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第10話 あいつだけは、見逃せない/【昔話】逃げられると思うな

『僕、殺すつもりはなかったんだけど。ただ追っ払うことができればって思って、必死だっただけなんだ』


『そうなのか? けど、さっきのラースは殺気凄かったぞ。あいつがいたら、きっと漏らしてた。それに、やる以上はちゃんとやらないとな。相手は魔獣なんだぞ』


 困惑するラースに、当然のこと、とリグは尻尾を振るう。痙攣していた魔獣はすでに動かない。口と喉元から血を流すだけだ。


『うん。分かったよ。気をつける。ありがとう、リグ』


『ん。……あ、待って』


 洞穴へ戻ろうとするラースを引き留めた。わずかに雨は残っているし、暗闇でルージュが一人で待っているはずだ。そう思ってラースは戻り始めたのだが。


『なに? もしかして食べたりするの? 明日にしようよ』


『イヤ。もう少し』


 死骸となった魔獣を見つめたまま答える。何を。そうラースが声をかけようとすると、リグが動いた。小さいながらも鋭い爪で魔獣の身体を裂き、内部を探る。腕を引き抜いたときには、小さな石のようなものを握っていた。


『何、これは?』


 親指の先ほどのその石を、ラースは手渡された。暗闇の中でも見えるとはいえ、鮮明ではない。血に濡れたそれを湿気で拭うが、彼にはそこらに落ちている普通の石ころにしか思えなかった。


『魔晶石。質は良くないけどな。こいつぐらいじゃあしょうがないか』


 指先の血を舐め取りながら、リグは答える。


 一定量の魔素を宿す魔獣が生命失う時、残された魔素は結晶化する。本来この程度の魔獣では散逸してしまうほどの弱い結合だったが、リグは己の魔素を使い、タイミングを見極め固定化させていた。


 ラースは魔晶石という名前くらいしか聞いたことがなかった。魔術師でも冒険者でもない彼にとっては、魔力を内包した宝石、というごく浅い知識しか持ち得ていないのだ。


『これ、どうするの?』


『持ってろ。初めての獲物なんだろ。記念? みたいなもの』






【昔話】


 遠くの都で煙が立ち上っている。王城と大聖堂を中心に広がる城塞都市。今、まさに陥落寸前の国を目指して、邪龍リグルヴェルダスは空を駆ける。王城を覆い尽くさんばかりの巨大な翼は、大気の魔素と魔力場を捉えて推進力へ変える。


 それでも、彼は間に合わなかった。


 攻めていたのは、巨人族を中心とした魔物の軍勢。すでに王都の外壁は破られ、街中での乱戦となっていた。王国聖騎士と神官団が拠点を守り、傭兵や冒険者達が遊撃隊として各個撃破に当たっていた。

 防衛者達は空を見上げ、絶望に打ちのめされた。英雄と呼ばれた聖騎士も、歴戦の冒険者パーティーもいた。圧倒的劣勢の中に現れた巨大なドラゴンの姿は、そんな彼らの心を砕く凶刃となった。


 だが、彼らは思い違いをしていた。上空に留まるリグルヴェルダスは、彼らのことのなど爪先程も気にかけていない。今は、眼前に現れた人物を射貫かんばかりの眼光で捉えるのみだ。


「やぁ。遅かったじゃないか、リグルヴェルダス」


 男は、友人に語りかけるような口調で見上げた。端正な顔立ちに栗色の和毛。痩身には簡素ながらも上質の法衣を纏う。執務室で記録に勤しむ貴族。あるいは身内に日々の知己を語る聖職者といった風体だ。


「貴様がこいつらの頭か?」


「そう凄まないでくれ給え。この子が怯えてしまう」


 男は膝を折り、足元を撫でる。彼を乗せて舞う飛竜の背中だ。飛竜の体躯はリグルヴェルダスの十分の一にも満たない。だが、言葉とは裏腹に臆する様は見えない。男に至っては穏やかな笑みすら浮かべ。ふぅ、と溜息を漏らす。


「ああ、やはり素晴らしいね、君は。いにしえの古龍が一頭。直接会えて嬉しく思う。それで、だ」


「答えろ! 何故この国を狙った!」


 叫びと同時に、紫光が男を照らした。男を無数の魔法陣が包囲していた。それらは突きつけられた刃。動かすは言葉。


「そう。そうだな。強いて言えば、この国が丁度良く熟していたから、といったところかな。だが、まさか、かの——」


 ごうっっ!!!


 言葉を遮り、魔法陣が爆ぜた。魔素の配列パターンが魔法陣だ。配列には意味があり、魔素の結びつきが魔素自身を変節させ、魔法という現象を生み出す。


 一つの魔法陣の爆風は巨木を易々となぎ倒し、熱波は鉄をも溶解させるものだった。連鎖する魔法は、魔法陣そのものの配置によって、それらのエネルギーを中心の一点へと集中させる。過剰すぎる力は、男と飛竜を物質の根源まで焼滅させる——


——はずだった。


「む!?」


「——かの邪龍の息がかかっていたとはね」


 男は平然と言葉を継いだ。爆発に耐えた、わけではない。轟音と共に発生した力は、同時に消失していた。リグルヴェルダスには見えていた。それはまるで。


「魔素を散逸させたか」


「さすが。しかし、それは少し違うよ。散逸させたのではない。散逸()()()()()()のだよ。残念ながらね」


 肩を(すく)めて、男は種明かしをする。


「私は魔素に嫌われているのさ。だから私には」


 ぐん、と飛竜が高度を下げた。一瞬前の空間を、巨大な鉤爪が切り裂く。旋回する飛竜を炎の息吹が追尾する。低空を駆け、小回りの効く飛竜をリグルヴェルダスは捉えきれない。

 苛立ちをのせた唸りを発しながら、邪龍は散発的に魔力の光弾を放つ。しかし先刻の通り。光弾は男の前で霧散し、牽制にすらならなかった。


「意外だなリグルヴェルダス。これほどまでにこの国のことを想っているとはね。話に聞く冷酷さとは随分違う印象を受けるよ」


 急上昇し、男は初めて目線を水平に合わせた。


「何者だ、貴様。ただの魔族ではあるまい」


「魔族? 私は君が先程言ったように、彼らの長だよ。改めて、私の名はジン。彼ら、暗き巨人族の長さ」


「暗き……巨人族……?」


 リグルヴェルダスが訝る。巨人族はその呼び名通り、人間の五倍ほどの体をもつ種族だ。しかしこの男の姿は人間の青年と大差ない。姿を偽っているような違和感もない。それどころか、さほど力も感じない。リグルヴェルダスは全ての感覚をジンと名乗った男に向け、分析する。


「やめてくれないか。少しはコンプレックスもあるんだ」


 本心とは思えぬ言葉を吐き、微笑んだ。


「ああ、そろそろ引き上げるよ。大体終わったしね。奴らの援軍も来たようだ」


 眼下の街を一瞥すると、主の意向を汲んだ飛竜が下降を始める。


「逃すと思うか? この俺の実験を無駄にしておいて。逃げられると思うなっ!!」


 怒気を孕んだ咆哮が大気を震わせた。轟音が衝撃波となってジンと飛竜を襲った。見えない力を避けるように飛竜が身を翻す。その背中で、ジンは声を上げて笑っていた。


「くくっ。はははははっ。なんだ。やっぱり君が育てたんだ。なら、あの『聖女』も君のものだったか?」


「——何をした」


「もちろん。真っ先に壊したさぁ」


 表情が崩れた。にぃ、と口の端を大きく引いて。理知的に見えた整った顔立ちは、一変下卑た下級魔族のように歪んだ。


「こんな姿なんでねぇ。人の街に溶け込むのは訳ないのさ。ははっ。しかし、かの古龍が? 人間の女を? そんなに気にしていたのかよぉ」


『おおおおおおおおーーーーーーっっ!!』


 国中に轟くほどの圧だった。地上の巨人族も、魔族も、人間も。城壁も樹木も。全ての存在が粉々に砕け、砂となりかねない程の衝撃が放たれた。唯、ジンと主に守られた飛竜だけがそれを受け流していた。


「無駄だよ。君の力も。魔法も。私には届かない」


 憤怒の叫びを上げるリグルヴェルダスと対照的に、ジンは落ち着いた口調を取り戻していた。


「黙れ! 貴様の力などすでに解析済みだ! 貴様の存在、この世界より完全に消滅させてくれるわっ!」


「だから、無駄だって言っただろう。私はもう、帰らせてもらう」


 主の言葉に、飛竜が身を翻す。身体をくねらせ、翼打ち——そして主よりも先に気づく。飛竜は主と、巨龍に戸惑いの視線を送った。


「そうだ。逃げられまい。先程と同じように駆けられるか?」


「? どうした?」


 動かぬ飛竜の背に手を当てる。ジンは未だ、その変化を捉えられない。低く、小さく唸りを這わせるリグルヴェルダスに、懐疑の目を向ける。


「何をしたんだ、リグルヴェルダス? 今更、何をしようが、私には通じない」


「魔素を散らす、のだろう?」


 すでに理解に至ったリグルヴェルダスは、平静に、哀れな存在に下賜する。


「いや、違うな。散らす、のではない。(なら)す、のだ。ゆえに、より多き魔素を使用する術程、貴様には通らない。魔力場の、より強き変位を(なら)してしまうのだからな。ならば」


 リグルヴェルダスの唸りが続く。飛竜の翼がせわしなく上下する。粘つく泥中を進むかのように。


「なにを——」


「巨人族には、術は効きにくい。その極が貴様なのだろうな。それゆえ、貴様は気づきにくいようだ。この場の魔素濃度の変化を」


「場の魔素、だと。そんなものが何になる?」


「貴様は蛙だ。魔素濃度に差があれば、貴様は(なら)すのだろう。だがこの場、この平原の魔力場全てを、均一に変位させれば。形成させる術と同等の密度の魔素を生成させれば。貴様の特性は発揮できまい」


 ジンに魔素の状態を見ることはできない。しかし、彼は思わず周囲を見渡していた。見えずとも理解はしている。魔力場を捉えて飛ぶ飛竜の戸惑いを、今更ながら気づく。


「リ、グルヴェルダス……。なぜ……」


 対峙してから始めて、ジンの表情に焦りの色が浮かんだ。


「俺が無駄に術を放っていたと思っていたのか? あの光弾に込められた魔素の違いも、貴様は理解できなかったのだろう? それでいい。蛙は、気づいた時には手遅れなものだ」


 興味を失ったリグルヴェルダスには、怒りだけが残る。それもすでに治まっていた。あとは想定通りの手順で、想定通りに事が進むだけなのだから。






「やだぁっ! 何? ラースぅ」


 洞穴の最奥でルージュが頭を抱えて叫んでいた。


 洞穴は振動と共に崩れようとしていた。それは昨夜の襲撃の繰り返し。しかし、その規模は桁が違った。


 ずんっ!


 衝撃と共に洞穴の半ばまで侵入してきたのは、昨夜と同じ魔獣。その鼻面だ。巨体故に入ることは出来ず、ただ興奮した息を吹かす鼻先だけが、ラース達を洞穴の奥へと追いやっていた。 


『ラース、保たないぞ! ここから出ないと』


『う、うん。でもどうやって……』


 魔獣は体当たりを繰り返している。洞穴が崩れ落ちるのが先か、入り口を広げられて、鼻先とその両脇の牙が達するのが先か。余裕はなかった。


『オレが炎で追い払うから、その隙に』


『わかった』


 ラースは背中に縋りつく小さな体にそっと触れた。


「ルージュ、しっかり掴まってて。僕、思いっきり走るからね」


『次来たら、やるぞ』


 宣言してリグはタイミングを測る。ラースは片膝立ちになって構える。背中のルージュが、小さな腕を回して震える拳をきゅっと握りしめた。


 幾度目かの突撃が洞穴を襲った。魔獣が目前まで迫る。そこへリグは豪炎を浴びせた。


 ブゴォォォォーーーーッ!


 絶叫が響き渡る。魔獣は頭を激しく振り、壁面に打ちつける。土埃が舞う。後退りながら洞穴を破壊していく。しかし、暴れるばかりで、完全には道が開けない。


 もう一度。リグが息を溜めるよりも早く。ラースが動いた。


「どけえぇぇ〜〜〜っ!」


 体ごと魔獣に当たった。焼かれた鼻先に衝撃を受け、今度は明確に退いた。


「行こう!」


 ラースが飛び出す。続いてリグが。


 ラースは、痛みにのたうつ魔獣の全身を見た。昨夜と同じ猪型の魔獣だ。その大きさは昨夜の獣の数倍はあるだろう。さらにはもう一頭。指揮官のように離れて立ち、彼らを観察していた。


 早く逃げないと。


 そう思いながらも、ラースはその魔獣から目が離せなかった。体高はラースの身長の倍ほどもある。二本の牙は湾曲し、天を突くようにそそり立つ。額にある大きな傷跡は、歴戦の古戦士の如き雰囲気を滲み出している。

 体に比して小さな瞳が動き、魔獣は彼らを視界に収めた。


『……ラース?』


「くそっ……」


 視線を振り切って走る。全力で駆けるラースは、あっという間に魔獣たちを置き去りにした。それだけの身体能力が備わっていることを、今やラースは自覚していた。


 十分に距離をとってから、彼は無言でルージュを背中から下ろした。


「ああ、怖かったぁ。ありがとラース」


 ぷるぷると頭を振って、彼女は土埃を落とす。顔も上着も土と泥にまみれていた。


「早くどこかで洗いたいね。ね……ラース?」


「……ごめんね。やっぱり僕、駄目だ。あいつだけは、見逃せないんだ」


 腰を落として、彼女の服の汚れをそっと払う。


「ここで待ってて。僕、行かないと」


『アイツをやるのか? アイツはオマエには——』


『あいつは!』


 遮ってラースは叫ぶ。震えるほど拳を握りしめていた。


『あいつは、牧場を襲った奴なんだ! あの身体、あの傷跡、忘れるもんか! あいつが父さんや母さん、牧場のみんなを殺したんだ!』


『ラース、だったらオレも』


『ううん。大丈夫。リグもここでルージュを見ていて。僕、強くなったんだ。あのときは隠れていることしかできなかったけど。今なら僕の力で。きっとリグのおかげだよ』


 ラースは両手でリグの頭を包み、そっと首元へとなで下ろした。


 穏やかな表情ではあったが、その奥に強い決意が見て取れて、リグは無言で頷いた。

お読みいただきありがとうございます。


唐突ですが、【昔話】は、今後時々挿入されます。

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