮かねぇ顔しやがる。鳴き声聞いた日にゃぁ、泣くやつまでいるんだ」
竜とは、魔物の中でも最上位として知られている。細かな種別は知らなくとも、恐ろしい魔物だとわかってさえいれば、住民にとっては何も変わらないのだ。
例え今まで一度も竜がコエニギを襲っていないとしても、怖いものは怖いのだ。
「それを踏まえたうえで聞く。手前ら、どこに行くんだ?」
ドワーツは酔っている。だが、それすらも感じさせない、椋に負けず劣らずの殺気が、三人に向けて放たれる。
だからこそ、椛もまた明確な意思と意志を以て、ドワーツを真正面から見据えた。
「私たちは、あの山を登ります」
「………………」
「ドワーツさんの言う『竜王』。その竜王が、数多の竜を率いるのが本当ならば、それは私たちの探しているものかもしれないんです。
だからこそ、私たちはあの山を登り、『竜王』に出会います」
賑やかな喧騒が、この空間においてだけは絶対零度を含めた空気となり、訳も知らぬ者が混じり込もうものなら、一瞬にして気絶してもおかしくないほどに。それだけ、辺りの音は遠くから聞こえていた。
椛とドワーツがにらみ合うこと、数分。
「だっはっはっ! 負けた負けたぁ。わかった、いいだろう。最初はバカ言ってるだけなら子供だろうと女だろうと殴り倒してでも止めよう方思ったが、そいつぁ無理だったな。……行って来い。
だが、絶対に『竜王』にあってこい。手前らのしてぇことをしてこい」
先に居れたのは、ドワーツであった。
大声を上げて笑い、さらに口に運んだ酒は喉を通って胃へと落ちていく。数分前に場に満ちていた殺気など霧散し、空いた空間には外の喧騒が雪崩れ込んで周囲に溶ける。
「ありがとうございます」
だからこそ、認められたということを実感し、椛は礼を言った。
「なぁにいってやがる、そもそも『Drifter』の資格持ってるやつを止める権限なんざ、おれたちギルドマスターにはねぇよ。それだけの資格を、いま手前らは持ってんだ。有効活用しないで何になるってんだ」
「そうでしたね」
「そぉーだ。人間な、使えるモンは何でも使え。金だろうと、物だろうと、人間だろうと、な。それが使える奴の特権なんだよ。持ってるくせに使えねぇ奴は『いざ』って時も使えねぇんだからな。それぐらいの心構えでいいんだよ。気張んな、気楽にやれ」
「はい」
ドワーツはギルドマスターでありながら、一人の鍛冶師だ。だがそれ以前に、彼はこのコエニギに住み、その時間の分だけコエニギの住民を愛している。それが年上であろうと、年下であろうと、男であろうと、女であろうと。そしてギルドメンバーの者たちは、家族だと思っている。他所から来たギルドメンバーであろうと、同様に。
故にこの時彼が見せた表情と声は父性の帯びたものであり、その胸中は一人前になった子供を見送る親の様であった。
出会ってまだ一日も経っていない半日も過ごしていない。だが時間など関係な。今この瞬間にドワーツはその思いがある。それだけで十分だった。
「明日は早ぇんだろ? おれはもうしばらくここで酒ぇのんでっから、手前らは宿に帰りな」
「お言葉に甘えさせてもらいます」
「おう」
「それでは、失礼します」
「……帰って来いよ」
席を立ち、去る椛たち。
背を向けるドワーツは酒を飲む。
だが最後の一言と、今彼から漂う雰囲気は、椛たちを振り向かせないのには十分すぎる理由であった。
「子供っつぅのは、いつでも成長が早ぇなぁ」
彼のぼやきを聞いたものは、誰一人としていなかった。
『竜の谷』へと向かうには、峠をいくつか越えなければならない。
決して『竜の谷』の山脈を除けばどの峠もそこまでは険しくないが、それでも山は山。十分な装備を整えなければ危険である。
椛は風莉と契約をする際に山登りを経験したため、必要となる装備はわかる。対して、椋と悼也もこの世界の山は登ったことは無くとも何度も住んでいた場所の山の上り下りや装備なしでの野宿などは経験したことがあるので、椛が教えることは少ないだろう。
加えて、椛の時は自分の装備を自分で背負って持っていくために移動は大変であったが、悼也の『影』のおかげで重要な道具や移動の際に邪魔となる物は収納できるので非常に楽になった。
「そういえば、エルフのおじさんからもらったこの袋開けてないけど、どうする?」
ただ一つ留意すべきだったのは、三人ともまだエルフの職人からもらった袋の中身を確認していなかったことだ。椛は椋にこの袋の事は任せていたため、中身が何であるのかなど想像もついていない。
「う~ん、一応すぐに使えるものだけど……椛ちゃんは今すぐ使うべきかなぁ」
「どういうこと?」
「いいからいいから~ボクを信じて~」
「その発言はいろいろと信じられない」
どっかの弟が『オニイチャン』を信じた結果、体を張らされるという光景が蘇った。
といっても件に関していえば椋を信じるしかないので、椛は自分のもらった袋の中身を覗き込んだ。と同時に、驚愕の表情を張り付けて椋を見た。
「ちょ、ちょっと待って!? これ、『靴』?」
「あ~、椛ちゃんは靴だったんだ~」
「いやさっぱりわからない。けど説明しなさい」
「簡単に言えば~、あのおじさんはボクたちの武器とかを作ってくれたってこと~」
「それでどうして靴?」
「うん。椛ちゃんの使ってるのは手甲でしょ? エルフの人たちはあまり金属とか石を使えないから、比較的皮とか毛とか木材を使うことになるから、多分靴なんじゃないかな~。ほら、その靴の所々に『彫』があるでしょ?」
「そうね……」
袋から椛が靴を取り出すと、所々に『装飾』が施されている。
内容は全く理解できないが、椛も簡単にはこの『装飾』の意味を教えてもらっていたので、わかる。
「『魔法の靴』ね……」
「一応ボクが椛ちゃんの靴の大きさはおじさんに教えておいてあげたから、ぴったしのはずだよ~」
履いてみて、と椋は目で急かし、椛も履いていた靴を脱ぐと、『魔法の靴』を履いた。
「本当に合ってる」
「でしょ~」
「よくわかったわね」
「一緒にいますから~」
気味が悪いほどに、椛の足に合っていた。違和感があるとすれば先ほどまで靴を履いていたからこその新しいものとの温度の差ぐらいなものだ。あとは新品ということもあって少々『硬さ』があるが、それも少し歩いていれば気にしなくなるほどである。
「そう。でも、うん……いいわね」
だからこそ、新たな靴を受け入れたのも早かった。
「それで、椋と悼也のは何なのかしら?」
「ん~、大体予想はつくよ」
「そうなの?」
「うん」
「じゃあどうして出さないの?」
「ボクの場合は半分ぐらい意地があるかな~」
「意地ねぇ……」
「大事だよ~」
「そ。それならいつ使うのかは椋と悼也に任せるわ」
押し付ける理由はない。互いを知っているからこそ、互いを尊重してもいる。椋がここまで言い切るというのだから、椛が何を言ったところで椋は袋の中身を今すぐには使いはしないだろう。
椋もまた、エルフの職人から貰った物は嬉しくあるが、すぐに頼ってしまえば駄目だと思っている。自分の力だけでどこまで行けるのかという、自らの力の誇りがあるからこそ、敢えて使わないのだ。己の肉体と、技量を信じているからこそ。
彼女は、いずれ使わざる『相手』が現れることを確信している。だからそれまでは、悼也の影の中に袋をしまうのだった。
「いいのか?」
「悼也君?」
悼也が話しかけてきた。差し向けられれば答えるが、自分から誰かに言葉を発するというのは滅多にない事であり、椋も久々に問いかけられたために少し驚く。
それでも彼の言葉と、瞳の奥にある真意を読み取って、椋は答えた。
「うん」
「そうか」
たった一言の会話。
それだけでも、十分に通じ合える二人であった。
『テリー』は好きでした。わけがわからない人は気にしないでください。




