承2
コンコンコン
地味な大乱闘を繰り広げてた私たちは、突如現実に引き戻されて固まった。この国唯一の王子様をタコ殴りにしていたという事実をはたと自覚した私の背中は、突如噴出した冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「盛り上がってらっしゃるところ大変申し訳のうございますが、失礼いたします。国王陛下より火急の伝言です」
「なっ、入れ」
慌てた王子は、さっと床から立ち上がる乱れた衣服を直しながら扉に向かった。まるで事後のような真似をされていたたまれない。そして私の衣服に乱れはない。どう見ても襲っていたのは私だ。詰んだ。
「失礼いたします」
現れたのはいかにも仕事ができそうな眼鏡男だ。素知らぬ顔で両手を腹の前に組んでメイドのように壁際に控えている私のことをちらりと見た後で、王子の後頭部の髪の毛が乱れているのを見て目を細めた。内心で危機感をいただいたが、眼鏡男は胸元から取り出した櫛で自然に王子の髪を直すと、そのまま口を開いた。
「陛下より、一月後に婚約披露パーティーを行うとの伝言です。また、明日は親交を深めるために王妃殿下主催のお茶会を用意したとのことでした。ご準備をお願いいたします」
「えっ」
愕然とした顔の王子が私を振り向く。さっきまでよりもよほど青い顔をした王子は、壊れたおもちゃのようなぎくしゃくとした動きで眼鏡男を振り返って作り笑いをした。
「ちょ、ちょっと気が早すぎやしないかな?」
「いえ、まさか。やっと見つけたシンデレラを逃がすわけにはいかない、と張り切っておいでですよ」
「もう、決定?」
「はい。貴族各家には伝令が走らされ、国民たちへも告示されました。すでに号外がばらまかれるなど、大々的に報じられております」
「……父上ぇええっ」
「無論、王妃殿下も全面協力で張り切ってらっしゃいます。明日のお茶会には王都にいらっしゃる主だった家の方たちは、ほぼ全員出席されますよ」
「母上ぇえええええ」
「あなたがトロトロしているからですよ、殿下」
ため息交じりに顔を上げた眼鏡男がちらりと私を見る。そして、憐れむように眉を下げた。そして告げられたのは。
「……シーラ殿、頑張ってくださいね」
「……ん?え、なに?何が起きているんですか?その目は何!?」
「ふふ、もう一度わかりやすく説明いたしますね」
哀れな幼子を見るような柔らかな笑みと、心からの同情に満ちた謎の励まし。
私の背中はぞわぞわが最高潮である。
「あなたと王子殿下の婚約内定が大々的に報じられています。披露パーティーは一月後です。明日は王都にいる主な貴族相手に、顔見せのお茶会です。頑張ってください。今からマナー講師がやってきますので、付け焼刃でもよいので叩き込んでください」
「いやぁああああああああッ」
***
さて、そんなこんなで本日はお茶会である。
残念ながら逃げられなかった。昨日の今日であり得ない速度だ。
「あー本気でありえない。一日の特訓だけで、お貴族様たちの前に庶民を出す?」
「まぁ、我が国はそんなにマナーも厳しくないし……」
「貴族基準で言われても困ります」
昨日は眼鏡男が退室した直後に襲来した素晴らしく厳しいご婦人に、即席で最低限のマナーとやらを叩き込まれることになった。鬼気迫る鬼婆だったが、マナーに厳しい母の躾が身についていたおかげで、なんとか明け方に合格を勝ち取った私は死ぬほど疲れて気絶した。それなのに、私は目が覚める前にふかふかの寝台の上で叩き起こされて、数人の侍女に担がれるようにして浴槽に放り込まれたのだ。
「うわぁなになになに!?」
困惑のまま騒ぐ私を無視して、有能を絵にかいたような侍女集団が私を磨き上げていく。風呂場を出たときには肌も髪もつるつるすべすべになっていた。専門職の凄技を身をもって体感してしまった。
恐ろしくて値段を考える気にもならない宝石がちりばめられたドレスを身にまとい、王級に集うプロたちがプライドをかけた最高技術で顔面を作りこまれた私は、ぴかぴかの別人になっていた。確かにこれなら噂のシンデレラと言っても通用するかもしれない。本人を見たことがないので知らんけど。
「ねぇ王子様。お茶会って王様が準備したんでしたっけ」
「そうだよ。建前上は母上が主催だけどね」
「ってことは、悪いのは王様?怒りを向けるべきは王様ってことよね?」
お茶会という愛らしい響きからは想像できないような王宮の大広間の扉を前にして、私はぽつりとつぶやいた。
「……えっと、……そ、そうだよ?」
斜め上方に視線をそらしながら、己は悪くないと言いたそう何度も肯う王子をじろっと見上げて私は鼻で笑った。
「なるほど……」
いつの間に計測されたのやら、サイズぴったりのドレスを着せられた私は、薄笑いを浮かべたまま言った。
「とりあえず王様に文句言いたいんですけど、今から殴り込みっていけますか?ひとまず顔面二発」
「流石にやめよ!?その場で近衛兵に切り捨てられちゃうからね!?」
「チッ」
淡い望みすらも即刻却下された。せめてもの腹いせに派手に舌打ちを響かせた。控えている侍女たちはぎょっとした顔をしたが、王子は「よく響くねぇ」と呑気に笑っただけだった。こいつの動じなさって何なの。
お茶会は思い出すのも嫌なので割愛。一言でいえば本当に最悪だった。
「なんかクソ嫌味な女ばっかりだったんですけど!?」
控室に戻った私は貼り付けた微笑の仮面を投げ捨て、私は絶叫した。お高いアクセサリーを体から取り除かれ、我慢の限界を迎えた私は、思う存分ブチ切れて髪をかきむしる。苦笑いを浮かべた王子は、まるで荒ぶる馬をなだめるがごとく、どうどうと言いながら私に両掌を向けてきた。なんだこいつ。
「あー、ごめん、僕のお相手の有力候補だった人たちなんだよねぇ」
「は!?」
言われてみれば確かに。主要な貴族家の令嬢、つまり、王家の嫁の有力候補たちか。そりゃポッと出の平民娘に婚約者の地位を搔っ攫われたらご機嫌斜めでしょうよ。いい迷惑すぎる。
「そういうことは先に言ってもらえる!?心の準備とかあるのよ!」
「うーん、最初から臨戦体制になられると困るなって」
「私が傷つくとは思わないの!?」
プリプリと怒り狂いながらソファの上のクッションを王子に向かって投げまくる。鈍そうなくせに身軽にひょいひょいとクッションを避けながら、王子はさも不可解なことを聞いたかのように首を傾げた。
「君が?傷つく?」
「初めて知った概念みたいな顔しないで?」
鼻白んだ私が手元のクッションにボスッとこぶしを突き込むと、王子はへらっと笑って肩をすくめた。
「君への絶大なる信頼だよ」
「出会ってすぐに与える信頼じゃないわよそれ」
はぁ、とため息をつき、私はタイミングよく手渡されたクッキーを三枚まとめて口に放り込む。
「……あ、おいし」
「それはよかった」
嬉しそうに頬を緩める王子を、もぐもぐと口を動かしながら睨みつける。
「クッキーで誤魔化せると思わないでよ」
「もちろん。キャラメルナッツケーキもあるよ」
「……そういう意味じゃないんだけれど」
「あれ、いらない?」
「もらうわ」
この男は腹が立つことばかりするくせに、お菓子のチョイスだけは気が利いている。ナッツが好きなことも、塩気のあるクッキーが好きなことも、チョコレートがほんの少し苦手なことも、ジャムだけはどれだけ甘くてもいいと思っていることも。何一つ言ってはいないのに、なぜか私の好みを絶対に外さないのだから。




