私は。
「――は?」
彼芽さんがここ何日か学校に来なかった、ある日のこと。
橘さんから電話で、脈絡もなく、彼芽さんの中学時代の話を聞かされた。
『それじゃあ、あいつのことお願いね?』
「ちょ……ちょっと待ってください⁉」
情報の濁流だった。
彼芽さんの過去が良いものではないことくらい、わかってたつもりだった。
ただ、あまりに凄惨で、心が追いつかない。
あまつさえ、彼芽さんが自ら命を断とうとしている、なんて。
「お願いね……って、橘さんが声をかけてあげれば!」
「無理よ」
突き離すような物言いだった。
まるで、私に敵意を向けているような、そんな言い方。
「そんなこと言ってる暇があるなら動いたらどうですか!」
「うるさいわね。何度も言わせないで」
他人事のような態度に、苛立ってしまった。
「無理なのよ」
「無理なわけない! だって、貴方は彼芽さんのことが好き――」
「だから無理なのよ!」
鼓膜が破れそうな声量が、脳に響いてくる。
「……わかる? 一番仲いいのは私だって、脈があるのは私だって舞い上がって」
涙声で自嘲気味に話す。
声にならない悲鳴が聞こえてくるようだった。
「けれど、勘違いだった。あいつの中では子供の『咲里花ちゃん』でしかないの」
――それは、あまりに残酷な事実だった。
彼の中で橘咲里花は、守るべき対象ではあった。
ですがそれは、庇護対象を見るような、そんなものでしかなかった。
「私じゃ、駄目なの……私が、弱いから……私が……」
橘さんが泣き崩れていく。電話越しでもわかるほどに。
何もできなかった罪悪感が、もう二度と彼の隣に立たせてくれない。
その罪を償うために、子供のようなちょっかいをだして、嫌われようとした。
自分からはどうあっても嫌いになれないから、相手に嫌われようとした。
何よりも未練がましい自分が許せなくて、そうやって……
一頻り、嗚咽を漏らした頃だっただろう。
「……そうね、そうよね。人任せにするなんて、よくないわね」
「え……あの……」
「ええ、行ってくるわ――彼芽君の所に」
自暴自棄に似た、覚悟の言葉。
私の声は届いていないみたいに、通話が切れた。
居ても立っても居られずに、駆け出した。
……きっと、二人はお似合いだった。断言できる。
惜しむらくは、彼芽さんに――甘酸っぱい恋すら許されなかったこと。
一方的に送り付けられた住所の前までやって来た時。
涙を散らす、橘さんとすれ違った。
すぐにでも追うべきだった。
けど、少しでも、僅かでも、ほんの一瞬でも――
彼芽さんを優先しようとした時点で、その資格はなかった。
その後、彼芽さんから話を聞いた。
橘さんを疑ったわけじゃない。
ただ、彼のことを少しでも知りたいと思ったから。
それで、何の変哲もないデートの約束をした。
約束を守る人だ。そこら辺、妙に律儀な人だから。
同時に――そこを終わりとして定めるだろう。
「――巫代ちゃーん。おーい」
「うわ」
「反応酷くない⁉」
「すみません。綺麗な顔が眼前にあったのでうっかり」
「そ、そうかなぁ? もぉ、照れちゃうよぉ!」
うわ、ちょろ。今度は別の意味でドン引きです。
上っ面だけの冗談で誤魔化して、菓子パンを食べようとするが躊躇する。
最近は上手く喉を通らない。飲み物で強引に押し込んでいる。
「崖君のことでしょ?」
「な、なんでわかるんですか?」
「だって好きでしょ?」
「んなっ⁉」
ハッキリと言われて、顔に熱が灯っていく。
他人から指摘されて、初めて確かなものになった。
「でも、あんまり浮ついた話でもないんだよね?」
「そう……ですね」
「話してみてよ。友達なんだから」
「……彼芽さんはとても、とても辛い思いをしました」
因果はなくても、大切な祖父を自分が追い込んでしまった。
苦しんで苦しみ抜いた先で、またさらに苦しみがあった。
「なのに、私には何もできません。星摩さんの時と同じです」
傷を癒すこともできない。心を救うこともできない。
「二人は大事な人です。星摩さんも彼芽さんも。なのに……」
「駄目だよ」
膝の上の握り拳を柔らかく包み込まれる。
「詳しくは聞かないよ。でも、崖君の傷を見ればただごとじゃないのはわかる」
「そうです……彼芽さんはとても」
「でも、驕っちゃ駄目」
「驕る……?」
「巫代ちゃんはとっても優しいね。こんなあたしと仲良くしてくれて」
「そんなことは……」
「あるよ。でもね、あたしの人生はあたしの人生」
当然のこと。当然のことだから、却ってあやふやになる。
「そう。だからあたしの失敗はあたしの失敗。あたしの責任」
息を呑む私を真っ直ぐ見つめてくる。
まん丸とした目。幼さが残っていても、どこか腰の据わった瞳。
「心配してくれるのは嬉しい。でも、巫代ちゃんが自分を責めるのはやだな」
「で、ですが! 私がしっかりしていれば星摩さんは!」
あの時、もっと強く言っておけば。そんな問答を何度繰り返しただろう。
自分の不甲斐なさを呪う。何もできない自分が憎くて仕方がない。
再び力の入る拳を、そっと両手で持ち上げられる。
「それでも、責任はあたしにある」
花を開くように、拳を徐々に解していく。
「巫代ちゃんの人生を償いに使わないで。その方がよっぽどやだよ」
「……でも守りたかった」
入学式の日。私の髪を綺麗と言ってくれた。
その言葉にどれ程、救われただろうか。
大人の嫌がらせを受けた私にとって、どんなに嬉しかったか。
「崖君も何か失敗したんだろうね。でも、最後に選択したのはあたしたちだ」
確かに驕っていたかもしれない。一人の人間が背負える生は一つだけ。
誰かの人生を担えるわけじゃない。誰かに担って貰えるわけじゃない。
「巫代ちゃんの人生は巫代ちゃんの幸せのために使ってよ。誰かの身代わりに使わないで」
「……ごめん……ごめん………………」
「あたしの方こそごめんね」
辛い思いしたのは星摩さんなのに、慰められてるのは私だった。
「あの時の崖君の言葉、今ならよくわかるよ」
自分が情けないと思う。ただ、最初よりは軽くなっていた。
星摩さんが私より、一歩先に大人になっていたからだ。
「巫代ちゃんが側にいるだけで安心するんだよ」
「……すみません」
「もう! 謝っちゃやーよ!」
あ、さっきまでの星摩さんが消えた。
「いえ、今のは侮ってすみませんと言う意味で」
「え、あたしいつも侮られてたの?」
「はい、割と」
「……確認だけど、あたしたち友達だよね?」
「ふふ、勿論です――あの、お願いがあります」




