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最終話 Gute Reise 

 待合室のテレビではニュースキャスターが微笑みながら伝えていた。

 ――さて、次のニュースです。我が国では1000人にも満たない難病を持った少女に、匿名で医療費が寄付されました。

 〇〇県、〇〇市に住む木下ーーちゃんは百万人に一人と言われるーー病を患っていましたが、先日、元猫と名乗る匿名の人物が医療費の提供を申し出たそうです。


「病、早く治るといいな」

「――そうだね」私の言葉にご主人は柔らかい表情で答えた。

 ご主人は約束を守った。同時に、テレビに映し出された少女の父親の罪を許した。

 彼女は誰かが救われると、心の底から嬉しそうに笑う。そんな彼女だからこそ私は忠誠を誓えるのだ。


「春香様。お迎えに上がりました」

  黒いスーツを着た男がご主人の前に現れた。見たこと無い人物で、恐らく萌音財閥の人間だろう。

  外に出ると大きなクルーザーの姿があった。この船は一般客の船とは違い、ご主人専用の船だ。

「ご苦労様です。ナハト、行こっか」

「――ああ」

 彼女は私を抱えデッキに上がると、潮風を楽しむように髪を撫でた。

「……良い街だったなぁ。」ご主人が呟いた一言は、ノスタルジックな響きだった。


「春香さん!」

 突然、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

 声の主は柊だった。急いできたのか、少し息切れが聞こえた。

「あぁ良かった、間に合いました。貴方にはいつも素敵な絵を描いて頂いてますから。せめて見送りだけでもと思いまして」


「ありがとう――"柊"」

  柊は驚きの表情を浮かべた。

「お嬢様……ご記憶が?」

「家族同前だった貴方を、忘れるわけないよ。ずっと私を見守ってくれて、ありがとう」

「春香、お嬢様……」


「今度は私が誰かを守りたい。だから、行くの」

「本当に立派になられた――」彼は微笑み、ハンカチーフを取り出した。彼の涙を見たのは、初めての事だった。

「――お気を付けて」柊は深く頭を下げた。クルーザーは動き出し、港からどんどん離れて行く。

「柊! アデールちゃんにもよろしくね!」

 ご主人は大きく手を振った。

 遠くからみた柊の顔はとても幸福な、穏やかな表情だった事を、私の瞳に映り出されていた。



 私達を乗せたクルーザーは群青の海を突き進み、大分港から離れてきた。

 私は抱きかかえられたまま彼女に言う。

「さて、これからどこへ行くのだ?」

「そうだねぇ、まずは都会の方に行こうかな。人も多いしお姉ちゃんもいるし、お姉ちゃんには探偵になる事言ってないからびっくりするだろうなぁ」彼女は楽しそうに答える。

「……また冬香の心配事が増えるような気がするが……」


 探偵となり、秘密結社エンゼル・フィッシュを追うという事は、これから常に危険が付きまとうだろう

 冬香のこれからの心情を考えると、思わず同情してしまう。

「そうねぇ。この子は一度決めると、絶対曲げないからねぇ。ナハト、貴方も大変ねぇ」

「なっ!?」

 後ろから聞き覚えのある声と悪寒がし、振り向くと、アゲハが可笑しそうに笑っていた。手には観光雑誌の姿がある。


「どうしたの? ナハト?」

 ご主人はキョトンとするがアゲハはいたずらっぽく口に人差し指を添えた。

「春香には私の事は内緒よ。そういう決まり事なの。それにしても……あぁ楽しみだわ!」

 貴方達の行く場所には沢山の楽しい場所があるのよ! お寿司も食べたいし、ラーメンも捨てがたいわ……ナハト、一緒に廻りましょうね!」

「な、なんでもない。なぜ君もついてくるのだ……」

 

  私は少しうんざり気味に小声で問う。

 アゲハはどこか偉そうに、「あら、春香は私の飼い猫だったのよ。元飼い主として、見守るのは当然よ。それに、女神が付いてるなら貴方も安心でしょ?」

「やれやれ……困った人だな」私はため息を吐いた。 

 恐らく、本当の理由は面白そうだから、だろう。

 ご主人の天真爛漫な性格はこの人から受け継がれたのかもしれない。

 そう思うと、少々複雑な心境だった。


「あら? ――あらあら。春香は愛されてるのね。元飼い主として誇らしいわ」

「?」

 突然クスクスと笑うアゲハの言葉の意味が分からず、首を傾げていると、遠くで沢山の声が聴こえてきた。

 暖かい気持ちになり、口が緩む。

「ご主人、聴こえるか?」

 彼女は嬉しそうに笑った。

「うん! 聴こえるよ。だってーー私の耳は猫の耳だから!」


 声の主はスカイブルータウンの猫達だった。

 微かに犬の声も聴こえた。この上品な声はアデールかも知れない。


 言葉の意味はこうだ。

良い旅を(Gute Reise)。か」

 ご主人は答える様に息を大きく吸って、猫の言葉で叫んだ。

「行ってきまーす!」

 私も彼女と同じ意味を込めて猫の言葉を轟かせる。

「また会おう!」

 そんな私達を アゲハはどこかご主人と似た、優しい顔付きで眺めていた。


 元猫と元人間。

 私達、二人の猫は、海と青空による、透き通る様な青一色の中で笑い合っていたのだ。



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