拳と掌
「いくぞおらぁああああああああッ!!」
最初に動いたのはリムカヒルだった。
突きあわせていた拳を引き、躊躇いなく悼也へ向けて叩き付ける。
「ヒュッ!」
対して悼也のとった行動は前進だった。
見た目もそうであるが、リムカヒルの膂力は人間の域を超えている。
そんな攻撃をまともに浴びれば一撃で沈められることは明白であり、さらに直接的に避けたとしてもその力で地面を抉れば目くらましとなって隙を作ることも可能であり、掠めただけで余波を喰らうというのもあった。なので、悼也が行った行動はリムカヒルの攻撃を封じ、さらには自分が先制をとるための布石である。
「ぬっ!?」
狙いは外れず、悼也が懐に入ってきたことでリムカヒルの拳は引いた場所で止められる。
「ハァッ!」
生じた隙を悼也が見逃すということなどない。
詰めた間合いに勢いを重ね、拳で”殴る”のではなく、掌で”押した”。
「おうおう、なんだよそりゃぁ!?」
「しっかりやれよぉー!!」
その光景に、周りの獣人たちが野次を飛ばす。
それも当然だ。何せ彼らにとって悼也はせっかくのチャンスをまったく意味の無い行動に費やしてしまったと思っていたのだから。
だからこそ――
「ぐふっ!?」
「おうおう、どうしたんだリーダー!?」
「いきなり表情が苦しげに!」
「まさか腰を!?」
「いまか! いまそうなっちまうのか!」
「誰だよ腰やらねぇようにとかいったやつは!?」
「「「オメェだっただろ!!!」」」
「遊んでじゃねぇテメェら!!」
リムカヒルが突然苦悶の表情を浮かべたことに驚きながら、騒ぐ。
まったく意味が分からない。彼らの常識で押すだけであんな現象が行ったことが無いのだから。それこそ、リムカヒルが時折起こす『ぎっくり腰』だと思うほどに。
そう思うのは彼らにとって当然の帰結であった。しかし、今の状況を引き起こした張本人たちだけは、何が起こったのかを理解していた。
「まさか、オレの体の内部を攻撃するとは。……やはりやるな」
「倒れないか……」
悼也が行ったのは、単なる掌底ではない。
二段階の衝撃をほぼ同時に生み出し、最初の衝撃によって外装――つまりリムカヒルの筋肉を弛め、本命である二段目の衝撃によって筋肉の奥にある生物にとっては重要な器官である内臓を攻撃したのだ。
これによって鍛えることのできない内臓はほぼ全て衝撃をまともに喰らい、さらに内部への攻撃になれていないものにとってそれは相当な激痛となる。それ故に、猛者であるリムカヒルも苦渋の色を見せたのだ。
無論リムカヒルはそんなことは知らない。しかし、長い年月闘い続けた闘士としての勘と時々起るぎっくり腰による痛みが、体の内部で起きたことだということを本能で知った。それもまた悼也にとっては驚きであり、さらには膝を曲げることの無いリムカヒルに対して尊敬を抱いた瞬間であった。
「これしきで……、倒せるような男だとっ、軽んじるなよッ!!」
やられてばかりのリムカヒルではない。
強引であろうと、それは獣人である彼に許された特権。いわば、人間という構造に近いながらも、人間以上に強度な肉体を持ち、並の人間以上に精練されたその肉体だからこそできること。
考えるよりも速く、知覚するよりも速く、振り上げていた右の拳を懐にいる悼也へと振り下ろし、待機していた左の拳を悼也が簡単には逃げられないように斜め下から上へと振り上げられる。
云わば咢。獲物を狩る強者が、逃走を図ろうとする弱者を逃がさぬように捉える二本の牙。
「ッァ!」
だがその一撃を甘んじて喰らう悼也ではない。
二本の牙のうち、瞬時に見切れたのは振り上げようとしている左拳。
幸運だったのは振り上げることで予備動作のある右拳が悼也を襲うよりも速く、予備動作なしに振り上げようとしている左拳だったこと。
よって悼也がとった行動は至極単純。
受ける。受けて、利用する。
悼也の脇腹に突き刺さろうとするリムカヒルの拳。
悼也はそれをわざと喰らい、吹き飛んだ。
「吹っ飛んだぁー!!!」
「おうおう、ありゃぁモロだぜ、生きてんのかぁ?」
「お、生きてるぞ!」
「あのニイチャン、やるじゃねぇか!」
リムカヒルの振り抜かれた左拳に沿って悼也の体は十数メートルを滑空し、地面に叩きつけられながら芝生を転がる。
獣人たちには日常茶飯事な光景であっても、人間がまともにリムカヒルの一撃を喰らえばただでは済まなくなることぐらいはわかっている。故に、吹き飛んだ悼也が動けるという光景は、彼等にとっては悼也という男を戦士として捉えた瞬間でもあった。
「ふっ、トウヤ。オマエは面白い。一見何でもないように見える攻撃は確実に相手の内部に攻撃を通しており、一見まともに喰らったように見える光景は反面本命である攻撃を避け、さらには本来の損傷を最小限に抑える。オレたちの間ではありえないものであり、しかしそれがオレの血にも混じっている人間の強さなのだと、実感することが出来る。嬉しい。実に、嬉しい」
「………………」
己の拳を一瞥し、観客である獣人たちを一瞥し、最後に悼也を見る。それだけの動作であるのに、リムカヒルの表情は喜色が浮かび、その言葉は己という存在を誇っていた。
悼也はその言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、些かふらつきながらも立ち上がる。
悼也が行ったのは受け身の基本動作のようなもの。殴られる瞬間、殴られる方向へと跳べば、本来ぶつかる衝撃は逃げ、さらには進行方向に体が押されるために自らの力で跳ぶよりも高く速く長く飛べる。それによって、本来リムカヒルの本命であった右拳の振り下ろしを避け、さらには左拳を喰らうことによって発生する損傷を抑えたわけなのだが、現実そう甘いわけではない。
「だが、今の薄い手応えの中でも、確実にお前の骨は折れているぞ」
「っ……」
リムカヒルの言った通り、確かに悼也は損傷を最低限に抑えた。しかし、その最低限が、あばら骨一本である。
そんな一撃を避けた悼也に驚くべきか、そんな一撃を敢えて放ったリムカヒルに驚くべきか。
その答えを示せるのは本人たちだけしかおらず、その答えを示し合せるために彼等は闘う。
「そして、それを見逃す者はいないッ!!」
跳躍。
無歩によって起こされた跳躍はしかし確実に悼也の上空へと届き、跳んでいる間の猶予を利用した攻撃の予備動作は完成され、着地と共に繰り出される。
「ぐぁっ!?」
わかりきった攻撃動作とはいえ、まともに受け止めることは不可能である悼也には迎え撃つことできない。選択肢は回避の一択。
咄嗟に体を捻って横へと跳ぶ。
しかしリムカヒルの拳を避けるのに成功しても、拳が地面に着弾するとともに解放された衝撃は周囲にまき散らされ、紙一重で避けた悼也にとっては無防備をさらけ出した状態で衝撃に飛ばされて地面を転がった。
「どうしたぁ! 避けるだけではオレには勝てんぞッ!!」
抉れた地面から拳を引き抜き、リムカヒルが雄たけびを上げる。
強者と闘えるからこその叫びであり、この時間を続けたいと思うからこその叱咤。
「チッ」
果たしてその言葉は悼也に通じ、倒れた身体を悼也は瞬時に跳びあがることで立ち直らせる。
自分はまだ闘えると、言葉ではなく行動で。それが、今必要な事。
それでも悼也の額からは汗が滲んでおり、状況が芳しくないことは周知の者たちにもわかりきっていたことだった。それどころか、彼等の王であるリムカヒルとあそこまで渡り合えたことに賞賛を評したい位であった。
それでも、今この二人を止めることなど、誰にも出来ない。
観客はただ、この闘いの幕切りを待つだけであった。
一応次話で二人の勝負は終了です。
ええ、きっと、多分……。




