エピローグ 彼が抱くのは、愛
二年後。
あれからすぐに、黄昏の王国と夕闇の大帝国の間に講和が結ばれて、戦争は終わった。
国王と女帝は、王都と帝都に甚大な被害を与えた責任で廃位。
王位と帝位は、メラニーが受け継いだ。
戦後の平和のためには、これが一番だと、彼女は引き受ける。
諸侯や国民から大きな反対はなかった。
夕焼の堕天使、大天使、大魔獣。
火の巨人に、火の大巨人。
あれだけの怪物たちが闘争と破壊の限りを尽くした後となっては、誰もが愚かな戦争を繰り返す気にはなれなかった。
メラニーは、帝都の再建中の大宮殿に移り住み、アリッサと王国の侍女たちがついて行く。
帝都の大聖堂で、諸国の要人たちを招待しての戴冠式が挙行され、クラーラ女侯爵とコニーの夫妻が来てくれた。
黄昏の大臣は、夕闇の大帝国の大臣となり、長男ヤーコプは、王国騎士団の団長に就任した。
白衣の騎士団長ルーチェは、一通りのことを終えてから帝国を去る。
王国の騎士たちと白衣の騎士たちは、今度は宮廷で争うことになりそうだ。
元国王と元女帝は、王国と帝国の別々のところで田舎暮らし。
娘は度々出かけて、両親との時間を取り戻そうとしている。
彼女の監視役だった監督官は恩赦を受けたが、新たな女王に直接仕えることは辞退した。今は地方の一役人として仕えている。
名誉の戦死を遂げたアルフレッドとルドルフには、立派な墓が建てられた。
墓前に、つばや罵声を浴びせる者は絶えない。
花を捧げる者も。
ヴィルヘルムが遺した出版業は、帝国の支配圏にも大体的に広まって、戦後の王国と帝国の文化振興と両国民の融和に一役買っている。
読書好きのメラニーが女王兼女帝として、一番の後援者となっているのは言うまでもない。
彼女が知った物語は、世界中で語られている。
女王となっての、日々。
王女時代よりずっと忙しいが、束縛するものは何もない。
好きに本を読み、外にも出かけられる。
公務や政治には、真面目に取り組んだ。
難しいことは大臣や諸侯に任せるしかないが、遊ばず、愚かな真似はしない。
何より、武力に訴えようとはしなかった。
国民や諸国との問題には、互いに理解し合おうと、なるべく話し合いによる解決を推し進める。
自分はまだ若いのだと勉学に励み、女王として必要なことを少しずつ教わっていった。
彼女は、笑った。
いつでも、どこでも。
玉座に座って、諸侯たちを前にした時にも。
女王として、諸国を廻る時にも。
世界は、彼女の笑顔を求めている。
美しく、優しく笑う彼女に、世界中の人々が喝采を送った。
新たな女王の下で人々はまとまり、この世界は平和になっていく。
彼女は、笑った。
――たとえ、笑いたくない時があったとしても。
黄昏の紅姫メラニー・ローザリンデ・エーデルワイスという、一人の少女が抱える本当の想いを知るのは、この世界にわずかにしかいなかった。
その一人が、親友のアリッサだ。
「女王陛下、明日の予定ですが……メラニー?」
夜遅く、アリッサが書類を読み上げようとした途端に、そう話しかける。
「えっ……」
机の前に座ったメラニーが、何か物思いに耽っていたからだ。
「聞いてる?」
「ええ。明日の予定ね。いいわよ、続けて」
アリッサは、明日の予定を読み上げた。
「それじゃあ、今日はこれまで。アリッサ、明日またよろしく」
「メラニー」
笑顔で私室に戻ろうとするメラニーに、アリッサははっきりと言う。
「部屋に戻ったら、鏡の前に座って、自分の顔をよく見てみてね」
「なに、アリッサ。突然、どうしたの?」
「……そんな顔していると、彼が心配になってやって来るわよ」
メラニーは、自分の部屋に戻った。
帝都の小さくなった宮殿の最上階。
窓の鍵を開けて、バルコニーに出た彼女は、夜景を鑑賞した。
女王の部屋のバルコニーからは、夜空の下で、帝都の光り輝く姿がよく見える。
しばらくしてから、窓を開けたまま部屋の中に戻った。
アリッサに言われたとおり、化粧台の鏡の前に座って、鏡に映った自分の顔を、よく見てみる。
――今にも泣きそうな女の子がいた。
いやだ。本当に、泣きそうだ。
そう思うと、彼が慌てるわねと思い直して、明日のためにも気を引き締める。
しかし――そうした途端、もうたまらなくなった。
鏡に写った自分の左眼から、涙がこぼれ落ちる。
気をしっかりと持とうとするが、どうしてだろう、涙が流れ続けてしまう。
――メラニーは、幸せではなかった。
彼が、いない。
ここには、彼がいない。
ここにはもう、彼がいないから。
忘れようとした。
新たな相手を見つけようとした。
女帝として、女王として、黄昏の王国と夕闇の大帝国、世界のために。
これからのためにも。
――だけど、だけど、それでも。
「……ミハエル……ミハエル!」
メラニーは、鏡に写る自分に向かって泣き叫ぶ。
忘れることなんてできない。
今の自分とこの世界があるのは、彼のおかげ。
彼のあの献身、奉仕と犠牲があったからこそ、私はこうして生きていられる。
――私にあそこまでしてくれる人が、これからまた出会えるというの?
そんなはずない。
彼女にとって、唯一無二の騎士。
彼女が知る中で、最高の騎士。
愛の騎士。真の騎士。
たとえ、彼が――怪物だったとしても。
彼は、私の、かけがえのない騎士だったのだから――。
メラニーは、化粧台の上に顔を伏せた。
「お願い、赤騎士……。私のそばにいてよ」
台の上に置いた右手の指が、左手の指に触れる。
その感触で、ふと気がついた。
指輪がない――。
彼からもらった指輪が。
そういえば、どこに、と気になって、起き上がった途端に思い出す。
慌てて、化粧台の右上の引き出しを開けると、指輪は確かにあった。
黄金に輝く、秘密の指輪が。
あれから人前でするわけにもいかず、そこに置いておいたのだ。
今も大事そうに、きれいなまま仕舞われている。
メラニーは指輪を右手で取り上げ、鏡の前でしっかりと写るようにして、左手の薬指にはめてみる。
「さあ、私を……彼のいる世界に連れてって」
何も、起こらない。
「彼を、私の元に……」
何も、起こらない。
「お願い……連れてってよ」
何も、起こらなかった。
メラニーは、泣いた――。
やがて彼女は気を取り戻して、鏡に写る自分の顔をもう一度見つめてみる。
それから両手で、両目にたまっている涙を拭いた。
「ダメよ、メラニー。いつまでも、彼に頼ってちゃ。そうよね、赤騎士」
しばらくそうやって、鏡に写る自分を見つめ続ける。
自分の背中に彼がいて、励ましてくれる姿を想像しながら――。
――申し訳ありません、メラニー女王陛下。
「さて……」
そこで、彼女は――ふと気づく。
――さっき、何も起こらなかったのは、
「……えっ?」
鏡に写る外のバルコニーに――、誰かが、隠れている。
――私が、止めたからです。
騒がなかったのは、その姿にとても見覚えがあって、そわそわしていたからだ。
「そこに、隠れているもの」
メラニーが鏡を見たまま話しかけると、侵入者はびくっと震えた。
「おとなしく入ってきなさい。大丈夫、怒らないから」
鏡を見ていると、開かれた窓が開かれて、観念したように入ってくる。
鏡に写ったその姿を見て、彼女は信じられなかった。
自分の目ではっきりと確かめるために、後ろを振り返る。
自分の視界に写っても、やっぱり信じられない。
燃えるような赤い髪。
炎のような赤い眉。
火のような赤い瞳。
鋼の胴鎧に、腰帯の鞘に収められた長剣。
背丈の大きな若い男。
どこからどう見ても、とても強くて、優しそうな人間の騎士。
それなのに、それだけの立派な騎士が、悪いことをした子供みたいに、顔を赤くしてうつむいている。
それでも、
「赤騎士?」
「……はい。火の巨人。赤髪の赤騎士ミハエル・フォン・シュバルツです。ご無沙汰しております。メラニー女王陛下」
彼女の愛する騎士は、確かにそこに立っていた。
「……どうして、ここに?」
「いやあ……、よく考えると、こうやってお忍びでお会いすることだってできるんですよね。秘密の指輪もありますし……」
「それなのに……なぜ、今になって?」
「あれから……あなたという生きる意味を失って、しばらくの間、立ち上がることもできませんでした」
ミハエルは、語る。
「……それから?」
「あなたとこの世界のために、このまま身を引いた方がいいと……。虎丸やフィー殿たちに励まされ、執事殿とメイド殿たちのお手伝いをして、少しずつ立ち上がっていきました……。新たな人生を見つけるために、またトマスとベティのところに遊びに行ったり、また浪平殿の都にある神社やお寺にお参りに行ったり、新たな世界を冒険したりして……」
「それで?」
「結局……わかったことは、一つだけです」
「……どうして、ここに?」
「メラニー様。吾輩は、やはり……あなたのおそばを離れたくありません」
メラニーの胸が、ときめく。
「だけど……、私は、女王」
「……はい。吾輩は、怪物」
「一度はあきらめたのに……、そんな夢、許されるのでしょうか?」
「吾輩も迷いました……。ですが、魔法使い殿がおっしゃってくれました」
「……魔法使いさんは、なんて?」
「叶わない夢のほとんどは、今はまだ、叶えるための魔法が見つかっていないだけなのだと」
「そんな魔法……本当にあるのかしら?」
「わかりません……。ですが、きっとあるはず。赤い怪物だった吾輩が、人間の騎士になれたように」
「……そうですね」
「そんな魔法を……今度は、あなたと一緒に見つけてゆきたい。それが今、愛する人にまた会いに来た、ここにいる吾輩の夢なのです」
メラニーは、彼と一緒に微笑んだ。
「それで、せっかく会いに来てくれたのに……、隠れていたのは、たんに恥ずかしかったから?」
「……すいません」
「次は、もっと早く会いに来なさい」
「そうします」
二人は、互いにもっと近づいて、見つめ合う。
「メラニー様。何度も言うように、そしてあなたがよくご存知のとおり、吾輩は、怪物です。それでも、またこうしてお会いしに来てもよろしいでしょうか?」
「……ええ、もちろん」
「もし、ご迷惑でしたら……」
「いいえ……。女王として問題があることはわかっています。ですが、考えるのは後にしましょう……。いつでも歓迎しますよ、ミハエル」
「いつでも……」
「いつでも……」
「いつまでも?」
「はい。いつまでも――」
彼女は、彼の懐へ。彼は、彼女を胸の中へ。
いつまでも、いつまでも――。
これは、彼の恋の物語。
そして、彼と彼女の――愛の物語。




