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昇格試験の前夜

第50話 昇格試験の前夜


「だーかーら! そこで剣を振るなって言ってるだろ!」


 王都の冒険者ギルド、その裏手にある訓練場。


 ダグラスの怒鳴り声が響いた直後、エリシアの木剣が宙を舞った。


「あっ!」


 木剣は地面に落ち、乾いた音を立てて転がった。


 エリシアは空になった右手を見つめ、それから目の前のダグラスを睨んだ。


「今の、絶対当たってた!」


「当たる前に腕を取られただろうが」


「だって、そこに隙があったから!」


「それが罠だったんだよ」


 ダグラスは訓練用の盾を下ろした。


「相手がわざと見せた隙に飛び込んだら、こうなる。昨日の棘猿と同じだ」


「うっ……」


 エリシアは口を閉じた。


 昨日の北方森林での戦闘。


 逃げる棘猿を追いかけ、落ち葉に隠れた斜面へ踏み込んでしまった。


 ダグラスに腕を掴まれなければ、そのまま転落していただろう。


「分かってるよ……」


 エリシアは木剣を拾い上げた。


「でも、頭で分かってても、戦ってると身体が先に動いちゃうんだもん」


「だから訓練してるんだろ」


「それはそうだけど!」


 少し離れた場所で、ミアが呆れたように息を吐いた。


「今日だけで何回同じことを言ってるのよ」


「7回かな」


 レオンが答えた。


「数えてたの!?」


 エリシアが振り向く。


「途中からね」


「レオンまで!」


 ミアは笑いながら短剣を鞘に戻した。


「まあ、昨日のことを気にしてるのは分かるけど、焦ったって急には変わらないわよ」


「分かってるってば……」


 エリシアは頬を膨らませた。


 Dランク昇格審査まで、あと2日。


 5人は午前中から訓練場を借り、実技試験に向けた調整を行っていた。


 もっとも、試験内容は非公開だ。


 何が出題されるのか分からない以上、特定の魔物への対策だけを練習しても意味がない。


 そこで、ダグラスの提案によって基本動作の確認を中心に訓練していた。


 攻撃。


 防御。


 位置取り。


 仲間との連携。


 そして、撤退の判断。


 エリシアが特に苦手としているのは、最後の項目だった。


「もう1回!」


 彼女は木剣を構えた。


「次は絶対に引っかからないから!」


「いいだろう」


 ダグラスが盾を持ち直す。


 その時、横から声がかかった。


「ダグラスさん」


 ジョシュアだった。


「少し、僕と代わってもらえますか」


「ん?」


 ダグラスは振り向いた。


「構わんが、どうした?」


「試してみたいことがあります」


 ジョシュアは訓練用の木剣を手にしていた。


 エリシアが目を丸くする。


「ジョシュアが相手してくれるの?」


「はい」


「いいよ! でも、手加減しないからね!」


「その方が助かります」


 ジョシュアは自然な動作で木剣を構えた。


 ダグラスが場所を譲る。


 エリシアは少し距離を取り、正面から向き合った。


「じゃあ、いくよ!」


「どうぞ」


 エリシアが踏み込んだ。


 右上からの斬撃。


 ジョシュアは半歩下がって避ける。


 続けて横薙ぎ。


 今度は剣を合わせた。


 木剣同士がぶつかり、乾いた音が響く。


「っ!」


 ジョシュアの腕が押し込まれた。


 筋力ではエリシアの方が上だ。


 正面から打ち合えば、長くは持たない。


 それでもジョシュアは慌てなかった。


 エリシアが剣を引く。


 次の攻撃へ移る、その直前。


 ジョシュアはわずかに木剣の先を下げた。


 胴が空く。


「そこ!」


 エリシアが踏み込んだ。


 しかし、剣を振り始めた瞬間、ジョシュアは身体を横へ逃がした。


 エリシアの木剣が空を切る。


 そのまま、ジョシュアの木剣が彼女の肩へ向かった。


「わっ!」


 エリシアは咄嗟に身を引いた。


 木剣の先端が肩に触れる寸前で止まる。


「……今の!」


 エリシアが声を上げた。


「ダグラスと同じことした!」


「はい」


 ジョシュアは剣を下ろした。


「さっきから、エリシアさんは相手の隙を見つけると、必ず踏み込んでいましたから」


「だって、隙があったら攻撃するでしょ?」


「本当に隙があるなら、それでいいと思います」


 ジョシュアは木剣の先で地面を軽く叩いた。


「でも、相手が隙を見せた時、こちらがどう動くかも見られているはずです」


 エリシアは黙って彼を見つめた。


「だから、攻撃する前に少しだけ考えてみてください。相手がその隙を作った理由を」


「……なるほど」


 ダグラスが感心したように頷いた。


「言いたかったのは、まさにそれだ」


 レオンも興味深そうにジョシュアを見ていた。


「今の誘い方、ずいぶん自然だったね」


「そうですか?」


「うん。剣先を下げた時、僕にも本当に隙ができたように見えたよ」


 ジョシュアは自分の木剣を見た。


「……そういう動きが必要だと思っただけです」


 ミアが首を傾げる。


「ジョシュアって、たまに変なところで上手いわよね」


「変なところ、ですか」


「剣を振る力は弱いのに、相手が何をするか考えるのは妙に早いってこと」


「それは褒めてます?」


「半分くらいは」


 ジョシュアは小さく笑った。


 エリシアは木剣を握り直す。


「よし!」


 彼女は構えた。


「もう1回やろう!」


「いいですよ」


「今度は引っかからないから!」


 ジョシュアは少し考えた。


「では、別の方法を試します」


「えっ?」


 エリシアが困惑する。


 ミアが吹き出した。


「それ、エリシアがまた引っかかるやつじゃない?」


「引っかからないってば!」


 訓練場に笑い声が響いた。


◇


 昼過ぎ。


 訓練を終えた5人は、ギルドの食堂で昼食を取っていた。


 エリシアは皿に残った肉を頬張りながら、まだ納得のいかない顔をしていた。


「……結局、3回も負けた」


「最後は勝ったじゃない」


 ミアが言った。


「でも、その前に3回負けた!」


「最初よりはよくなってたよ」


 レオンが慰める。


「相手の剣だけじゃなく、足の動きも見られるようになっていたからね」


「本当?」


「本当だよ」


 エリシアは少し機嫌を直した。


 ダグラスは食事を終え、湯気の立つ茶を飲んでいた。


「さて、試験まであと2日だが……明日はどうする?」


「僕は休息を優先したいかな」


 レオンが答えた。


「今日もかなり動いたし、疲れを残したまま試験を受けるのは避けたい」


「私も賛成」


 ミアが頷いた。


「装備の手入れもしたいし、ルイと過ごす時間も欲しいわ」


「じゃあ、明日は休み?」


 エリシアが尋ねた。


「完全に休むというより、準備の日だな」


 ダグラスが答えた。


「防具の点検、道具の補充、試験会場の確認。そのくらいで十分だろう」


「分かりました」


 ジョシュアも頷いた。


 その時、食堂の入口から陽気な声が響いた。


「おやおや、随分と真面目な顔をしてるじゃないか!」


 5人が振り向く。


 時風が立っていた。


 いつものように、どこか楽しそうな笑みを浮かべている。


「時風さん!」


 エリシアが手を振った。


「はははっ! 何だい、その顔は。これから戦争にでも行くつもりかい?」


「違いますよ! Dランクの試験の話です!」


「ああ、そうだったねえ」


 時風は空いている椅子を勝手に引き、腰を下ろした。


「で、どうだい? 自信はあるのかい?」


「あります!」


 エリシアは即答した。


「おお、頼もしい!」


 時風は大げさに拍手した。


「じゃあ、落ちたら盛大に笑ってあげよう!」


「何でですか!?」


「だって、そんなに自信満々だったのに落ちたら面白いだろ?」


「面白くないです!」


「はははっ!」


 時風は愉快そうに笑った。


 ダグラスが苦笑する。


「相変わらずですね」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


「褒めてないと思いますけど」


 ミアが呟いた。


「おや、手厳しいねえ」


 時風は楽しそうに肩をすくめた。


 それから、ジョシュアへ視線を向けた。


「で、君はどうなんだい?」


「僕ですか?」


「そうそう。試験が怖くて眠れない、とか?」


「特には」


 ジョシュアは答えた。


「何が出るか分からない以上、今から心配しても仕方ありませんから」


「おや」


 時風は目を細めた。


「ずいぶん落ち着いてるじゃないか」


「緊張はしますよ」


「へえ?」


「ただ、試験が始まってから考えればいいこともあります」


 時風は少し黙った。


 そして、にやりと笑った。


「はははっ! いいねえ、その調子!」


 ジョシュアは首を傾げた。


「何かおかしいですか?」


「いやいや。君らしいと思っただけさ」


 時風は卓上の水差しから勝手に水を注いだ。


 エリシアが不思議そうに尋ねる。


「時風さんは、Dランクの試験を受けたことあるんですか?」


「ん?」


 時風は杯を口元で止めた。


「さあ、どうだったかなあ」


「覚えてないんですか?」


「昔のことだからねえ」


「どのくらい昔ですか?」


「そりゃもう、君が生まれるよりずっと前さ」


「それは分かりますけど!」


「はははっ!」


 時風は笑いながら水を飲んだ。


 レオンが尋ねる。


「何か試験の助言はありますか?」


「助言?」


 時風は少し考える素振りを見せた。


「そうだねえ……」


 5人が耳を傾ける。


 時風は真剣な顔で言った。


「試験官を殴り倒せば、試験は終わるんじゃないかな?」


「駄目に決まってるでしょ!」


 ミアが即座に突っ込んだ。


「はははっ! 冗談だよ、冗談!」


「本当に冗談ですか……?」


 レオンが苦笑した。


 時風は杯を置いた。


「まあ、強いて言うなら、相手の言葉をちゃんと聞くことだね」


 エリシアが首を傾げる。


「試験官の?」


「そうそう。試験ってのは、何を求められてるのか分からないまま頑張っても、案外うまくいかないものさ」


 時風は指を立てた。


「魔物を倒せと言われたなら倒せばいい。守れと言われたなら守ればいい。逃げろと言われたなら、逃げたって構わない」


「……なるほど」


 ダグラスが頷いた。


「それは確かに大事ですね」


「だろう?」


 時風は得意げに笑った。


「まあ、試験官が嫌いな顔をしてたら殴ってもいいかもしれないけどね!」


「よくないです!」


 エリシアが叫んだ。


「はははっ!」


 時風は満足そうに笑った。


◇


 翌日。


 試験前日の王都は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。


 エリシアは武具店で剣の点検を受け、ダグラスは盾の留め具を交換した。


 レオンは魔法の触媒を確認し、必要なものを補充した。


 ミアは道具屋で包帯と携帯食料を買い、余った時間を弟のルイと過ごした。


 ジョシュアは午前中、ギルドの資料室にいた。


 机の上には、Dランク冒険者向けの資料が開かれている。


 魔物の危険度。


 依頼中の判断。


 撤退の基準。


 仲間が負傷した場合の対応。


 どれも、すでに経験したことのある内容だった。


 しかし、文章として読み直すと、実戦では見落としていたことが多いと気づく。


「……なるほど」


 ジョシュアはページをめくった。


 その時、隣の席から声が聞こえた。


「熱心ですね」


 顔を上げると、ギルド職員の男性が立っていた。


 以前、Eランク昇格試験で試験官を務めたグレイヴだった。


「明日の試験を受けるんでしたね」


「はい」


 ジョシュアは本を閉じた。


「少しでも準備しておこうと思いまして」


「よい心がけです」


 グレイヴは頷いた。


「ですが、試験で求められるのは知識だけではありません」


「実技もあると聞いています」


「ええ」


 グレイヴは少し考えた。


「EランクとDランクでは、冒険者に求められる責任が変わります」


「責任、ですか」


「はい。Eランクでは、決められた依頼を安全に達成できるかが重要です。しかしDランクになると、現場で自分たちが判断しなければならない状況が増えます」


 ジョシュアは頷いた。


「依頼書に書かれていないことが起きる場合もありますからね」


「その通りです」


 グレイヴは微笑んだ。


「明日は、その点も意識してみてください」


「ありがとうございます」


 ジョシュアは頭を下げた。


 グレイヴが去った後、彼はもう1度資料を開いた。


 その時、視界の端に淡い文字が浮かんだ。


 名前:ジョシュア

 レベル:1000

 状態:《セフィロト抑制》


 ジョシュアは目を細めた。


 冒険者証に触れていない。


 それなのに、情報が見えた。


 以前にも似たことはあった。


 しかし、今のように何の前触れもなく表示されたのは初めてだった。


 文字の下に、さらに別の表示が現れる。


 《記憶へのアクセス不可》


 ジョシュアは静かに息を吐いた。


 そして、心の中で問いかけた。


 なぜ、自分の記憶は封じられているのか。


 誰が、何のために。


 答えは返ってこなかった。


 やがて文字は薄れ、消えた。


 ジョシュアはしばらく空中を見つめていたが、やがて資料へ視線を戻した。


「……今は、明日のことですね」


 彼はページをめくった。


◇


 夜。


 王都の外れにある宿屋の屋根の上で、時風は星空を眺めていた。


 片手には酒瓶。


 もう片方の手には、フィールから届いた手紙がある。


「いやあ、困ったねえ」


 時風は笑った。


「わざわざ呼び出してくるなんて、面倒なことをしてくれるじゃないか」


 封筒を指先で回す。


 手紙の内容は、すでに読んでいる。


 《煌めき通り》で起きていることも知っている。


 運命変換器が何をしているのか。


 誰がその仕組みを利用しているのか。


 そして、放置すれば何が起こるのか。


 時風は酒を口に運んだ。


「はははっ! まったく、面白いことを考える連中だよ」


 笑いながら、手紙を懐へ戻す。


 夜風が髪を揺らした。


 遠くには、王都の灯りが広がっている。


「さてさて」


 時風は立ち上がった。


「そろそろ顔を出してやろうかねえ」


 彼は屋根の端まで歩いた。


 そして、ふと思い出したように足を止めた。


「ああ、そうだ」


 明日はジョシュアたちの昇格試験だった。


 時風は少し考えた。


「……ま、いいか!」


 あっさりと笑った。


「試験なんて、あの子たちだけで何とかするだろうしね」


 彼は軽く肩をすくめた。


 次の瞬間、その姿が夜の闇へ溶けるように消えた。


 残された屋根の上には、風の音だけが響いていた。


◇


 翌朝。


 王都の冒険者ギルド。


 まだ朝早い時間だというのに、試験会場の前には多くの冒険者が集まっていた。


 エリシアは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「……よし!」


 ミアが横目で見る。


「緊張してる?」


「ちょっとだけ!」


「ちょっとには見えないけど」


「うるさいなあ!」


 ダグラスが笑った。


「緊張するのは悪いことじゃない。大事なのは、始まってから落ち着いて動くことだ」


「分かってる!」


 レオンは試験会場の扉を見つめた。


「さて、どんな内容になるんだろうね」


 ジョシュアも扉へ視線を向けた。


「少なくとも、簡単には終わらなさそうです」


「どうして?」


 エリシアが尋ねた。


 ジョシュアは会場の前に立つ職員たちを見た。


 普段の受付職員とは違い、全員が武装している。


 その中には、明らかに実戦経験の豊富そうな冒険者も混じっていた。


「試験官の方々が、ずいぶん準備をしているようなので」


 レオンも職員たちを見た。


「……確かに」


 その時、会場の扉が開いた。


 中からグレイヴが現れる。


「Dランク昇格審査を受験する皆さん」


 低い声が響いた。


「これより、試験を開始します」


 集まっていた冒険者たちが静まり返る。


 グレイヴは全員を見渡した。


「最初に伝えておきます」


 彼は少し間を置いた。


「今回の試験では、単純な戦闘能力だけを評価するわけではありません」


 エリシアが真剣な顔になる。


「皆さんには、Dランク冒険者として必要な判断力と対応能力を示していただきます」


 グレイヴは扉の奥を指差した。


「それでは、入場してください」


 5人は顔を見合わせた。


 エリシアが笑う。


「行こう!」


 ミアが頷いた。


「ええ」


「準備はできている」


 ダグラスが答えた。


「僕も大丈夫だよ」


 レオンが続ける。


 ジョシュアは静かに頷いた。


「行きましょう」


 5人は試験会場へ足を踏み入れた。


 Dランクへの挑戦が、始まろうとしていた。

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