13、小さな依頼人 <Side 愛良>(後編)
あたしの誕生日から一週間が過ぎた、土曜日。
あたしは塾が終わるのをそわそわしながら辛抱して待って、終わった途端、和馬お兄ちゃんの家ではない家に向かった。
そこは、三成 雪野ちゃんの家。
そこに今夜、怪盗夜叉が現れる可能性があるから、あたしはそこにお邪魔することにしたんだ。
13、小さな依頼人▲ <Side 愛良>(後編)
「やっぱり、テレビとかには予告状がないみたいだね~」
あたしは雪野ちゃんの部屋にお邪魔するなりいきなりそう切り出した。雪野ちゃんは小さく頷いてから、真っ白な封筒をあたしに手渡した。
「なに?これ?」
「・・・中、見て」
雪野ちゃんが言うように封筒の中を見てみると、そこには二つ折の小さな紙が一枚入っているだけ。それを開いて見てみて、思わずあたしは叫んでしまった。
「これって、夜叉の予告状?!」
そこには、『今宵、お約束のものをお届けにあがります』っていう短い文面と、怪盗夜叉の名前が書いてあった。
びっくりしてあたしが雪野ちゃんに尋ねれば、彼女はこくり、と自信がなさそうに頷いた。
でも、こんな予告状まで雪野ちゃんに届けてくれたんだから、絶対夜叉は来てくれる!!
あたしはそう確信して、大興奮しながら夜を待った。
お夕飯を雪野ちゃんのおうちでご馳走になって、お礼もそこそこにあたしも雪野ちゃんもすぐに部屋に駆け戻った。
雪野ちゃんのママも、今夜怪盗夜叉がやってくるのは知っているみたいだけど、信じている様子ではなかった。
夜叉に実際に会ったことなかったら、そう思うのかな。だから、あたしと雪野ちゃんがバタバタと部屋に戻っていくのを笑われてしまった。
時計の針は、今は8時を指している。夜叉が予告状で書いていた『今宵』って何時のことなのかな。
「いつ来るんだろうね、夜叉」
窓を開けて、あたしと雪野ちゃんはじっと待つ。雪野ちゃんのおうちはマンションだから、リビングの窓にはベランダがあったけど、雪野ちゃんの部屋にはベランダはない。
大きめの窓がひとつあるだけ。人がひとり通れるかどうかの大きさ。
ここに、夜叉は来るのかな?
「早く来ないかなぁ、夜叉・・・」
あたしと雪野ちゃんは、ぼんやりと窓を眺めながら、ため息と共に呟いた。
ガタッっていう物音が部屋の外から聞こえて、あたしははっと目を覚ました。どうやらいつの間にか寝ちゃってたみたい。
慌てて部屋の中を見渡しても、夜叉が来たような形跡はない。あたしは横で寝ている雪野ちゃんの肩を揺らした。
「雪野ちゃん、雪野ちゃん!!起きて」
「ん・・・」
雪野ちゃんが眠そうに目を擦っている間に、あたしは時計を見る。
今は夜の10時半。さっきの物音は何だったのかな、と思うよりも先に、リビングから雪野ちゃんのママの声が聞こえてきた。
「雪野!!雪野、こっちへ来て!!」
必死な声で雪野ちゃんを呼んでいるのを聞いて、あたしは慌てて雪野ちゃんをもう一度揺すった。
「雪野ちゃん、ママが呼んで・・・」
「怪盗夜叉が来たわよ、雪野!!」
雪野ちゃんママのその台詞に、あたしは雪野ちゃんを置いて急いでリビング向かった。
そこには、ベランダに出るかどうかためらっている雪野ちゃんママと、その外には漆黒の怪盗が器用にベランダの柵に乗っていた。
あれって、バランス崩したら下に落ちちゃうんじゃ・・・。
雪野ちゃんの家は八階。落ちて平気な高さではない・・・。
「怪盗夜叉!!」
あたしの横を駆け抜けてベランダに飛び出す影。いつの間に覚醒したのか、雪野ちゃんだった。
「夜叉、本当に来てくれたんだね?」
「もちろんですよ。貴方とのお約束を果たしに」
夜叉は優しい声でそう言うと、柵の上で危なげなく膝を折ってみせた。見てるこっちがヒヤヒヤしちゃう。
「こちらが、貴方からご依頼を受けたものです」
懐から彼が取り出したのは、小さな宝石箱。そっと丁寧に雪野ちゃんの小さな両手に乗せると、夜叉は再びすっと立ち上がった。
このまま夜叉が帰っちゃうと思ったあたしは、慌ててベランダに出ようとした。だけど、それよりも先に、雪野ちゃんのママが飛び出していった。
「ありがとう・・・ありがとうございます、怪盗夜叉・・・・・・!!なんてお礼を言っていいか・・・」
「<依頼料>はすでにお嬢さんからいただいています。お礼を言われるほどではありません」
ばさり、とマントを翻した夜叉に、さらに雪野ちゃんのママは問いかけていた。
「あの・・・弟は、どうなったのでしょうか・・・?」
「彼は、あの組織からは解放されました。今度は真っ当な職を見つけることですよ」
「本当に・・・ありがとうございます・・・!!」
目に涙さえ浮かべている雪野ちゃんママに対して、夜叉は軽く肩をすくめただけだった。
「彼に関することでは、お礼はわたしではなく、別の者が受けるに値するのですが・・・」
そしてふわり、と体を傾けた夜叉に、あたしは思わず叫んでいた。
「夜叉!!」
「またお会いしましたね、お嬢さん。いずれまた、お会いすることになるでしょう」
ゆっくりと落下したまま夜叉はあたしにそう言って、闇に溶けて見えなくなってしまった。
・・・せっかく夜叉に会えると思って待ってたのに、雪野ちゃん親子の勢いに負けて、話をすることができなかった・・・。
がっくりとうなだれながら、なんとか夜叉の姿を見つけられないかと彼が落ちていったあたりを見渡したりしてみるけど全然見えない。
あーあ・・・。次はいつ会えるチャンスがあるかもわからないのに・・・。
「雪野、怪盗夜叉に<依頼料>を払ったの?」
呆然と夜空を見上げるあたしの後ろで、雪野ちゃんのママが雪野ちゃんにそう尋ねているのが聞こえた。
「うん。このガムをいっぱいあげたの」
「このガムって・・・このチューイングガム?」
「うん」
リビングにまるで置物のように飾ってあるかわいらしいビンに詰まっている、飴玉にも見えるコロコロと丸くてカラフルなチューイングガム。
これが、怪盗夜叉への<依頼料>?
「ねぇ、ママ。宝石箱にちゃんとあった?」
唐突な雪野ちゃんの質問も、雪野ちゃんのママは意図がわかっているみたいで、宝石箱を開けて何かを確認しはじめた。
宝石箱っていうだけあって、蓋を開ければキラキラと輝く宝石のついたアクセサリーがたくさん入っていた。でも、雪野ちゃんのママが取り出したのは、その中でも小さな宝石のついた指輪。
「・・・ちゃんとあったわ」
「それって?」
思わずあたしが雪野ちゃんのママに尋ねてみると、彼女は少し照れたように答えてくれた。
「これはね、亡くなった主人がくれた、婚約指輪なの」
婚約指輪!!
なるほど、だから、そんなに大切そうなのね。
「よかったですね!!」
「本当に。すべての宝石が奪われてしまっても、これだけは取り戻したかったの。でも、怪盗夜叉はこの宝石箱だけではなく、弟まで取り戻してくれたみたいだし・・・」
「夜叉が?叔父さんを?」
「悪い人たちから叔父さんを取り戻してくれたのよ、雪野」
涙目でそう言ってから、雪野ちゃんのママは雪野ちゃんをぎゅって抱き締めた。
「・・・ありがとう、雪野」
「取り戻してくれたのは夜叉だよ、ママ?」
「怪盗夜叉に<依頼>してくれて・・・ありがとう」
「・・・ママにとって、大事なパパの思い出だから・・・」
値打ちのある大きな石の宝石よりも、ずっとずっと価値のある宝物。
それがきっと、あの婚約指輪だってことを雪野ちゃんはわかってたんだよね。
何も言わずに互いに抱き合ったままの親子を見守りながらあたしはそう思いつつ、なんとなく、寂しいような気持ちが沸き上がってきた。
・・・あたしも、パパとママに会いたいな・・・。
なんかよくわからないけど、寂しくなって涙が出そうになったそのタイミングで、急にポケットに入れたままにしていたあたしの携帯が鳴り出した。
「え、え?!」
感動的な場面を壊すかのような電子音にあたしは慌てて表示画面を確認する。そこに表示されていた名前は・・・・・・。
「和馬お兄ちゃん?!どうしたの?!」
『どうしたはこっちのセリフ』
珍しい~。
和馬お兄ちゃんからあたしに電話をくれるなんて!!
あたしはさっきまでの寂しい気持ちなんか吹っ飛んで、和馬お兄ちゃんからのラブコールに急浮上した。
『愛良、おまえまだ雪野ちゃんの家にお邪魔してるのか?』
「え・・・?あ、うん」
『まったく・・・。いつまでそこにいるつもりだ?』
「えっと、もう帰ろうかな、と・・・」
お兄ちゃん、あたしが帰ってなくて心配してくれたのかな?!優しい~!!
さすがあたしの恋人!!
「・・・お兄ちゃん?」
なんか、急に黙り込んじゃったお兄ちゃんに呼び掛けると、ぽつり、と返答が返ってきた。
『雪野ちゃんの家はどこだ?』
「え?!えぇっと・・・」
だいたいの住所をあたしが答えると、お兄ちゃんはため息をひとつ吐いてからうれしいことを言ってくれた。
『そのマンションで待ってろ。近くにいるから、迎えに行く』
「うん!!」
やったぁ!!お兄ちゃんがわざわざ迎えに来てくれるなんて!!
夜叉に会えなかったけど、すっごいお得な気分!!
あたしは、きょとんとした様子であたしの会話を聞いていた雪野ちゃん親子に事情を話して、本当に近くにいたらしい和馬お兄ちゃんがすぐに迎えに来てくれたからふたりで帰路についた。
ふたりでデートなんてうれしいな!!・・・・・・行き先が家でも。
「ありがとう、お兄ちゃん!!お兄ちゃんがくれたコレがあったから、ひとりで帰るつもりだったんだけどね」
あたしが誇らしげに、お兄ちゃんにプレゼントしてもらった防犯ブザーを掲げると、お兄ちゃんは呆れたようにあたしを見返してきた。
「こんな遅い時間に小学生ひとりが歩いていいわけないだろ。だいたい、ソレは俺たちが愛良の塾の帰りに迎えに行けないときのためであって、怪盗夜叉を追っかけるためにあげたんじゃない」
「まぁ・・・そうだけどさ」
至極もっともなことを指摘されて、あたしは不服そうに肯定する。すると、少し先を歩いていたお兄ちゃんが、すごく真剣な表情であたしを見つめてきた。
「・・・愛良、怪盗夜叉に<依頼>はできたのか?」
「え、なんで・・・」
なんで、あたしが夜叉に<依頼>をしたいって思ってるか知ってるの?!
あたし、お兄ちゃんには、夜叉に「弟子はとらないけど<依頼>なら受ける」って言われたこと、話してない・・・・・・。
「そんなの、おまえの雪野ちゃんへの態度見てればわかるさ。で、その様子だと夜叉に<依頼>はできなかったんだな」
「うん・・・」
す、すごい!!お兄ちゃんてば、なんでもわかっちゃうんだ!!
愛の力?!
すると、お兄ちゃんが、真剣な瞳で、静かにあたしに問い掛けてきた。
「なぁ、愛良。おまえは夜叉に<依頼>して、それが果たされたら、海外にいる両親のところに行くのか?」
「え・・・?」
突然切り出された話題の意味がわからなくて、あたしは問い返してしまう。
「おまえが日本にいるのは、夜叉に絡む、なにか大事なものがあってだろう?でも、それが果たされたら、もう両親と離れて寂しい思いをしなくて済むぞ?愛良、おまえが望むなら、俺が夜叉に頼んでもいいぞ?」
それは茶化すような感じではなくて。
本気で和馬お兄ちゃんは、あたしにそう言ってくれているのが伝わる。
考えても、みなかった。
パパとママが海外に行くって決まったとき、あたしは<エーゲ海のエメラルド>を取り戻したくて、そのために怪盗夜叉の弟子になりたくて、日本に残るって言い張った。
もしも、それが果たされたら、あたしはパパとママと一緒に暮らすの・・・?
さっきの雪野ちゃん親子みたいに、パパとママに甘えることができる・・・?
日本を、和馬お兄ちゃんの家を出て・・・・・・?
「・・・愛良?」
黙り込んだあたしを心配してか、お兄ちゃんがあたしの名前を呼ぶ。
和馬お兄ちゃんがあたしの名前を呼んでくれる。
それはきっと、パパとママと離れて、和馬お兄ちゃんと一緒に暮らさなかったらこんな奇跡は起きなかった。
パパとママに会えないのは寂しい。
時々甘えたくなる。
電話越しじゃない声が聞きたいときがある。
「・・・愛良、俺は前に言っただろ?」
お兄ちゃんの大きな暖かい手が、あたしの頭をゆっくりと撫でてくれる。優しく、慰めるように。
「寂しいとき、悲しいときに我慢することないんだ。おまえはまだ子供なんだから、もっと甘えていいんだ。それを我慢することない。そう言っただろ?」
・・・うん、言われた。
一緒に暮らし始めたばかりのときに。
あのときは、パパとママに会えない寂しさじゃなくて、和馬お兄ちゃんがあたしを認めてくれないのが寂しくて泣いた。
でも、今溢れてくるものは・・・・・・。
「・・・夜叉に・・・会わせてやろうか・・・・・・?」
なぜか、緊張を帯びた声であたしに言う和馬お兄ちゃんの声に、あたしは余計に悲しくなってきた。
まるで、あたしがお兄ちゃんを追い詰めてるみたいで。
責めてるみたいで。
そういうわけじゃない。
和馬お兄ちゃんやロゼとの生活も、楽しくて寂しくなんか、ないのに。
「両親のもとに、早く行けるようにしてやるよ、愛良」
もう一度、お兄ちゃんが優しく頭を撫でながらそう言ってくれたのを、あたしは頭の中で反芻してみる。
夜叉に会って・・・<依頼>して・・・・・・パパとママのもとに行く・・・?
和馬お兄ちゃんと離れて・・・・・・?
「・・・それは、やだ」
「え?なんだって?」
「それは、やだ!!せっかくお兄ちゃんと同棲できるようになったのに、離れたくなんか、ない!!」
「はぁ?!」
さっきまでの真面目な顔はどこ行っちゃったのか、和馬お兄ちゃんの表情が崩れる。
でも、あたしは拳を握ってお兄ちゃんに力説する。
「パパとママに会えないのは寂しいけど、大好きな人と離れるのはもっとやだ!!それに、<依頼>は自分の口で夜叉に言いたいもん!!」
「へ、へぇ・・・」
「だいたい、お兄ちゃんは夜叉と<知り合い>程度なんでしょ?あたしに会わせる、なんて約束できるわけないでしょ~?!」
「あはは・・・・・・ソウデスネ・・・」
「まったく、あたしを子供だましであやそうとしたって無駄なんだからね~!!」
びしっとあたしは和馬お兄ちゃんに宣言してスタスタと前を歩いていく。
後ろの方でお兄ちゃんが、「・・・ったく、覚悟してやったのに・・・」って呟いているのが聞こえた。
だから、あたしはくるり、と振り向いてにっこり笑った。
「ありがとね、お兄ちゃん。でも、あたしはお兄ちゃんのとこから離れる気はないから、ひとりきりになる覚悟はしなくていいからね」
「へ?いや、違う、そうじゃなくて・・・」
「照れない、照れない」
にやにや笑いながら、あたしは先を進む。
歩きながら、さっきの和馬お兄ちゃんの表情を思い出しちゃった。
あたしに、パパとママの元に行けって言ったとき、お兄ちゃん、すごく寂しそうな顔をしたの、自覚してないのかな。
「大丈夫!!あたしは和馬お兄ちゃんの恋人だから、どこにも行かないよ!!」
「ちょ、待て、愛良。なんか色々あらぬ誤解を・・・・・・」
ひとり慌ててるお兄ちゃんをくすくすと笑いながら、あたしたちは仲良く夜道を歩いて帰った。
ロゼと3人で暮らす、あの家に。
じつは、今回は夜叉と愛良の絡みはないというオチ(笑)
夜叉は用だけ済ませてさっさと退散しちゃうので、愛良とはすれ違うだけなんですね~・・・。じゃぁ何のためにこんな長くなったんだ?
今回の話は、愛良の「さみしい」をテーマにしました。
考えてみれば、彼女は小学生ですからね。やっぱり親に甘えたいわけですよ。それを話題にしたものなのですが、結局最後は愛をとるようです(笑)
シリアス場面も最後はシリアスじゃなく、やっぱり愛良の暴走で締めくくられる、と。
じつはこの話は和馬側こそ色々とあわただしい裏話があるので、時間軸が被ったり被らなかったりする和馬側も楽しんでいただければと思います。