逃げの金曜日
やばい、こんなはずじゃなかった。
ちゃんと修羅場を迎えて、きっぱり、すっきりと別れるはずだった。
それなのに、あたしは昨日、何で「別れようと思っている」なんてあの場面で言っちゃったんだろう。
頭の中でリプレイしている場面。
なかったことにしたいけれど、鮮明に記憶に刻み付けられている場面は、勝手に繰り返し自動再生している。
今日は金曜日。
必修の授業があるから、大学に行かないわけにはいかない。
あたしは仕方なく、準備して大学に向かった。
授業に出ようと、教室に向かうと、なぜかざわついていた。
ざわつきの先を見つめると、教室の前で仁王立ちしているハルトの姿。
→立ち向かう?
→逃げる?
ゲームのコマンドのような選択肢が頭の中に浮かび上がってきた。
間違いなく、「逃げる」を連打。
必修の授業といえども、あたしはラスボスのようなオーラを放つハルトに立ち向かうことができず、その場から逃げだした。
「あれ? 鳥波さん、久しぶりだね」
逃げ出してトボトボと校内を歩いていたら、同じ学部の知人に声を掛けられた。
「あー、小淵さん?」
「うん、訊き返されると悲しくなるけど」
苦笑しながら小淵さんは、肩を超える髪をかき上げた。
「鳥波さんって、黒井ハルトと知り合いだったの?」
「はっ?」
なぜ、このタイミングでハルトの名前が出るんだ。
ハルトの事は大学で有名だから、小淵さんが知っていてもおかしくない。
でも、あたしとハルトとの繋がりはだれも知らないはずだ。
「昨日、黒井ハルトが来て、鳥波さんが何の授業を取っているのかって聞かれたよ。たぶん、今日の一限は必修とってるはずじゃないかなって答えたんだけど」
あー、それでハルトが今日、教室の前で仁王立ちしていたんだ。
「鳥波さん、必修、取ってなかったんだね。嘘教えちゃった」
申し訳なさそうな小淵さんに、あたしはロボットみたいに、カタカタとぎこちなく首を横に振った。
「大丈夫! ってか、大丈夫だった!」
「ん?」
小淵さんが、あたしに首をかしげる。
「あっ、うん。っていうか、ごめんね。巻き込んで。もう、きっと大丈夫だから」
ねっ、と念を押すように、行ってあたしは小淵さんに別れを告げた。
周りから探りを入れられているらしい。
だけど、大丈夫。
ちょっとフライングしてしまったけれども、明日の土曜日にはすべてが終わるはずなんだ。
なんだか思うようにいかない展開ばかりだけど、明日にはきっと、うまくいくはず。
あたしは仕方がなく昼まで時間をつぶして、食堂に向かった。
ちょっと早めのランチをすればハルトに会わないかなと思ったけれど、まだ昼休みにはちょっと早いのに、食堂の前にハルトがいた。
「うっ」
ここにもハルトいるじゃん!
ってか、マジでハルトが怒っているのが離れているのにわかる。
あたしは朝と同じように「逃げる」の選択肢を選んで、踵を返した。
「ぶっ」とつい最近と同じ衝撃を受けた。
ぶつかった相手を見上げると、マサヤだった。
「おまえ、何してんの?」
マサヤはあたしを見下ろして、柱の向こう側のハルトの姿も視界にいれた。
「で、マチは何してんの?」
あたしとハルトの姿を確認すると、もう一度、同じ質問をされた。
「えーと」
なんて答えていいのかわからず、口ごもるあたしに、マサヤは眉間にしわを寄せた。
「マサヤは明日のハルトの予定が何か、知ってる?」
突然、話を変えたあたしに、マサヤは何か言いかけてやめた。
小さく息を漏らすと、銀色の髪をかきあげる。
「知ってる。っつか、サークル活動だから、俺も行く」
「サークル?」
「ハルトとマサヤってなんのサークルに入ってるの?」
「マチって相変わらずだよな。ハルトの空回りが、マジで不憫に思えるわ」
「ん?」
「俺とハルトは、国際交流学会。明日は〇〇ってとこで、集会があるんだよ」
「それって、飯島ユイさんも来たりする?」
「あぁ?」
マサヤはあたしを見下ろしたまま、なぜか固まった。
あたしはマサヤの様子に息をのんだ。
もしかして、マサヤは知っているんじゃないか。
ハルトとユイさんの関係を。
だから―――
悪い予感ばかりが繋がっていってしまう。
「あぁ、ん、まぁ、ユイもサークル仲間だから来るが」
珍しく端切れの悪いマサヤの言い方に、あたしは確信した。
「そっか、分かった!」
「何が?」
「うん、もう大丈夫だから!」
「いや、待て! マチ。おまえ、昔から突拍子もない方向に考える癖があるから」
「マサヤ、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。うん、じゃぁ、また明日ね」
「明日ってマチ!」
あたしはマサヤの言葉を遮ると、その場を離れた。
―――うん、なんか、キッパリ明日、修羅場で別れるって腹をくくったらすっきりした気がした。
よし。今日はもう帰ろう。
どこに行ってもハルトが待ち構えている気がして、今日は、帰ることにした。