賽の河原。
「うーん! やっぱりかなめんの料理は美味しいね!」
御園さんがカレーに舌鼓を打っていた。
「このドロッとした感じが家庭の味って感じ!」
「そう? 私はスープ系の方が好きだけれど」
「彼芽さんは、シチューなんかもこの感じが好きなんですよ」
あえて、マウントを取るような発言をする。
「何? 宣戦布告のつもり?」
「いえ。ただ、私はこの交換日記で彼芽さんのことを知っています」
「やっぱり宣戦布告じゃない」
以前、提案された俺を知るための日記帳。
平凡な質問から、際どい質問まで。
色んな意味で心臓が鼓動する代物だ。
「おじさん、おかわり」
「お! 歩ちゃんはよく食べるね! 将来有望だよ!」
「ホント? お姉ちゃんみたいになれる?」
「なれるなれる! 巫代ちゃん並の美人になれるよ!」
「こんなのに似てもねぇ?」
「何ですか?」
またやってる。ここまでくると、よく飽きないなと感心する。
触らぬ神に祟りなし。二人とも触れない方が吉と理解したらしい。
二人とも恨み深い。特に巫代さんは本気で祟ってくる。
「私たちが洗うから、先に入っちゃいなさい」
綺麗に空になった皿たちを、みんなで片付けている時だった。
「流石に悪いですよ」
「いいのよ。あんたは買い出し行ったんだから、早く入んなさい」
「何ですか? 私が臭うって言いたいんですか?」
「……どうしてこうも、他人の善意を素直に受け取れないのかしら?」
待て。相手にするの面倒臭いからって俺を睨むな。
「効率を考えなさい、効率を」
「じゃああたしたち三人で入ろっか!」
「え、嫌ですよ」
「何で⁉」
「星摩さんたまに変な目で見てきますから。あと狭いです」
「そ、そんなことないよぉ?」
完全に声が上ずっている。
まるで、本当にやましい心があるみたいだ。
不意に、服の裾がくいくい引っ張られる。
「おじさんも入ろ?」
咲里花と御園さんが盛大に噴出した。それはもう見事に。
かく言う俺も心臓が止まる思いだ。
「片桐妹? 普通、家族以外の男女は一緒に入らないわよ?」
「そ、そうだよ歩ちゃん⁉」
「でもお姉ちゃんは入ってたよ?」
「巫代ちゃん……」「片桐、あんたねぇ……」
呆れた目が巫代さんに注がれる。
「どうして私だけが悪いみたいになるんですか」
「だって、どう考えても巫代ちゃんが押し入ってるよね」
「コイツにこんなクソ度胸ある訳ないでしょ」
頭を突っ突かれる。
俺と巫代さんに対する(ある意味での)信頼がすごい。
車が跳ねた水を盛大に被り、片桐家のお風呂を借りたのが真相。
後は、予想の通りである。
咲里花が三人をしっしと追い出した。
「あんたね。ちょっとは厳しく言ってやりなさいよ?」
「面目ない」
俺が食器を洗い、咲里花がタオルで拭く。
「これ、どこにしまうのかしら?」
「そこの棚だな」
そう言うと、何故か動きが止まっていた。
気になって横を向くと、顔が引きつっていた。
「普通に考えて、人んちの配置把握してるのキモイわね」
「俺だって、覚えるつもりなんてなかったよ」
「それだけ入り浸ってるってことでしょう? やっぱりキモイわね」
返す言葉もない。
発端が歩ちゃんとはいえ、今回も断ることができなかった。
「それで、調子はどうなの?」
今度はこっちが一瞬止まる。
この場合で言うと、あの件だろう。
「何とも言えないな」
あれから何ともない。
タブーはわかっているのに、原因がわからない。
だから、何とも言えない。今は平気だけだから。
黙ったまま、家庭的な音だけが流れる。
「――悪かったわね」
手から皿が滑り落ちる。
幸い、割れはしなかった。
「危ないわね」
「悪い」
「そんなに意外? 私が謝るの?」
わかりやすくへそを曲げ「失礼ね、ホント」と、悪態を吐かれた。
だが、すぐに表情に影を落としていた。
「あんたにとって、あの時のことがどれだけ辛いか知ってたっていうのに」
自嘲気味に笑っている。
「あいつも、池野も謝ってたわ」
「何か、申し訳ないな」
「何であんたが謝るのよ。悪いのは私たちよ」
「咲里花たちは何も悪くない。俺だって知らなかったんだ」
今まで、あんな症状が出たことはなかった。
少なくとも、あの時までは平気だったんだ。
今言える確実なことは一つだけだ。
「俺は、あの子の名前を忘れている」
忘れてしまったのか、忘れたかったのか。
どちらにせよ、今は名前も顔も思い浮かばないのだ。
「――賽の河原って知ってる?」
「賽の河原」
人が死後渡ると言われている三途の川。
その手前にあるのが賽の河原。
そこでは、親より先に死んでしまった子供が石を積んでいる。
「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため。そう言って石を積むの」
そうすることで、親不孝の罪を償うと言われている。
「だが、それは鬼によって崩される」
どれだけ高く作ろうとも、鬼に崩される。
それだけ重い罪と言われている。
そのことから、無駄な努力や、きりがないことの意味として使われる。
「あんたは今、正にその子供なのよ」
「俺が……?」
「あんたは、たくさんの人を苦しめたと思ってる。親不孝者だと思ってる」
「事実だ」
反論する理由も無いし、する気もない。
何よりも。目の前の少女を一番苦しめた。
それは変えようのない事実だ。償いようのない罪だ。
「あんたは一度崩された。けれど、今また積み上げてる」
不意に、三人の声がハッキリと聞こえてきた。
言葉の意味にハッとした時には、寂しそうに笑っていた。
俺は怖がっているんだ。
再び、あの子に壊されるんじゃないかって。
だから、あんな拒否反応のようなものが出てしまった。
「それだけ今幸せってことよ。腹立つけれど、そこだけは片桐に感謝してる」
悔しそうに、嬉しそうに、寂しそうに。
色々と詰まったものだった。
「お前、もしかして今日……」
いや、止めよう。これ以上はいけない。
「けれど、今のままじゃ駄目よ。今は平気でも、いずれ綻ぶわ」
キツイ言い方だが、誰よりも俺を案じている。
脳裏に恐怖が過る。それでも、しっかりと返事を――
「橘さん」
巫代さんの声に心臓がドキリと跳ねる。
いつの間にか、お風呂場から出ていたらしい。
何となくだが、意図的に遮られたような気がした。
そんな証拠はない。ないが、巫代さんの髪が乾ききっていないことが気になった。
二人でじっと、視線を交わしている。
さっきまでと違うのは、睨み合いではないということ。
鼻を鳴らし、先に視線を逸らしたのは咲里花だった。
「わー!」
「あ、こら片桐妹。まだ濡れてるじゃない」
「ぴゃっ⁉ ご、ごめんなさいお姉さま……」
「……こっち来なさい。拭いてあげるから」
タオルを持って一緒にソファに座っていた。
「あはは! お姉さまくすぐったい!」
「動かない。女の子なんだから髪はちゃんとしなさい」
お互いに、ぎこちないながらも距離を縮めているらしい。
「巫代さんも。タオル貸してくれ、まだ濡れてる」
「はい。お願いします」
咲里花から視線を切り、にこりと振り返る。
「お姉さま、お姉ちゃんみたい!」
「やめなさい。この浮かれポンチと一緒にするのは」
「うかれぽんち?」
「コイツ大好き馬鹿ってことよ」
「何ですか、悪いですか?」
「巫代さん、頭を押し付けないでくれ、拭けない」
「巫代ちゃーん。牛乳もらって……何か機織り工場みたいになってる」
確かに、髪を手入れする姿はそう見えなくもない。
二人は髪を伸ばしているから、特に。
「――それじゃあ部屋借りるわよ」
「三人ともお休み! また明日!」
階段手前で二者三様の言葉を投げてくる。
「はい。お休みなさい」
「お姉さまたち、お休みなさい!」
「……おやすみ」
どうやら、今さらお姉さま呼びが恥ずかしくなってきたようだ。
しかし、自分から言った手前、訂正することもできない。
複雑そうな顔で一緒に階段を上がっていた。
「それじゃあ、二人ともお休み」
「「え?」」
二人が全く同じ挙動でとぼける。
巫代さんは歩ちゃんと一緒に寝るらしい。
なので俺はソファを使わせてもらうつもりだった。
「歩。アタック」
「いっしょ!」
巫代さんは意地悪だ。俺が断れないのをわかっている。
しかも今回はダブルアタック。
「んー!」
喜びが抑え切れないように布団を被っている。
挟むように俺と巫代さんが寝そべっている。
所謂、川の字というやつだ。
普段から片桐さんたちと使っているため、広さを口実に逃げることもできない。
何だかむず痒いというか、何というか。
こうなったら早く寝よう。この時間をやり過ごそう。
「お姉ちゃーん!」
「はいはい。何ですか?」
しかし、歩ちゃんは元気一杯。眠る気配がない。
かと言って先に眠るのは申し訳ない。
「歩ちゃん。そろそろ寝ようか?」
「えー? ねれなーい」
余程、この状況が楽しいようだ。
寝かしつける方法を考えて、一つ思い出す。
「――ある日、ある所に」
「あー! おじさんのお話だ!」
「久しぶりですね」
昔から子供の寝かしつけにはこれと決まっている。
歩ちゃんがお目目をキラキラとさせる。
巫代さんも興味深そうに耳を傾けていた。




