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1. 「声が出ないなら筆談すればいいじゃない」

 まばゆい陽光が水面をきらきらと照らす、美しい春の朝のことでした。


 私が城の外にある階段を降りていると、そこに横たわる人影があることに気づいたのです。ぎょっとして私が駆けよると、倒れていたのは、たいそう美しい女性でした。

 そよ風に吹かれて軽く揺れる、ウェーブがかった美しい金髪。白く陶磁器のようにきめ細やかな肌。すらりと伸びた細長い手足。そして、美術品のように整った目鼻立ち。私がその美貌に目をうばわれたことは、言うまでもありません。


 私が見惚れていると、やがて、女性が目を覚ましました。彼女はゆっくりと起きあがり、じっとこちらを見つめます。

 宝石のように透きとおった、青い瞳。吸いこまれそうなその瞳に魅入られ、私が彼女から目を離せずにいると――


『あの! 王子さまですよね!?』

『うわっ本物だ、きれい……好き……』


 ……。

 どこから取り出したのか、そんなことが書かれたフリップをこちらに見せてくるのでした。

 なんか変な人いる……と呆気にとられる私。そんな私をよそに、彼女はさらさらと何やらフリップに書きこんでいきます。


『やばい! 目合っちゃった!』

『ファンサありがとうございます!!』


 なんか楽しそうだな……。

 と、そこで私は、彼女に最初の質問を投げかけます。


「……えっと……どなたですか」


『人魚姫です!』

『あと王子さまと結ばれないと泡になって消えます!』


「多い多い、情報量が多い」


『なので助けてください!』

『ここから入れる保険とかってありますか!?』


 思ったより変な人に声かけちゃったかもしれない。

 とはいえ、そんなことを今さら後悔しても仕方ありません。彼女が何も身にまとっていないことに気づいた私は、自分の上着を脱いで彼女にかけようとします。


「あの……とりあえず、これ着てください」


『ウワーッ!! え、これ彼シャツってやつ!?!?』

『待ってくださいこれはよくないです!! 心の準備が!!』

『王子さまの匂いがする……わたし、もうこのまま消えてもいい……』


「消えたくないんじゃなかったんですか」


『そうでした! 泡は困ります!!』


 うっかり私が突っこむと、彼女は嬉々としてそう返してきました。怪しいのはそうですが、愉快な人なのも間違いなさそうです。

 ここで、私は一番気になっていたことを聞くことにしました。


「……ところで、なぜ筆談を?」


『あ、これですか? 実はわたし、声を出せないんです』


「え……?」


『それで、声が出ないなら筆談すればいいじゃない! とひらめいたんです!』

『え、わたし天才では……?』


 ……まさか、彼女がそんな事情を抱えていたなんて。

 明るく振る舞っていますが、きっと心は傷ついているはずです。知らなかったとはいえ、私は己の無神経さを恥じました。


「すみません、そんなこととはつゆ知らず……」


『いえいえ! わたしが望んでやったことですから!』


「……え、望んで?」


『ほら、わたしって人魚なので歩けないじゃないですか』

『それで、王子さまに会いに行くために、人間みたいな足がほしくてネットで調べてたんです』


「ネットで」


『そしたら、声を失う代わりに足が生える魔法の薬が通販にあったんですよ!』


「通販に」


『星4.2でした! 即買いです!』


 もう世界観がぐちゃぐちゃです。星とかそういうのあるんだ……。

 困惑する私に、彼女は少し暗い顔を見せました。


『でも、ちょっと困ったことがあって……』


「困ったこと?」


『それがですね……』


 彼女の表情がとても神妙で、私は思わず息をのみます。

 でも、彼女が困るのも当然かもしれません。長年親しんできた人魚としての下半身を捨て、人間の足を手にいれたとなれば、慣れないこともたくさんあるでしょう。やっぱり人魚の身体が恋しい、と後悔していても何もおかしくありません。

 そして、次に彼女が見せたフリップに書かれていたことは――


『王子さまと結ばれないと、わたしは泡になって消えてしまうそうなんです』


「いや確かにやばいけど」


『薬の副作用で……』


「認可通るんですかそれ」


『商品説明の端っこにちっちゃく副作用って書いてありました』


「しかも思ったよりだいぶ悪質」


『説明とか読まずに商品名だけでポチったわたしも悪いですけど……』


「こっちもだいぶ軽率」


『でもひどくないですか!? あんなの気づくわけないですよ!』

『あんな長い説明、全部律儀に読んでたら日が暮れますって!』


 まあ、確かにそういうのも割とあるけど。

 と、私はここで、恐ろしいことに気づいてしまいました。


「……あの、その商品、星4.2だったって言いましたよね」


『はい、そうです』


「それ、生存者バイアスというやつでは」


『せいぞんしゃ……?』


「要は、低評価をつけるような購入者は消えるから書けないだけ、という」


『えっ……い、いやいや、そんなまさか……』


 そう書かれたフリップを見せてから、彼女は貝殻のような形をした謎のデバイスを取り出します。どこから出したんだ。

 私も彼女のデバイスの画面を覗きこみ、流れていくレビューの文言を眺めます。


「★★★★★ 意中の相手と結ばれました! 足も歩きやすくて満足です♡」

「★★★★☆ 彼とうまくいきました! 慣れるまで少し不便でしたが、今は幸せです!」

「★★★☆☆ まだ結果は出ていませんが期待しています!」


『そんな……ダメだったっていうレビューがひとつもない……』


「……そのようですね」


『うわーん! 消えたくないー!!』


 彼女は、律儀に泣き顔の顔文字までつけて、フリップと表情の両方で悲しみをアピールしてきました。

 意外と余裕あるな。でも正直ちょっと可愛かったです。


「……それにしても」


『なんですか……?』


「あなたは本当に人魚だったのですか? こう言ってはなんですが、人間とまったく変わらないように見えるもので」


 そう言って、私は彼女の足に視線を向けます。その足は傷ひとつない綺麗なもので、これが後から生えたものとはどうしても思えません。

 まあ、本当は薬の話も全部嘘で、普通の人間だった方がお互いに幸せだろう、という思いがあったことも否めません。彼女が人魚だったというのが事実なら、彼女が泡になって消えてしまうかもしれない、というのもまた事実になるのですから。


『ほ、本当ですよ! 信じてください!!』

『えーと……どこかに人魚だった頃の写真が……』


 そう書いたフリップを足元に置くと、これまたどこから取り出したのか、彼女はハンドバッグに手を突っこんでごそごそと中を探りはじめます。

 すると、ハンドバッグの端から、ひらりと一枚の写真が私の足元に落ちてきました。


「……これは?」


 何気なく、その写真を拾いあげる私。

 彼女は何やら慌てた顔で口をぱくぱくさせていますが、私はさほど気にも留めず、写真を覗きこみます。


 そこに写っていたのは、彼女……と、その後ろで眠る私の姿。

 しかも彼女は、ウィンクして、ぺろりと舌も出しながら、こちらに向かって楽しげにピースしています。いや何してるんだ。


 顔を上げて、彼女に視線を戻す私。ふいと目をそらす彼女。


「……なんですか、これは」


『……えーっと、そのぉ……』


 フリップを胸の前に抱えたまま、彼女はしばし視線を泳がせます。

 しかし私が黙っていると、やがて観念したように、フリップに何かを書きはじめました。


『き、記念に……みたいな?』


「何の記念なんですか」


『……推しとの遭遇記念?』


「寝ている推しの前で記念撮影しないでください」


『はい……』


 しゅんとする彼女。心なしか、フリップの文字も弱々しく見えます。

 ため息をつきながら、私は再び写真に目を落とします。そこには確かに、魚の下半身をもつ彼女の姿が写っていました。


「……しかし、人魚だったというのは事実のようですね」


『はい! ちゃんと尾びれも写ってます!』


「そうですね。……あれ?」


 と、そこで私は、写真の中の私がなぜか水に濡れていることに気がつきました。

 それに、この写真が撮られた場所。どこかの砂浜でしょうが、なんとなく見覚えがあります。


「もしや、この写真……私が海で溺れた、あの嵐の翌日に撮ったものですか?」


『あっ、はい! そうです!』


「……ということは、ひょっとして」


『はい! わたしが王子さまを岸まで運びました!!』


 えへん、とばかりに胸を張る彼女。

 ……まさか、彼女がただの人魚ではなく、私にとっての命の恩人でもあったなんて。私の胸の中で、いろんな感情がうず巻きます。

 そんな私をよそに、またしてもフリップに何かを書きこむ彼女。そして、彼女がおずおずと見せてきたことには――


『だから、王子さまが気を失っている間に記念撮影するくらいは』


「なおのことダメです」


『はい……』


 自重してください。

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