日常の中の畏怖
天馬のマンション
天馬は言う。
「話したのは悪かったけど、呑んでくれれば供養になるわ」
ビール「昇天」を手にしている願成寺が言う。
「同僚が残したビールなんて聞いたら、呑めないよお」
願成寺は何故昇天ビールがここににあるのか、無邪気に聞いたのが発端だった。
元警察官――重伝琴葉――そして大規模災害庁としてのB計画――
天馬の生き様を願成寺に包み隠さず話した。
重伝の声が頭に響く――
「わたしも呑むから」
天馬はプルトップ缶を開けた。
一口、すする天馬。……いきなり天井が回リ始めた。
「止めなよ」
願成寺は口にする天馬の手を止めにかかると、天馬は涙ぐんだ。
「……琴葉……」
願成寺はベッドに誘う。
「遅いし、寝たらいいよ」
時計は午前一時を示している。
買ったコンビニ弁当に手もつけず、天馬は崩れるようにベッドに横になった。
眠りについた天馬を見て願成寺は内心小躍りした。
『えへ……宴会だ』
翌朝午前五時半
天馬が目を覚ます。カーテンから薄っすらと日の光が届いている。
『いつの間に寝たのかしら……』
ぼうっとした意識の中、天馬は起き上がる。
ふと見ると、暑かったのかベッドの床に下着姿で大の字になって、いびきを掻いている願成寺がいる。
『ヤダ、ハダカじゃないの』
その傍らには昇天ビールが数本、空になって転がっている。
『サヤカさんも供養してくれたのね……』と天馬はいいように解釈した。
習慣とはいえ恐ろしいものだ、午前六時となると願成寺も目を覚ました。
「おはよう楓……」
下着姿のまま起き出す願成寺。
「ちょっと――なんか着てよ」
がはは……と願成寺は豪快に笑う。
「女同士だから良いじゃんか」
一方、杉田は夜通し慶和道太郎の日誌の束を読み込んでいた。
ページを捲るたび、計り知れない畏怖が舞い上がる。
ある一文が杉田の目に止まった。
『スーパーミュータント開発計画・迦楼羅――K計画を防衛省に提言し了承を得た』
『……これは防衛省に売り込んだという意味か? 迦楼羅?』
杉田は手を額に当て考え込んだ。
『大規模災害庁のGドロイドもそういった流れなのか? いや――少子化の時代、あっちは大規模な災害が発生した時の補助目的だ。……まてよ、横浜を騒がせた戦太郎は一体なんだったんだ? あれもGドロイドだ。きな臭い匂いがするが……まるっきり分からん。他の記述を探そう』
考え込む杉田に祖父江が声をかける。
「おはよう、ボス。朝飯の用意が出来た。ハムエッグに目玉焼きインスタントスープだ」
事務所長机に料理が並んでいるが……倉庫に住み込むようになってから、朝食だけは日替わりで担当するように取り決めされている。
「ケンジ、またパンか」
「俺にはこんなもんしか作れねえよ」
自嘲気味に笑う祖父江。
「ひや~これ、目玉焼き? ガリガリでやんす」と越狩。
「ガリガリも粋ってもんでがす」と庇うような的場。
「この前もサヤカのポテトサラダ、粋、って言ってたじゃんか」と管弦。
「文句はいけません。なにしろ食事が出るのは、ありがたいものです」と黒川。
「バター、箸で塗るのぉ」
御手洗が言うと祖父江はむすっとした。
「バターナイフ、ねえんだよっ」
そこに願成寺と天馬も顔を出す。
「全員揃ったな、今日の割り振りを行う」
天馬は杉田の顔を見た。
目が落ちくぼんでいる。しかも目の周りが黒い。疲労感が見て取れる。
「社長、寝てないのでは?」
「ああ……大丈夫だ。さて、祖父江と伊東は引き続きゴミの分別。黒川と天馬は事務所。それ以外はズンドコ警備会社からのイベント会場の人員整理」
何故か管弦はウキウキした表情だ。
「あたしも行っていいのかさ」
「ああ。たまには現場の空気もすってくれ」
逆に顔の腫れが引かない御手洗は浮かない顔だ。
「あのぉ……ボクもいくのぉ?」
「天馬だと力が入りすぎるんでな」と杉田はにこりとした。
「二日間の仕事だ。結構実入りがいいんだぜ、ヨロシク」
四台のエアコンがゴウゴウとなる中、杉田は黙々と慶和道太郎の日誌を読み込むが、訳のわからない論理や専門用語が踊り、さっぱり理解が進まない。
倉庫前では熱中症にかからないように氷水を飲みながら、汗だくで祖父江と伊東がごみの分別に精を出す。
電話が鳴り、黒川と天馬が対応する。次の仕事が舞い込み、杉田は了承する。
昼前に注文していたカツ丼が届く。
夕方近くになり天馬が冷凍餃子を焼き、黒川も炊飯器を手にする。
六時過ぎ全員が帰社し、代るがわるスーパー銭湯で汗を流す。
その後めいめい夕飯をとる。
伊東と願成寺は酒を酌み交わし、時折、的場や越狩が談笑に加わる。
――こうしていつもの一日が暮れていくのだった――
次の日
昼前の一服のひととき、祖父江が杉田に提案する。
「ボス、点滴に使っているようなプラごみ、一般ごみとして出せば処理費浮くんじゃないか」
祖父江に対し、杉田はしみじみと言う。
「ケンジ……そこまで気を使わせて申し訳ない」
照れるようにモシャモシャ頭を掻く祖父江。
「おだてないでくれボス、だが結構な量だ」
伊東は倉庫前のおびただしいビニール袋を指し示す。
「四十袋あるべか」
あまりの量に杉田は飛び上がった。
さらに祖父江は続けた。
「ボス、アレで終わりじゃない。まだ出る。それにこれだが――」
サンプルとして祖父江は杉田に容器を差し出した。
杉田はまじまじと見つめる。
素人の目でも、形状は輸液バックにも似ているというのがわかる。
光に透かす杉田。
袋の中には濃い茶緑色の干からびた付着物――
「この茶緑は何だ?」
「ボス、俺らに聞いても分かるはずねえ。なあ銀次さん」
祖父江の答えに伊東も同調するように肩をすくめた。
「なんだろうなこれは?」
違和感を感じた杉田は寺家に相談の電話を入れた。
ちょうど午前中の診療が終えたところで、寺家はすぐに出た。
「血とか体液が付着してないなら一般ごみとして出せるよ。それがなにか?」
「いや、血じゃないんだが、濃茶緑色が底の方に見えるんだ」
「黄色ならビタミン剤だけど茶緑? 見たこと無いわね。確認する必要があるかも」
寺家は医者である。
何かを感じたように寺家は言う。
「調べるから持ってきて」
杉田は困った顔をした。
「四十袋あるんだ」
「四十個?」と寺家は勘違いする。
「だ・か・ら・四十袋っ」
むすっとした口調の杉田に、電話口の寺家が吃驚した声をあげた。
「ちょっと待って。いくらなんでも多すぎよ。総合病院でもそんなには出ないわ」
その寺家の言葉に杉田は冷静になった。
「分かった。明日にサンプルをいくつかケンジに持っていかせるようにするよ」
そう言って電話を切る杉田にはある疑念が浮かんだ。
『捨てられない理由があった?』
倉庫前に積まれているゴミの山に杉田は車椅子を進める。
「ボス、大丈夫か」
心配するように祖父江は声をかけた。
「書物や文献があったよな?」
「トラックの奥に積んである」
「すまんが、捨てる前にこっちに持ってこれるか?」
伊東も手を休めた。
「どうすんべか?」
「日誌の束だけじゃ分からんことだらけだ。書物の中にヒントがないかと思ってな」
杉田の問いかけに嫌な顔もせず、重い書物を黙々とトラックから運び出す。
天馬が台車を持ってきた。「あたしも手伝うよ」
汗を拭きながら祖父江は言う。
「じゃ、ぶっ壊した仏壇が邪魔なんで退かしてほしい」
「分かった」
熱気に包まれたトラックの荷台に天馬は昇り、その左腕を振るい次々と隅へ追いやる。束ねた書の類をひょいひょいと持ち上げ、祖父江と伊東が台車に乗せる。
あまりの重さに台車は傾いだ。
「一台じゃ足りねえ……後二台は必要だ」
そうして三台の台車が杉田の目の前に置かれていった。
杉田は本や文献をパラパラめくり、参考になりそうなものをピックアップする。ただもの凄い量だけに中々進まない。
束を丹念に仕分けする杉田。
用紙をめくる杉田。
血走った目は何か獲物を捉えようとする肉食獣の目だ。
「親方、昼んだの届いだべ」
伊東は届いた天丼を杉田の前に差し出すが、一心不乱にめくる杉田の耳には入らない。
「ここさ、置いどぐ」
呆れた伊東は杉田の足元においた。
「社長、こん詰めてるけど、カラダ壊さないかしら?」
天丼を頬張りながら天馬は心配そうだ。
「ボスは夢中になるとああなんだぜ」
祖父江もエビを頬張る。
「話しかけても無駄ですよ」と黒川は器用にタクワンを口に運ぶ。
「黒川さん……見えてんじゃないか?」
祖父江の問いに黒川は笑う。
「香りですよ……でも塩っ辛い……」
そんな喧噪感をよそに杉田は書物を、紙の束を捲りまわる。
今にも紙が破れそうだ。
『これは?』
杉田は一文を見つけた。
――迦楼羅の食欲旺盛には驚嘆に値する
『食欲旺盛だって? まさか、あのおびただしい袋は迦楼羅の食い物が入っていた……? だが何故、点滴のような袋に? 迦楼羅に流動食を与えていた?』
杉田は一台しかないノートパソコンを開き、寺家から送られたメールと添付写真を見る。
『犬歯が生えている? 人間か……猿? 犬? 歯があるのなら流動食ってことじゃないな。――だめだ、一向に分からん……』
頭を抱える杉田だった。
「ボス、お願いなんだが」と、祖父江は杉田に声をかけた。
「どうした?」
「ぶっ壊した仏壇だけでも、産廃に持って行きたい。邪魔でこのままじゃ何往復もするようになる」
「そうか……」
「それに幾ら壊したからといって、原形はとどめている部分もある。重いし銀次と俺だけじゃ降ろしきれない」
「そうだな――天馬、すまんが廃材搬出手伝ってくれんか」
天馬はにこりとする。
「喜んで」
三人乗りの平ボディだが、祖父江と伊東の間に天馬が乗り込むと、肩が触れ合いかなり窮屈だ。
「黒川さんと社長だけで大丈夫か?」
祖父江の心配に天馬は言う。
「しょうがないでしょう。今ある人員で回さないと。早く済ませて戻りましょう」
天馬の返答に祖父江が答えた。
「じゃ、出発だ」
見通しは抜群だが、騒々しいエンジン音に揺れる車体はさすがトラックだ。
走るたび、作業服がこすれ合う。天馬の左腕が伊東に触れる。
「左腕、ひゃっこい……なんだべなぁ」
天馬はにこりとする。
「左側は血が通ってないからね」
「あぁ……ほだんけぇ」
産業廃棄物業者にたどり着くと、天馬が率先して破壊された仏壇を運び出す。
フォークリフトに載せ替えるが、あまりの速さに処分が追いつかない。
産廃業者も呆れた顔をする。
「凄え力だな……」
「これで終わりだ」と祖父江が責任者に声をかけると三千円渡された。
「これは?」
責任者はニンマリとした。
「バラバラでも黒檀だよ。だから高値で引き取るぜ。ここにサインな」
「驚いたな……金くれるのか?」
「もっと上物の黒檀なら高値で引き取るぞ」
「会社の売上に貢献したわ」とホクホクした表情の天馬。
「燃料代と往復の手間考えたら、どうなんだろうな」と祖父江。
「あとは……ゴミだけだべ」と諦めたような伊東の口調。
カラになったトラックが一路、軽快にスケロク倉庫に向かった。
「夕飯だけど社長は昼の残りだヨ」
タッパウェアに入った天丼を差し出す管弦。「温っためておいたからサ」
「こんな時間か……ありがとな」
時計を見ると午後七時を回っている。
「スーパー銭湯に行く人、この指、と~まれ」
願成寺が陽気に誘う。
「社長も汗流せヨ」
管弦が言うが「まだいい」と杉田は返事をした。
天馬が怒る。
「四日も五日も入ってないわよっ。男子が手伝うから社長もっ」
しかし杉田にはどうしても解きたい謎がある。
かくして杉田以外、みなとみらいの銭湯に向かった。
エアコンが唸る中、一人残され汗ばむ杉田。
『分からん……迦楼羅とは一体何者なんだ……巨大仏壇、真言宗と関係があるのか』
頭脳明晰の杉田でも、この謎は容易ではない。
『あの袋の茶緑……正体が分かれば……突破口になるかもしれない……』
「ただいま帰えりやした……ありゃ社長、車椅子で寝てるでがす」
上機嫌の的場が言うと御手洗は恐れおののく。
「いやだぁっ、社長死んじゃったのぉ? ……イテッ」
祖父江は御手洗の頭を叩く。
「縁起でもねえっ……起きろよボス」
祖父江が揺り動かすと、杉田はぼうっとした顔で目を覚ました。
「寝ちまった……」
寝ぼけ顔で杉田は立ち上がったが、すぐに腰砕けになった。
「無理すんなよ。誰か社長をベッドに」
管弦の言葉に男衆が集まり、杉田をベッドに寝かしつける。
「おやすみでやんす」と越狩。
「まだ謎が解けて……ない……」
うわ言のように杉田は言うが、相当疲労感が溜まっている。すぐに眠りについた。
杉田の様子を見ながら管弦は言う。
「寺家先生にリハの手配お願いしたほうがいいね。じゃないと走り出すヨ」
翌朝――スケロク商事の定休日
目を覚ました杉田は『さあ続きだ……』と意気込んだ。
そう覚悟を決める杉田にエプロン姿の天馬が声をかける。
「ろくなものできないけど朝食の用意できました」
納豆に冷奴、冷や汁に程よく焼けたアジの開きそして野菜サラダ――まさに、ザ・日本食だ。
「天馬さ~ん、美味いでやんす」
「日本の粋ってもんでがす」
管弦は気に食わないようだ。
「フン、食材が揃えばどうってこと無いヨ」
朝食後、杉田は祖父江にこびりついた茶緑の袋三枚を本間医院に届けるよう命じた。
「公休日だが悪いな」
祖父江は首を振る。
「ボスの頼みなら、たとえ火の中水の中だ」
そう言って祖父江は本間医院に向かっていった。
『なにかヒントでもあれば……』と願う杉田だった。
袋を受け取った寺家はじっと見つめた。
「輸液バックに似てるけど、今までに見たこと無い色合いだわ。何か分かったら連絡するね」
祖父江は恐縮した。
「すまねえ先生」
寺家は朗らかに言う。
「こうちゃん、いえ、社長の好奇心には参るわね。あ、それとミイラ、あの箱に入れてあるから持ってって。いつまでも病院じゃ可哀想よ」
寺家は部屋の隅の段ボール箱を指さす。
「分かった。どう処分するか社長と相談だ」
さらに祖父江は続けて、寺家をじっと見つめた。
「そいつの正体が分かれば、ボスはさらに突き詰めるだろう。それが俺には怖いんだ……」
「怖い?」
「うまく言えないが……ボスは……なにかに取り憑かれている……」
祖父江が帰ったあと、そのまま寺家は昼食を取ることなく、病理検査室へ入った。
こびりついた茶緑を医療用綿棒で慎重に掻き出し、試験管に落とし込み、培養液に浸し結果を待つ。
『こうちゃん……なにかに取り憑かれたの?』
祖父江の意味深な言い方に少し動揺する寺家だ。
そこに本間院長が顔を出した。
「お昼も取らないで、なんの研究かな?」
「今持ち込まれたこれなんですが……」
寺家は本間に茶緑がこびりついた袋を見せる。さらに本間は試験管を手にする。
「ふむ……鉄分を含んでいるようにも思えるが……結果が出るまで時間がかかる。その間休憩を取り給え」
「はい、そうします」
寺家は椅子から立ち上がり、検査室を後にした。
無人になった検査室。
試験管からゆっくりと泡が吹き出し……
シュワシュワ……ピシッ――
突如、音を立てた試験管にヒビが入った――
ep7へ続く




