決着
「フゥ……」
細く深く、肺の中の空気を抜いていき、悼也は前かがみになると、流れるように膝をつく。
「スゥ……」
再度細く深く、今度は空っぽになった肺へと空気を蓄え、屈んだ体勢から両の腕を肩幅に広げて地面へつける。俗にいうならば、クラウチングスタートの際の格好。
「む?」
その行動に、リムカヒルは違和感を覚えた。
見たことの無い姿勢。故に警戒は必須。
リムカヒルは己に存在する知識、経験から、悼也のあの姿勢がどのような結果をもたらすのかを推理。
足を曲げたこと頃から、悼也の脹脛、太腿の筋肉は圧縮され、圧縮されたバネは今にも解放されるのを待つように、音を立てているのではないかというほどに軋んでいる。さらに、前面に固定した手はいわゆる射出台。木の枝の先端を持って曲げれば曲げるほどにその反動は大きくなるのと同様、手の線上から後ろに体が下がれば下がるほど、放たれたときの威力は増す。引き金は足首だ、起点をあの場所にすることで初速を生み、走り出す。低姿勢からの射出であるからには姿勢を上げては空気の抵抗を受けて失速をする。それならば、低位置からの接近であり、考えられる行動は勢いに任せた体当たりか。
これが、リムカヒルの予想した悼也の行動。
「くっくっくっ、よいぞっ来いットウヤァ!」
それを踏まえたうえで、獣人王は身構えた。
どのような攻撃であろうと、受け止める。それが王として今見ている者たちへと示す姿であり、彼にとって悼也という存在が認めるべき存在であり正面から打ち破ることこそ悼也への最大の敬意になる。
「いくぞ……」
悼也の準備が整った。
限界にまで引き絞られた弓弦は今解放されることに震えて待ち、鏃は目標を捕捉し、一直線に突き刺さることだけを考える。
あとは、悼也自身の技量次第。
「ッ……!」
溜めに溜められたその力が今、解放された。
爪先を起点として力を発し、足首の寸分狂いない連動によって脹脛に溜められた最初の力が解放。さらに膝から太腿へ生み出された力は殺すことは無く伝わり、限界にまで絞られていた太腿の反動によって勢いはさらに増す。射出された勢いは手の力も重なりさらに増す。
一分の失敗もなく全ての力が組み合わされ、本来邪魔をする風は超低姿勢によって勢いを殺されることは無く、一歩を踏み出すより先にリムカヒルとの間を詰める。
「速いッ!?」
リムカヒル自身、真正面から見据えていたからこそ悼也の姿を捉えることができた。
さもすれば今起きた現象は彼以外、観客には捕捉しきれておれず、一瞬にして悼也が消え失せたということしかわからない。
悼也の勢いは止まらない。
いくら目が捉え脳が反応したとしても、今この状況で最も必要とされているのは次に悼也が放つであろう一撃を凌ぎ切るための反射。
取捨選択の余地はなく、体は全てに判断を下すよりも速く動き出す。悼也がまだ攻撃の予備動作を見せていない以上、リムカヒルの右手は上半身を防げるように前にだし、左手は牽制の意を込めて突き出される。
急制動の成されることのない現在の悼也が避け切ることのできない、彼の顔前へと左拳はある。このまま突き進めば自滅の形で彼の頭は砕けるだろうが、リムカヒルの脳内ではこの状況に対して悼也がどのよな行動をとるのか笑っている自分もいた。
「シッ!!」
「ヌゥッ!?」
対して悼也は、一歩を踏み出すと同時にリムカヒルが左の拳を突き出したことに気付く。
視界に映る映像からリムカヒルが右の腕で身を守り左の拳で牽制を行ったことを判断。即座に対応すべきは顔前へと置かれている左の拳。これを避けられなければ悼也は己の発したこの速度によって自滅するのは明白の事。
行動は一瞬、悼也は、その身をさらに低くした。
膝を落とし、崩れるように頭は一つ分下がり、置かれた拳を潜り抜ける。
それだけではない。
すれ違いざまに、右の肘を折り曲げ隙だらけとなったリムカヒルの脇腹へと向けて、全体重を肘へと乗せ、一歩によって生み出された勢いもさらに上乗せる。
「ヅァッ!」
「ゴハァッ!!」
悼也の渾身ともいえる一撃が、リムカヒルに叩きこまれ、振り抜かれる。
それだけのことで身構えていたはずのリムカヒルの巨躯は後方へと弾かれ、背中から地面へと墜落する。見た目以上に重いその体を叩きつけられたことで地面は軽く沈没し、辺りの芝が飛び散り風に流されていく。
「な、何が起きたんだよ!?」
「あのニイチャンが消えたかと思った瞬間、リーダーが吹っ飛んでいやがる!」
「今の見えたか!?」
「「「視えねぇ!!!」」」
相も変わらず驚愕に満ちながらノリで会話していく獣人たち。
ただ、彼等にとっては自分たちの王が正面から後退させられるという光景自体が今までになかったことであり、驚くのも無理はなかった。
「ハァ……ハァ……」
「ふ、ふっふっふっっはっはっはっー! 幾年ぶりだ、オレが宙を舞うとはなァ!! 久方ぶりだ、やはり見上げた空は青く、叩き付けられた芝は柔く、流れる風は素晴らしい。二度と経験することは無いかと思っていたが……思い出すことが出来た。感謝する、トウヤ」
しかし当の本人たちはそうでもない。
息も絶え絶えに右の肘を抑える悼也。対して地面に伏したことに歓喜し、何事もなく立ち上がるリムカヒル。
リムカヒルにも損傷はある。が、それ以上に人間以上に丈夫である彼の体にとっては気にするほどではなく、それよりも悼也の方が限界近い。あの時右肘は強烈な負荷によって使い物にならなくなり、動かすことは叶わない。さらには急加速運動は体中に影響を及ぼし、外見上では見えなくとお既に悼也の肉体はまともに動かすことも叶わない状態だ。
「さてトウヤ、オマエの体が限界に近いことはわかる。故に、オレも最後に一度だけオマエを試そう。これを凌ぎ切ればトウヤの勝ち、殺すことは無いが立ち上がれなければオレの勝ちだ」
「……わかった」
「くくっ、ではいくぞッ!!」
悼也の状態を、リムカヒルもまたわかっていた。
よって次の一撃を以て最後とし、これによって勝者は決まる。
リムカヒルとしてはあの時自分の背が地面に叩きつけられた時に負けを宣言したいものだったが、それ以上に負けず嫌いなのが彼だった。だからこそ初心を思い出させてくれた感謝として己の全力をぶつけ、立っていた方が勝者だと決めた。それだけだ。
「ハァァ……」
精神一到。
全身へと気を廻らせ、身体中に存在する全ての力を凝縮していく。
腕が、足が、浮き出した血管が多量の血液を運び、熱を帯びていく獣人王の肉体からは蒸気が発しその身を覆う。
ひと回り、ふた回りにも体は膨れ上がり、呼吸は自然と荒く荒く強く深くなる。
リムカヒルの中にある本能が己の姿勢を決める。
原初の姿、生まれたときに必ず経験する姿勢であり、かつての先祖もまた同じであった。
四足立ち。
二本の後ろ足でのみ立っていたことで忘れていたことだが、はやりこの姿こそが己の中に駆け巡る獣としての本来の姿。
蹴りだす足で重要なのは足首などではないかい、つま先だ。解放した力を上手く使えるかどうかは膝と腰。関節から筋肉にかけてどれだけ力を殺さない様にすればいいのかが課題。前足は助走だ。地面へと墜ちるときにどれだけ下にではなく前に蹴りだせるかで二歩目の速度は変わる。
悼也のあの速さの正体が推理だけではなく身をもって感じられる。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
元より四足は獣のもっとも得意とする姿勢。故に必勝。負けは許されない。
獲物を見据える。獣人王と渡り合うだけの力をもった人間は今これだけの隙を生んでいるにも関わらず獣人王を見据え、佇む。
先ほどのリムカヒルと同じ気構えであり、それでこそ認めた相手だと、獣人王は密かに笑んだ。
最後の一撃。全霊をもってぶつける。
「ガァッ!!!」
意図せず、心の奥から叫びだされた己の咆哮。
同時に体は解き放たれ、その身は一匹の獣王として疾駆する。
踏んだ地面の感触を、流れる風の感触を、その身と鬣で感じながらも目標へと駆け抜ける。
「ら゛ァアアアア!!」
そして目標を捉えた瞬間、余すことなく全身の力は下から上へと、零から生み出された最速の拳が、悼也の体へと叩きこまれ、その身を遥か後方へと殴り飛ばした。
「はっはっはっ、悪かったなぁ、トウヤ!!」
結論を述べて、悼也は瀕死であった。
それもそのはずであり、獣人の混じりけない全力を喰らえば骨は砕けるし内臓も破裂まではいかなくともかき回された。打ち身裂傷なぞ数えるのも面倒なのだから、生きているだけ儲けものといっていいだろう。
実際悼也はあの一撃を喰らう瞬間に衝撃を殺すため後ろにも跳び、さらには一拍おいて衝撃を和らげていたのだ。それでこの重傷なのだから、どちらが凄いかなどと比べるのは野暮と言えるだろう。
「あまりに久々の経験をしたものだから、つい制御が利かなかった。これに関しては、オマエの実力だったからこその賜物だな」
それどころかこの獣人王、あの一瞬では手加減というものを本当にしていなかった。それどころか、悼也が本当に真正面からあの殴打を喰らっていれば腹に穴が開く程であった。
「………………」
「詫びとしてというとアレだが、オレたちはオマエを家族として受け入れる。この身を持ってオマエの安全と復調を支援しよう。他にも、何かあれば言ってくれ」
「ならば、一つある」
「なんだ?」
「リョウ、モミジと名乗る者は俺の仲間だ」
「わかった。ではその者たちが現れたときはオレたちは二人を歓迎しよう」
「頼んだ」
「ああ。家族の言葉だ。必ず皆にも伝えよう。しばらく養生するといい。オマエはオレたち以上に自然治癒する速度が高いが、それでも体力まで回復させるのは飯と睡眠だ。もし仲間がやってきた時に寝込んでいては、笑われるぞ?」
「そうしよう」
リムカヒルの言葉に悼也も頷き、目を閉じる。
一先ずの休憩として、少年は意識を沈ませ、痛む体から精神を手放すのだった。
悼也の方はひと段落。
彼は自分のよりも遥かに強い方々と戦う場面があり過ぎて負けてばかりですよね。でも、彼が負けるという場面は、彼一人だからこそ見せている場面です。それでも男として、自分が膝をつく場面は見せたくないという意地もあります。
それにしても戦いの場面に動きが少ないのかもしれない。
ただ、私自身戦いというのは一撃必殺というか、基本的に当たれば勝ちで当たらなければ終わらないという考えだったり。あとは、皆軽装だから致命傷になりやすいという意味を込めて試合は躍動感が薄れているのかも。微妙でしたらすいません。
それでは~




